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4/19 言ったもの勝ち/誰もいない森で倒れた木は音を出したか?
こんばんは。今日もおつかれさまです。
タイトル通り、なんでも言葉が先なのかなと感じる。
ツイているといった瞬間からツイてるんだって感じのツイートを見つけたときにそう思った。
言葉によって物事に名前をつけた瞬間それが認識されるっていう。
そういえばソシュールだっけ。記号論。言葉によって世界の区切り方は異なる、例えば日本語の机と英語のテーブル、デスクみたいな感じに。
ちょっと違うか?まあ最初の話に戻ると、言葉によって、それを見る角度が決まるということはあると思う。
名前がつけられたことで初めて意識される。
例えば何気なく暮らす日々を「幸せ」と捉え言葉にした瞬間、どんどん幸せな出来事が思い寄せられる。反対につらい、とか思ったら同様にそういう出来事で頭がいっぱいになるだろう。
前向きな言葉のおかげで、見過ごされそうになってた良いことを認識できるなら、どんどん使わなきゃね。
言葉は世界を見るメガネ、どんな風に世界を見るかはその人の言葉(認識)次第。
あともう一つ思い出した。
哲学っぽい話。
誰もいない森で一本の木が倒れた。
はたして木は音を出したのか?
If a tree falls in a forest and no one is around to hear it, does it make a sound?
「いや倒れたから音出たに決まってる」
そうわたしも最初はそう思ったけど、ここで注目すべきは「誰もいない」ということ。
音は音波として人の耳に伝わることで「音が出た」となる。
だから誰もいないならば「音は出ていない。」
なんとなくこわいなって思った。だって誰も聞く耳を持つ人が「いない」のならどれだけ叫んでも、木が倒れる音のように、その声は「ない」ものになっちゃうんだから。
存在は認識があってはじめて成り立つ
聞く耳は敏感にしなくちゃ。
近くにいる人の叫び声を聞けるのは、自分たちしかいない。
ここから、今日一日を振り返るときにも、良い言葉を使って、また、出来る限りあった出来事を思い出して認識して振り返ると意味の「あった」1日って思えるかも。
ちょっとだけの時間だったけど、話したかった人と話せた。天気が良くて、近所を少し散歩したら体もポカポカしてよかった。ちょっとした自分へのノルマを果たして、今日もnoteが書けている。
いい感じ。有意義と思える休日。
うーん、前者と後者のテーマは「認識」ってことでうまく結びつきそうなんだけど、発展して浮かぶことはないから今日はここまで。
まああとはインプットだなぁ。今まで何も発信せずひたすら何か情報集めて供給過多だったんだけど、最近は反対に色々読めてない。だけどちょっとではあるがアウトプットはしてる状態。
インプット少なすぎて今日のタイトル「話題がない」にしそうになっていたもん笑
幸い良くも悪くも昔のことをぽんぽん思い出しがちだから、「あ、これ書こう」って書きたいことすぐ浮かんだからよかったけど。
ひたすら良いものを取り込んで学んで、形はどうなるかはわからないけど発信したいなあ。
それがちょっとでも人に役立ったら万々歳。
色々情報ばーーーって取り込みたいー!早めに起きて本読もうっと。
読んでくださりありがとうございました。あなたにとって明日が良い日になりますように。
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