【SH考察:033】秋津を左右する神託の解釈
Sound Horizonの絵馬に願ひを!では、神託に左右される登場人物達の様子が垣間見える。
ただ神託は事細かに説明してくれるわけではないため、解釈の自由が故にいろいろな意味で読み取れる。
今回は筆者なりの解釈とその根拠をまとめてみた。
対象
7.5th or 8.5th Story 絵馬に願ひを! Full Editionより『我/私が繋ぐは新しき神話』
考察
神託とは
神託とは神からのお告げのこと。
神官や祈祷師など、神の声を聞けるものが聞いた内容を告げたり、占い師が神の意を推し量った結果を告げるものとがあるようだが、ともかく人が神の意を告げることや、その内容を神託と言う。
絵馬に願ひを!における神託の内容
『我/私が繋ぐは新しき神話』にて、神託に右往左往している様子が見られる。
これまた明確に「これが神託ですよ」と言われているわけではないが、おそらく冒頭の天照 美禍の短歌が神託なのだろう。
いくつか解釈が考えられるのだが、今回は筆者がこうではないか?と思った解釈を書いてみようと思う。と言っても2つあるのだが。
「星が流れるときに現れた、常に夜の神社の巫女を妻にしたならば、その子こそが秋津の皇となるだろう」
「星が流れるときに現れた、常に夜の神社の巫女を妻にしたならば、その子が秋津の皇となるだろうか?(いや、ならないだろう)」
順を追って言葉の意味を確認しよう。
まず初句が「星流ル」。
これは秋の季語だが、俳句と違って短歌は季語を入れる必要がない。
時期的に、姫子が星空へと続く坂道を駆け上がって父の病気平癒を祈願した頃=晩秋であることが示唆されている。
次に二句「巫女コソ見ナバ」。
「巫女」は後に姫子に求婚する者が増えていることから、世間に数多いるであろう巫女の中でも姫子のことをピンポイントに指すらしい。
「こそ」は直前の語の強調表現で、訳には反映されないことも多いようだが、敢えて言うなら「まさにその巫女を」みたいなニュアンスか。
「見なば」は「見る」+「なば」。
古語における「見る」には、単に目にするという意味だけではなく、経験とか結婚する、妻にするという意味も含まれる。
この場合も、敢えて神託にするのだから、巫女をただ見るのではなくて、巫女と結婚すると言いたいのだろう。
「なば」は完了の助動詞「ぬ」の未然形(=未完了)+接続詞「ば」で、「~したならば」「~してしまったならば」という、完了を仮定した予想をする表現。
そして前後の文脈から、この巫女が姫子であると解釈できる要素が必要だ。
そのため、初句の「星流ル」や三句「常夜ノ」を繋ぎ合わせた結果、姫子のことを指すと解釈できたのだろう。
実際、狼樂神社は星空が美しい晩秋の夜に出現したから、「星が流れる時期に表れた神社の巫女」で「星流ル巫女」でもおかしくない。
また、狼樂神社は昼間の描写がない。四季も時間帯も狂っているようだし、倒置法とみなして「常夜ノ巫女」でもまたおかしくないかも。
実際、『秋季例大祭』では姫子が狼樂神社のことを以下のように表している。
ここまでをまとめると、「星が流れるときに現れた、常に夜の神社の巫女を妻にしたならば」となる。
最後が御子ヤ秋津ノ皇トナルラム。
や+らむは係り結びで、「~だろうか」という疑問の意味。
そのため、秋津の皇となるだろうか?となるが、神託としては違和感がある。神託が疑問形になるのか?神が誰に問いかけるというのだろうか。
姫子に求婚している者は単なる疑問形ととらえたか、係り結びを無視して、「や」を単なる強調、「らむ」を単なる推定ととらえて、「御子こそが皇となるだろう」と解釈したのだろう。
ただ、「や」「らむ」の係り結びを重視して、「や」の反語の意味を採用すると、「いや、そうではない」という意味を付け足すことになる。
これらを総合すると、以下2通りの解釈を考えることが出来た。
「星が流れるときに現れた、常に夜の神社の巫女を妻にしたならば、その子こそが秋津の皇となるだろう」
「星が流れるときに現れた、常に夜の神社の巫女を妻にしたならば、その子が秋津の皇となるだろうか?(いや、ならないだろう)」
佐久夜 姫子と杵瀬 命の意向
佐久夜 姫子の意向がこちら。
秋津の偉い人達は、1つ目の「星が流れるときに現れた、常に夜の神社の巫女を妻にしたならば、その子こそが秋津の皇となるだろう」という解釈をしたのだろう。
彼等は姫子に求婚し、姫子(と神社関係者)はかぐや姫のように無理を吹きかけ追い返している。
人によっては降ってわいた玉の輿チャンスととらえるかもしれないが、姫子はそうではなかったようだ。「身分など関係なく寄り添える人が良い!」と、相性や相手がどんな人かを重視したいという意向を示すようになった。
そして、杵瀬 命の意向がこちら。
姫子の心理は推測しやすい一方で、杵瀬 命の解釈が難しい。
それまでの彼の態度からして、最初は恩師佐久夜 大山への尊敬の念からの行動だったかもしれないが、まめに姫子とやり取りするなど、姫子とも自ら積極的に距離を詰めていることがわかる。
一方で、上記歌詞だけ見ると、「予言(神託)など関係なく寄り添える人が良い!」=神託で指定された相手ではない人と結婚したい、つまり、姫子と結婚したくないようにも一見とらえることができる。
彼も1つ目の「星が流れるときに現れた、常に夜の神社の巫女を妻にしたならば、その子こそが秋津の皇となるだろう」の解釈をしていたならば、ちぐはぐな行動をとっているように見えてしまう。
そのため、これは神託で指定されたからではなく、寄り添える人だと思えたら自分の意思で結婚したい!みたいな意味合いととらえる必要が出てくる。
ただ、もし2つ目の「星が流れるときに現れた、常に夜の神社の巫女を妻にしたならば、その子が秋津の皇となるだろうか?(いや、ならないだろう)」と解釈していたならば、姫子と結婚しない方が良いと知っているが、寄り添える人が良いから神託を無視する、と考えることはできる。
(神託を知る勢力が姫子を押さえに行くのは、対抗勢力に姫子を嫁がせることで継承争いから退かせようとしている?姫子を貧乏神扱いしている感じ)
結論
解釈は二通り考えることが出来た。
姫子はそもそも神託を知らない可能性が高いし、知っていたとしてもどうでも良いと思っていそう。あくまで寄り添える相手かどうか重視。
杵瀬はどう解釈していたか定かでないが、姫子と結婚すべきと知ったうえであくまで自分の意思だと言いたいか、姫子と結婚すべきでないと知ったうえで寄り添いたいから結婚すると反抗したいか、どちらかだ。
どちらにせよ、お互いがお互いを寄り添える相手候補として明らかに意識しているのは描写から読み取れる。
個人的に、神託がどうであれ、お互いが納得する形で幸せな先を築けたらいいな……と思っている。
―――
よろしければスキボタン(♡)タップ・コメント・シェアしていただけますと幸いです。
他にもSound Horizonの楽曲考察記事を書いています。
絵馬に願ひを!関連記事:
【SH考察:016】絵馬に願ひを!秋津皇国を現実と照合してみた
【SH考察:017】絵馬に願ひを!登場人物の名の由来
【SH考察:025】陽葦火山神社の歴史に関わったであろう廃仏毀釈とは
【SH考察:026】絵馬に願ひを!の中に見られる日本神話のオマージュ
【SH考察:027】絵馬に願ひを!と三種の神器
【SH考察:028】宮比と犬彦の《結末に至らない》ルートは同一時系列である説
【SH考察:029】佐久夜姫子によるかぐや姫的振る舞い
【SH考察:030】久延鳶彦の記憶を追う(前編:物の名前の語源・由来)
【SH考察:031】久延鳶彦の記憶を追う(後編:取材ネタ)
【SH考察:032】姫子の願いを伝える祝詞の現代語訳
【SH考察:034】絵馬に願ひを!に関するアレコレ(言葉の使い方編)
【SH考察:035】絵馬に願ひを!に関するアレコレ(二人の那美編)
【SH考察:036】絵馬に願ひを!に関するアレコレ(猿田 犬彦編)
【SH考察:037】絵馬に願ひを!に関するアレコレ(天野 宮比編)
【SH考察:038】月人の"親切"から見る登場人物の死因と月人の人間性
【SH考察:039】絵馬に願ひを!に関するアレコレ(天野 御影編)
【SH考察:040】絵馬に願ひを!に関するアレコレ(八島 知美編)
【SH考察:043】二人存在する那美と二人存在するかわからない那岐
【SH考察:045】秋津国はなぜCuegeneなのか
更新履歴
2023/06/26
初稿
2023/06/30
常夜ノについて加筆
2023/09/11
絵馬に願ひを!曲名表記をSalon de Horizon 会報誌vol.68+69をもとに正式な曲名に更新
2024/04/24
一部歌詞引用について「※ルビは書き起こしのため誤差がある可能性あり」の注釈追記
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?