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誰かの言葉に傷つくならば。


ブログを始めたばかりの頃の話をしようと思う。

アメブロで書いていたころ、私はネット上での交流が好きな方だったので、積極的にコメントをしたりコメントを返したりしていた。
なかには毎回記事を上げるたびにコメントをくれるような方もいて、当時の私は『返報性の原理』に則った対応をしており、相手の記事も読んでコメントを返すようなタイプだった。

当時もなるべく記事を頻繁に投稿することを目標にしていたので、自分の記事を褒めてくれる読者の存在が励みになっていたし、有難いとも思っていた。

ただ、当時から思っていたが、私はあまり交流を好まない性格なのではないかと思う。いや交流というより、単純に誰かに意見したり意見されたりするのが苦手なのだと思う。

コメントは意見というより感想だとは思うが、それでも記事と全然関係ない内容だったり、批判的なものだったりすれば角が立つ。
私の場合は、正直最近では内容に関係なく、誰かのコメントを読むことで万が一にも自分の書く気力がそがれたり、書きたいものが揺らぐことを恐れているように思う。

積極的に交流するタイプのブロガーを見ていると、数年前に交流を楽しもうと努力していたころを思い出す。文面ではいくらでも親し気に書くことができたものの、結局は深い交流をしていた相手もブログを辞めると同時にいなくなるのが常だった。

私自身、アメブロを辞めてからは全く当時交流していたブロガーたちの記事を読んでいない。これまでを振り返ると、どの人も投稿媒体を変えると、その媒体で読んでいた記事を読まなくなる傾向が強いと感じる。


どんなに褒められようが熱烈であろうが、寧ろそういう読者ほど案外あっけなく離れていったように思う。ネット上で嗜む娯楽が異様に多い現代社会で、わざわざ自分の記事を選んでもらうことは、ある意味奇跡に近い。


芸能人でも何でもない一般人の書くエッセイを読んでもらえるということは、本来ならあり得ないことだろう。noteのように人気のある媒体に載せるからこそ、自分の存在を知ってもらうことができる。


私はこれまで投稿媒体を変えつつ、かれこれ5年以上断続的ではあるが書くことを続けている。
続けるにつれ私のなかで、積極的に他者と交流する段階を過ぎているようにも思える。初めは交流も楽しいと思えたが、今では『読まない』ことで自分のモチベーションが保てると考えている。

私のように人に影響されやすい人間の場合、ある意味コメントを読むのは危険な行為かもしれない。人の意見に左右されやすかったり、傷つきやすい自覚がある人は、あまり目に入れない方が得策ともいえる。

人それぞれやり方はあるだろうが、真摯に文章を書いている方にはぜひ書き続けてほしいと私は思う。

文章に限らず、創作の世界においては悩んだ末に綺麗さっぱり辞めてしまう人も多いが、私はその時その瞬間に、自分の文章が誰かしらに届けばよい気がしている。

例えば飽きられたとしても、またいつか偶然読みに来て、
『懐かしい』と思ってもらえれば、それで良い。


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