コップをひたひたに
こんばんは。そらです。
今日は想いをコップの中身に例えたお話です。
ある文学の授業で夏目漱石の『それから』を取り扱っています。
その中でおじいちゃん先生は、主観的なごく限られた恋愛観でダラダラと好き勝手にお話しします。
それに「世の中の男は…」「大抵の女の人は…」といった主語の大きいままに(笑)
いろいろと問題はありそうですが、まあそれはいいのです。とてもたのしそうなので
さてさて、コップの話に移りましょう。
『それから』では、結婚した男女と以前から想いを寄せていた男の三角関係がかかれています。
そこで、女の人、男の人それぞれの愛や恋愛的好意は、グラデーションのように段階のあるものなのか、それともゼロか100かのような話が持ち上がったのです。
おじいちゃんは、それを愛のコップと例えました。
人をそれぞれコップに例え、そこに注ぐ愛の量について考えだしました。
結婚相手(ないし恋人)に注ぐ愛がコップいっぱいで100の状態のとき、他のコップ(ほかの男)には一滴も注がれないのか
おじいちゃんは男の人はゼロか100なんだろうと言っていました。
でも女の人はそうじゃない、と
みなさんがどう感じるかはわかりませんが、私は複数のコップに愛を注ぐ派です。
過去の男もいまも、どんな関係の人であろうと、愛しいと思ったその分だけ注ぐのです。
もちろん、違った種類の愛しさです。
そのときなんとなく感じるのは、量や濃さではなく、"色"だけが明らかに違うということ
あ、いまふと思ったことですが、
過去の男に対して注いでいた愛を全部こぼしてしまうのはもったいない、少しだけでも想いが通じ合っていた過去の証として残しておく
すると
後々、美化された思い出に浸ったとき違う色の愛しさが注がれるのです
最初の色とも違う、別の色を注がれて、それによってまた違う色へと変化する。
そうやっていろんなコップがひたひたになっていくのですね。
よかったらですが、みなさまのコップがどうなってるのか聞けたらとてもうれしいです
どこの誰かわからないひとの
スキが原動力になりますので。
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