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sora
2021年2月7日 14:04
私の父が亡くなったのは、平成31年3月でした。元号が平成から令和になると発表されたすぐ後のことです。「父さん、平成が終わるね。令和になるんだね。」と毎日話しかけていました。そして、まもなく三回忌を迎えようとしています。丸二年。早かったような遅かったような。当時は毎日辛くて辛くて悲しくて、ネットでは「時間薬」という言葉をよく見ましたが「そんなの効くわけない!この悲しみが癒える時なんて来るの?
2021年2月8日 19:58
平成30年9月中旬。仕事を終え、自宅アパートでのんびりとくつろいでいた20時頃に携帯が鳴りました。母からです。いつもの調子で、私「もしもし。どしたの?」と電話にでました。軽い世間話をしたあと、母「実は、父さんなんだけど。」私「ん?どした?」と言いながら、胸騒ぎと共にものすごく嫌な予感がしていました。母「少し前から歩くのが大変になっちゃって、この前整形外科に行ったんだけど何でもないっ
2021年2月10日 18:08
母と電話で約束をした週末、父が入院する病院へ会いに行きました。「私はうまく笑えるのだろうか…」そんなことを考えながら病室の中へ。すると穏やかな表情の父が私に目をやり、名前を呼びました。「父さん、どうした?」声をかけると、「参ってるんです」と冗談ぽく微笑みました。ベッドから起き上がり、立ち上がる際にふらつきがみられたので
2021年2月12日 20:10
お見舞いに行った翌週、母と叔母の付き添いのもと、車で30分程の市外の病院へ父は転院しました。私は仕事のため行くことができませんでした。約3週間程の放射線治療を経て、またもとの市内の病院に戻ることになるのですが、この期間に父の容態は大きく変わってしまいました。仕事をしていた私は毎日父に会いに行くことはできず、2日から3日に1回、1時間程度のペースでお見舞いに行っていました。母は毎日朝から夜ま
2021年2月17日 21:47
平成30年10月初旬。父が放射線治療を終え、再び転院する日を迎えました。朝8時過ぎに病室に行くと母が既に荷物をまとめていました。父に声をかけるも、眠っており反応がありません。退院の手続きなどをし、病室にいると介護タクシーの方がみえました。挨拶をして行き先を確認すると、看護師さん4名がかりでリクライニング型車椅子に移乗していただきました。父は身体が大きく、体重は当時80キロを越えていました。
2021年2月20日 18:58
大泣きしながら車で父の病院に向かいました。容態が急激に悪くなったため、4人部屋から個室に病室が変わっていました。看護師さんに案内され、中に入ると母と妹がいました。「お姉ちゃん久しぶり。」妹も泣いていました。妹は、県外で一人暮らしをしていたのでなかなか病院に来られなかったのですが、母から連絡を受け駆けつけたとのことです。父は点滴を受けながら眠っていました。高熱のため、時々うなされてい
2021年2月25日 17:19
朝から私は父が入院する病院に向かいました。母と妹が一晩中父の付き添いをしてくれて、病室の中に入ると二人はとても眠そうにしていました。私「おはよう。昨日はお疲れさま、どうだった?」妹「もう、すごかったんだよー!」と言いながら笑う妹。母「点滴の針を抜こうとしたり、突然動き出しちゃって、ベッドから落ちはしないけど!大変だったよー。二人で仮眠取りながら交代で見てたけどね。」は?昨夜まで