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「KIGEN」第二十四回


「分かったから落ち着けよ。何を前提にした発言か知らんが、国を端から敵視するなよ。まだ何も起こってないんだ。それに元々は国の極秘プロジェクトだと聞かされたんだ、本当に国家プロジェクトになる可能性だってあるんだぞ。奏氏主導で動けるのなら、それは決して悪い話ではない」

 奏は大人たちの議論へ耳目を傾けながら、自分が今後どう動くべきか、いちごうにとって何が最良かを考え続けていた。その場しのぎで偶々口へ出した「国」の存在が、彼等のような宇宙相手の大規模な組織の人間の口から出ると、急に現実味を増した。自分の夢の為に作り上げたものが、どんどん手の届かない場所へ離れていくようで心許ない。けれどもいちごうを生み出した事を後悔はしていないし、今後もしたくなかった。あの日の真相を解明して、いちごうの今後を明確にする為にも一歩踏み出さなければとも思う。どうやら対等に扱おうとしてくれる積りらしい三河の奏氏発言に、少し荷が重い。

 いちごうは奏の心情が誇りと重責と現実の三つ巴となって葛藤する表情を静かに眺め見て、それからゆっくり、しっかりと視線を合わせた。意志を持った眼差しを注がれて、奏は釣られたように黒目を運んだ。同い年のはずなのに、いちごうはこんなにも大人びた横顔を覗かせる。息遣いが安穏として、奏の心に伝播してくるから不思議だった。奏の落ち着きを見計らって、いちごうが自発的に発言をし始めた。二度目の事だった。

「奏、私には夢が出来ました」

「ゆめ?」

「私は、相撲がしたいです。いつか大相撲の力士になって、大勢の観客の前で相撲を取って喜んでもらいたいです。そして、横綱になって、お父さんを喜ばせたいです。私は奏と一緒にこの夢を叶えたい。それが、私の夢です」

あの日テレビ画面越しに受けた大相撲の迫力。それはいちごうにとり、刺激的で、紛い物であるだろう心さえ揺さぶられて、いつの間にか生きる目標になっていた。味わった事のないものが、風の図鑑にも雲の図鑑にもない、花の名前でもなくて、人体解剖学の文字を読み尽くしても見当たらないものが自身の内に渦巻いて、暫くの間、その伝え方は不明だった。だがたった今分かったのだ。その名は、

「夢」あるいは、「希望」。

 自らの手で、自らの努力で掴むものらしい。そのために、いかなる勇気も惜しまず披露しなければならないのだという。いちごうは、学んだ知識を活用して自ら選択し、その結果を初めて口に出したのだ。

「ですから私は、今よりもっと広い世界へ出て行きたいと思います。そうしなければいけないだろうと思うんです。外の世界で、夢の為に頑張ってみたいです。奏、皆さんを信じて、力をお借りしませんか?私に挑戦する機会を与えてみてくれませんか?」

 穏やかに、しかし意志の籠ったお願いだった。いちごうの瞳はガラス製のレンズである。それなのに向き合う奏はいちごうの瞳に熱を感じた。まるで運命に引っ張られるように、抗い切れない定めに従うかのように、強い意志が働いていると思った。いちごうの意志が自分の深層心理に溶け込んで、躊躇う本心をまんまと引き摺り出されそうな気がした。奏は視線をずらした。ずらした先には渉の顔があった。目が合って、又逃げようとした息子を、渉の一言が捉まえる。

「正直に言ってごらんよ。その方がいい」

 いいの?と奏の瞳が様子を窺う。渉はあっさりうんと頷いた。

「よろしくお願いします!」

「いきなり決断したね。数秒前まで戸惑ってたのに」

「だって、みんな心配しないでいいって顔で僕のこと見て来るし、それに―」

 奏は二人の胸のワッペンを見た。

「JAXAと一緒に研究できるなんて、そんな夢みたいな現実ないよ」

 とうとう本音を白状した。顔の中央で小さな小鼻が二つ膨らんでいる。上気した頬からははち切れんばかりに喜びの感情現れそうなのを、鼻から抜き出して知らぬ顔していようという魂胆だ。その魂胆が見え見えで、周囲はようやく奏が若い子どもである事を実感できた。矢留世はにっこり笑って立ち上がると、右手を差し出した。

「よろしくお願いします」

「こちらこそっよろしくお願いします!」

 大粒の光を放った奏の黒目を、三河は奇麗だと思った。


 今後の手順を相談する中で、奏が思い出したものを口にした。

「そうだ、いちごうに性別はありません」

「え、そうなの?」

「男性的思考が多い様にも思われますが、それは普段いちごうが接するのが僕や父が多いからです。けれどいちごうの基盤は人工知能です。学習次第で言語は勿論言葉遣いも思考も、全て相手に合わせられます。それから、体は中性的に作ってあります。いちごう自身、今の所男女の区別を付ける様子はありません」

「だって奏が決めてくれないから」

 いちごうは両手を身体の前で捩じってもじもじして見せた。大柄ないちごうがやって見せても滑稽でいじらしさはない。

「時々こうして不必要な言動を披露して僕等を困らせますけど、故障ではありません。適当に相手してやって下さい」

「はは、わかったよ」

 酷いな奏、と口では不満を訴えながらも、いちごうは満更でもないらしく顔が笑っている。豊かな表情を生み出しているのは、シリコンの功績ばかりではなさそうである。合間に戯言言い合いながら、彼等の事前会議は幕を閉じた。

「それでは本部との話がつき次第こちらへも連絡します。よろしくお願いします」

「こちらこそよろしくお願いします」

                    (三章・研究所の真実・終)


第二十五回に続くー



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