見出し画像

短編「かなまう物語・下」



 ぼうぼうだった草に元気がなくなった。風が強まり、細い路地にも舞い込んでは落ち場を転がしてゆく。秋が来たのだ。

 手紙は相変わらず届けられていた。箪笥の上へ積んでいた手紙はいっぱいになって雪崩を起こしたため、男は箱を一つ用意した。押し入れにしまってあった段ボールの一つだ。最初に屑籠に投げ入れた手紙もいつの間にか拾われてそちらへ入った。手紙の封筒の色や柄はいつも様々で、段ボールの中は男の家の内で一番カラフルだった。

 今日は何が書いてある?

 手紙を取り込んで早速便箋を広げる。にょろにょろはもう大分少ない。屹度きっと毎日練習したんだろう、平仮名を随分沢山覚えた様子だ。

 最初は多分「こんにちは。」「は」がひっくり返っている。それから一寸読めない。にょろにょろときて、ここは「この」・・「この」なんだろう。また「は」がひっくり返っている。それからにょろにょろが多いが、最後は「きをつけて」が罫線をはみ出して書いてある。「を」が難しかったんだな。三行分の「を」だ。一文字でも多く読めれば男はそれで満足した。

 

 秋が深まる内に、手紙の届く回数が少しずつ減っていった。あんまり寒いから外へ出るのが億劫になっているんだろう、俺も億劫だ。と男は思った。

 

 木枯らしが細い路地を通り越して、男の家の窓をカタカタ鳴らして、とうとう雪が積もった。明けて除夜の鐘を一つ聞いてから眠った男は、昼頃にのそり起き上がると、朝刊を取りに外へ出た。郵便受けからはみ出すほどの厚い新聞の束を引っ張り出すと、一緒に手紙が出てきた。

 そうか、来たのか。

 真っ赤な封筒には鏡餅と羽子板、便箋には達磨や独楽など新しい年に相応しい絵柄がちりばめられて目出度めでたく賑やかだ。男は上から下までじっくり二度読み返して文を読み解く。にょろにょろはもうほとんどない。兎に角多い「に」の前の文字が近頃読めるようになった。「に」の前は「お」だ。つまり、「おに」という文字がよく現れる。おそらくあの小さな女の子にはお兄ちゃんがいるんだろう。それで兄貴への愚痴めいたものを俺に訴えて来ているに違いない。男はこう考えて、兄妹の関係性を想像しては頬を緩めた。

 今度の手紙には、「あけましておめでとうございます」という挨拶とほかに、お正月にはなにを食べるかの質問、「おに―はだいふくとたけのうつわでのむ―(にょろにょろ)―」とここは解読できなかったが、「がおいしい」という話だった。「おにはたくさんたべます」とも書いてあった。育ち盛りなんだろう、羨ましい話だと男は思った。

 年が明けてからはまた少しずつ手紙の届く回数が増えていった。大体三日に一回のペースで郵便受けが明るくなる。もう随分書き慣れた平仮名はどれも立派で、「は」や「わ」のひっくり返ったのもなくなった。そうして最近気になるのは、本当にお兄ちゃんがいるのかという事であった。「おにい」と兄貴のことを省略して書いているとばかり思い込んでいたが、そんな風には読み取れない文も多い。

 ・・・おに・・・・・?

 男は疑問を抱えながらも、小さな女の子が郵便受けへ手紙を投げ込む瞬間に出て行って、直接質問を投げかける気持ちにはなれなかった。互いに名前も知らない間柄だ。なぜ自分の郵便受けへ手紙を投げ込むのかも未だに謎のままだ。ひょっとすると家の郵便受けが赤いから通りの郵便ポストと勘違いしているのかも知れない。いずれにしてもいきなり戸口から厳つい男が出てきたら、小さな女の子は驚いてしまうだろう。泣くかもわからない。そういう感情の混乱は避けたかった。

 

 それからまた数日の後、手紙が届けられた。菜の花色の便箋一枚をゆったり使って、丁寧な平仮名でこう書いてあった。

 

「こんにちは 

わたしがおにだとわかったらおこりますか。

おにでもいいですか。

おにはすきですか・・・

おともだちになってもいいですか」

 

 立春を明日に控えてもまだ肌寒い日だった。男は丁寧に手紙を畳むと元の通り封筒へしまった。

 夜、男は鰯を焼いてむしゃむしゃ食った。できるだけ沢山、悔いの残らぬように頭から食った。

 

「おれと おともだちになるのは やめておきなさい。ともだちが ほしいなら ほいくえんに いってごらんなさい。たくさんいますから」

 

 最初で最後のつもりで手紙を書いた。こんな手紙を受け取れば、あの小さな女の子ももう俺なんぞに手紙を寄こそうなんて思わないだろう。男は鰯の臭いが残る手で、自分の手紙を自分の家の郵便受けへ投げ入れた。

 

「おてがみありがとう。うれしかったです。」

 

 男は大豆を鷲掴みしてはむしゃむしゃ食った。

 

 翌日から手紙は来なくなった。

 

 男の手元には小さな女の子からの最後の手紙がある。「おてがみありがとう。うれしかったです。」その後へ、「さようなら」と鉛筆で一度書いて消した跡が残っているのを、男は何度も目でなぞるのだった。

 

 一つだけ後悔している事があった。


 ありがとうと、言えばよかった。

 

 これは忘れられた路地の片隅で起きた、ほんの小さな仮名舞う物語だ。

 

 

                           おしまい




この記事が参加している募集

子どもに教えられたこと

私の作品紹介

お読み頂きありがとうございます。「あなたに届け物語」お楽しみ頂けたなら幸いにございます。