見出し画像

掌編「あの人を待っている」

 白状する。あの人を待っているんだ。私はあの人が来てくれるのを、ずっと毎日、待っているんだ。

 日が昇って、眠りから覚めた私は、「あの人は来てくれたかな」と思う。冷たい水で顔を洗う時も、あの人のこと、考えている。外へ出て、背伸びして、空に残る月を見つけた時、あの人にも教えてあげたいと思う。「白い月が、まだ綺麗ですよ」って。それから今年の山は、いっそう紅葉が見事で、紅と黄と、緑と、橙と、色が豊かで、本当に綺麗で。あの人はもう、秋を見たかな。

 いつ来てくれるかしら。そう思うと、どきどきする。でも、やっぱり来てはもらえないかもしれない。約束もないことだから、ただ私が待っているだけだから、それでも勿論仕方が無い。けれど私は、それでも出来る事をやってみた。「来てください」「是非見に来てください」ってお願いすることは、やってみたんだ。煙たがられてしまったかもしれないけれど、そういう悲しい想像は、嫌だ。何も言わないままは、もっと嫌だ。手が震えて、柄にもなく溜め息なんて吐いちゃって、それでもやっぱり、言いたかった。きちんと、伝えておきたかった。

 私はどうして、あなたにこんなにも来て欲しいと思ってしまうんだろう。世界中で誰よりも、あなたに読んで欲しいと思ってしまうんだろう。

 参った。全く降参だ。だって分からないことだらけなんだもの。それなのに私は、こうして待っている。毎日毎夜、瞬きをする間も、車に乗って、鞄を抱き抱えている時も、ずっと待ち遠しくて、わくわくさえしている。あなたが或る日「読んだよ」って現れる日を思って、胸を高鳴らせている。変かしら。私はどうにかしちゃったかしら。

 いえ、私は、正気です。心も体も、健康体なのです。至って真面目に、冷静な、積りなのです。ただ、もしかして、頭の方が、のぼせてしまっているかも知れません。しかし、聞いて下さい、どうか、信じて欲しいのは、全部、私だってことです。全てひっくるめて、一つの私なのです。

 真面目に、ありのままの私が言います。

「私は、あなたが来てくれる日を、待っています」

この記事が参加している募集

スキしてみて

お読み頂きありがとうございます。「あなたに届け物語」お楽しみ頂けたなら幸いにございます。