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「KIGEN」第八十四回


 


 横綱昇進が決定して以来、諸々の手続きやら挨拶などと、土俵の外で多忙な日々を暮らす基源だが、デジタル化が進んでも目視は重要だからと、研究者奏が強引にメンテナンスへ彼を連れ去る。花道の奥でばったり倒れたことで、内部の損傷が激しい事が改めて証明された。何としても刹那プログラムで交換を試みたい奏たち研究チームは、臨床段階とはいえ、基源にはAIが備わっている為危険が生じればすぐに中断を選択できると結論付けた。だが基源がまたしてもうんと言わない。

「それはズルだよ。駄目だよ」
「ズルじゃないよ。基源の体には必要な措置だよ」
「肉体もあるんだから、条件は同じだよ」

 まただ。と奏は思う。同じではないのに、同じだと言い張る。だが、基源の意志を覆す事は出来なかった。結局最新技術を使い、肉体の外側から4Dの立体映像で基源の細部に至るまでを可視化して、異常が無いか検査するにとどめた。モニタに映し出される基源の内部は、チタン部品と共に、人と同じ細胞からなる肉体があり、血が流れ、脈打つ心臓が動き続けている様子が良く見えた。基源自身のAIに最終チェックをさせて、健康体である事を確認し、メンテナンスを終えた。

「いつか相撲が取れなくなったら、奏博士の新技術、好きなだけ試させてあげるからね」
 基源はそう言って部屋へ帰っていった。横綱奉納土俵入りを一週間後に控えている、陽気な力士だった。


 新たな年を迎えて間もない一月下旬の明治神宮である。新横綱となった基源、天秀峰の両雄が、初めて横綱奉納土俵入りを披露するとあって、往年の大相撲ファンをはじめ、若い世代からも大いに関心を集め、全国から人が集まった。またNHKと民放各局もテレビとネットで同時中継を行うなど、報道関係者だけでも相当数が集まった。NHKは放送席を特設して、大相撲場所中もお茶の間へ相撲の醍醐味を届けているベテランアナウンサーと解説者を配置する力の入れようだ。馴染みの顔が並んで新横綱たちの雄姿を見守っている。


 爪の先まで美しく張り出された右のかいなが、大地を巻き込み抱く様に持ち上げられてゆく。惜しみなく日の下へ露わになった大器がせり上がる様は、勇ましくも落ち着いて、その地位を得た者にしか味わう事を許されない、まさしく頂の景色を瞳に焼き付けて行くようである。やがてしなやかな流線を維持したままの腕は右手が返され、意志は滑らかな運びを持続して、続けて左手がぱっと翻すと、悠然たる風格、いよいよ大きな四股を一つ踏む。美しく空へ、高く持ち上がった足が地面を踏むその瞬間、詰めかけた大観衆の口から一斉に、大地割らんばかりの轟き。

「よいしょ!」

 清浄なる境内にあまねく響き渡った。

 澄み切った青空、短い日は早くも傾きかけて、足元にはそろり影が差す。冷たい風が吹き込んでは静かに場を祓い、固唾を飲んでその時を見届けようとする観衆の頬を撫でていった。一月にしては珍しく、穏やかな晴れの日であった。

「美しいですねえ。あの大きな体を伸び伸びと広げ、爪の先まで研ぎ澄まされた堂々とした佇まいに、惚れ惚れと致します。いかがですか、解説の北極さん」
「うん、奇麗ですよ。よく練習して来たんでしょうね。基源が雲竜型。天秀峰は不知火型。両者共に壮大にして美しい、立派な土俵入りだと思います」
「そうですね」
 アナウンサーはにこやかに語った。

「あれが人じゃないとか言われても信じられない」
「寧ろあの姿こそ本物の大横綱の貫禄」
「かっこいい」
「新たな歴史に立ち会わせて貰えた、まさに僥倖だわ。感謝」
「美し過ぎてこちらが息するのを忘れる」
「とんでもない時代に生まれてたって今気づいた」

 ライブ配信で新横綱たちの船出を見守っていた人々からも、手放しの賛辞と祝福のコメントが溢れ返っていた。

 この国の人々は、心から基源を受け容れたのだ。


 二〇三四年三月場所。新横綱基源は恐ろしい程の勝ちへの執念を見せて終始他を圧倒し、全勝優勝を飾った。そして一夜明けて迎えた優勝報告の記者会見の席で、自ら引退を発表した。親方には夕べの内に引退の申し出をして、既に受け容れて頂いたという。突然の引退発表に驚きを隠せない記者たちからは、何故という当然の疑問が次々投げられた。基源は穏やかな笑みを浮かべて、静かに口を開いた。

「器の限界です。皆様御存知の通り、私の基盤はロボットです。中学卒業と同時に垣内部屋へ入門させて貰って、これまでの全てを相撲人生に注いできた事で、随分無理をしました。もうお客さんを喜ばせる事が出来ません。申し訳ありません。

 奏をはじめ研究チームは何度も部品の交換を進言してくれましたが、私が拒否して来たんです。例え機械の損傷が激しくても、与えられたこの肉体一つで人類と対等にありたい。対等な関係で相撲道を歩みたい、その一心でした。どうしたって別の生き物であるのに、同じであろうとしたのです。同じである事に拘ったのは、誰より私自身だったのです。結果的に相撲人生が短くなると知りながら、奏はわがままを聞いてくれました。生みの親であり、家族であり、親友の奏に、私は心から感謝しています」


第八十五回に続くー


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ようこそいち書房へ。長編小説はお手元へとって御自分のペースでお読み頂きたく思います。

「AI×隕石×大相撲」 三つの歯車が噛み合ったとき、世界に新しい風が吹きました。 それは一つの命だったのか。それとももっと他に、相応しいも…

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