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「KIGEN」第八十五回


―垣内親方へ引退を申し出る数時間前、基源は奏と会っていた。奏に真っ先に告げると初めから決めていたのだ。

「私は人工知能を持っています。自分の心と器のことも計算できます。誰よりも詳細にデータが取れます。無論あなたも知っているでしょうが。
 奏、私の期限が近い。あちこち痛い。苦しい。老化が進みはじめている。白髪も混じるんだよ。私はどうも、人類とは成長速度が違うようです。私の持つ全ての知識とかけがえのない経験は総てデータ化して奏の元へ送ります。約束だからね。生み出してくれてありがとう。形にしてくれて、ありがとう。御蔭で幸せな人生を歩みました」

「僕の手柄じゃないよ。隕石が運んだ宇宙のアミノ酸と科学の・・・いや、やっぱり君の努力だよ。こんな壮大な浪漫に遭遇して、長い、大きな夢を見せてくれて、いちごう、本当にありがとう。御蔭でとっても幸せな人生を歩みました」

「奏」
「ん?」
「これからも夢の続きを見せてね」
「わかった」―


 記者会見の席で奏への感謝を述べた基源は、続けて親方を始め支えてくれた周囲の人々を順にあげては感謝の言葉を述べた。その名前の内には、数年前に突如表舞台から姿を消した犬飼教授の名前もあった。今はミツバチの研究に勤しんでいるという噂である。さらに四月から理事長に内定している十勝の名前も挙げられた。基源の相撲人生を蔭から日向から援護しては基源に影響を与えたことは間違いなく、彼はそれを忘れた事は無かったのだ。そして、記者が質問投げかける前に、長年切磋琢磨し、同時に横綱へ上り詰めた天秀峰へ自ら話を及ばせた。

「ライバルと言われ続けて来ましたが、私には尊敬する力士の一人でした。入門こそ殆ど同時期となりましたが、あちらが年上です。人生の先輩なんです。相撲に関しても、天秀峰関は天賦の才を持っていると思います。加えて努力家で、怠ける事を知らない。抜群の相撲勘を持っている人だと思いますし、そういう彼だから、相撲の神様が認めてくれたんだと思います。私は土俵を去りますが、横綱天秀峰の活躍を、これからもずっと見ていたいと勝手に期待を寄せています」

「最後に、相撲ファンの皆様へ一言頂けますか」
「一言!?無理だよ、一言でなんて語り尽くせないよ」

 基源がおどけてみせると、記者たちに和やかな笑いが広がった。

「でも、そうですね、大相撲はお客様あっての伝統、国技なのだと常々実感していました。私たちが真剣に取り組めば、まわりのお客さんが喜んでくれる、応援してくれる、温かい拍手で包んでくれる。それが本当に幸せでした。相撲ファンの皆様の声援が、人生の励みでした。心から感謝しています。今こうして万感の思いで角界を去ることができるのも、皆様の御蔭です。これからも角界を見守っていて下さいと伝えたいです」

 そう締めくくり、基源は会見を終えた。

 横綱基源の僅か一場所での電撃引退発表は大きな注目浴び、連日各メディアが関連記事を出しては引退の理由を深堀りして、中には事実と呼ぶには根拠のない、無暗に憶測を呼びそうなものも多く、協会は報道規制を要請する等対応に迫われていた。そんな中、例のローカル東京が「横綱基源の軌跡」と題して基源の相撲人生を総括する冊子を出した。ところが相撲関連の話よりも、全く別の角度から切り取られたものが、世間をあっと驚かせる事態となった。

 それは独自取材の結果、基源の体内には宇宙アミノ酸を含む隕石が存在していると考えられると、全ての発端は宇宙から運ばれて来たのだろうと主張する内容だった。新聞に挟まる折込チラシと同じ扱いでありながら、この冊子は大反響を、というより大騒動に発展してしまった。隕石や宇宙アミノ酸など、本来ならば人工知能ロボとは関係無さそうなものだが、基源の研究チームがJAXA所属である事がいかにも説得力を持ち、「だからJAXAだったのか」と、記事の信ぴょう性を疑うよりも反対に納得する者の方が圧倒的意見を占めたのだ。こうなると相撲協会にはお手上げだった。この騒動を鎮められる機関と言えば当然一つしかない。

 JAXAは素早い対応で会見を行った。

「隕石の存在は事実です」

 きっぱりと告げると、会見場がどよめいた。

「だからこそ、我々にとっても基源との歩みは未知なる旅路でした。しかし長年の研究により、ようやくわかって来たものがあります。まず最初に断言しておきますが、宇宙アミノ酸そのものにも隕石にも、人体に驚異のパワーを授けるような力はありません。ですから、基源の力士人生は他の力士と同様、彼の弛まぬ努力と精進が生み出したものに違いありません。では、宇宙アミノ酸が彼にどんな影響を及ぼしたのか、まずはその体内において、隕石の極々小さな欠片を発見するに至ったところからお話ししようと思います。皆さんよろしいですか、今日(の会見)は時間がかかりますよ」

 お茶目な発言が記者たちの笑いを誘う。今日の記者会見で大勢を相手にマイクを握るのは、奏からチームリーダーを返還された矢留世である。いつの間にか大きなプロジェクトへと発展したチームの研究だったが、場数を踏む内矢留世はすっかり逞しいチームリーダーへと成長していた。もう三河が保護者役として付き添う必要は無く、今日は同席もしていない。矢留世の隣へ座るのは、資料の補佐などを行うチームの後輩だ。

 矢留世は、基源と奏との出会いからを丁寧に語り出した。そして、ようやくわかって来た最近の研究成果について触れた。


第八十六回に続くー


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ようこそいち書房へ。長編小説はお手元へとって御自分のペースでお読み頂きたく思います。

「AI×隕石×大相撲」 三つの歯車が噛み合ったとき、世界に新しい風が吹きました。 それは一つの命だったのか。それとももっと他に、相応しいも…

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