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「KIGEN」第六十三回



     八章 「ライバル」

 二〇二七年一月。周囲が早くから予想した通り、ライバルと目された二人が同時に十枚目になった。階級は幕内の次で十両と一般的に呼ばれている。十両以上とそれまでとでは、同じ力士でもはっきりとした隔てがある。十両へ上がると関取と呼ばれるようになる。付け人がつく。食事や風呂が優先される。大部屋を卒業して個室に住む事が出来る。月給が支給されるようになる。髷を大銀杏に結う事ができる。幕下までは十五日間の場所で七番だった取組が、十両から十五番になる。といった具合に、十両に上がる事で力士の待遇は格段によくなり、これでようやく一人前の力士として認められるのだ。

 今度新十両へ同時に昇進したのは、基源ともう一人、飯豊いいで部屋へ同時期に入門した全国高校生相撲のチャンピオン、天秀峰てんしゅうほうだった。山形出身の若手注目株である。彼も早くから本名の佐藤稜平ではなく四股名の天秀峰で土俵へ上がっていたため、相撲ファンにも既に四股名の方が浸透している。入門前から相撲界の期待を一身に背負いながらも臆することなく邁進し、高校生時代からチャンピオンになる等実力がある上、凛々しい眉を持った端正な顔立ちで、滅多に笑みを見せない所が武骨でかっこいいと囃し立てられ女性ファンも多い。かたや土俵を離れるとにこにこ笑顔を絶やさない基源とは対照的だが、こちらにもその愛嬌に親しみを抱いたファンがついており、要するに二人の比較材料へは、相撲の実力のみに留まらず、そういった個性も加えられる事が多かった。

 二人はお互いをライバルだと言い合った事はない。だが角界入りも番付の上がり方も似ている為に取組も多く、存在を知らぬ仲では無論ない。そして、本人同士よりも周囲の方が二人をライバルだと認識する向きが強かった。二人の取組が組まれた日は、その一番を楽しみにいつもより早くから国技館へ足を運ぶファンも少なく無かった程だ。インタビューなどで機会を得るごとにマスコミは、双方からライバル意識の発言を引き出そうとあの手この手で質問するものの、元来が口数の少ない天秀峰は威力放つ眉を一ミリも動かす事無く、ようやく口を開いたと思えば「自分の相撲道を進んでいくだけです」と語り言質を取らせない。それではファンサービスを惜しまない基源はと言えば、マイクが向けば尚にこにこスマイル全開で、質問にもにこやかに答えるが、相手が誰であっても誠心誠意全力で相撲をすると語るだけで決して名指しで誰かをライバルだとは語らない。結局二人の胸の内をはっきりとさせることは誰にも出来なかった。


 朝から雪のちらつく国技館。周辺には色鮮やかに染め抜かれた相撲ののぼり旗が、厚塗りの空を背景に悠然と並び澄ましている。その一番端には「基源」ののぼり旗もあった。新十両となったため後援会が製作してくれた、彼にとり初めてののぼり旗だ。

「ああ!見てみてっ、私のが飾られていますよ」

 国技館入りする基源が早速自分ののぼり旗を見つけて嬉しそうに指差した。付け人が慌てたように周囲を見回して、傍に誰も居ない事を確認すると、素早くスマートフォンを取り出して、のぼり旗をバックにはしゃぐ基源を記念撮影した。それで気が済んだらしい基源はいつも通り陽気な足取りで国技館内へ入っていった。
「雪だねえ」
「雪ですね」

 二人のやりとりが霰の様に真白い空気と戯れた。

 彼が館内へ消えるのを待っていたかのようなタイミングで、近くに止まっていたミニバンの後部ドアが開いた。降りて来たのは天秀峰だった。周囲には目もくれず、挑むように国技館を見据えて、歩き出した。雪も除ける。そんな気迫に満ちた足取りだった。

 一日一番。勝敗は一瞬で決まる場合もあれば、数分間に縺れ込む場合もある。サッカーや野球の試合と比べればあまりに短い時間だ。だが一日にたったの一番というのは、つまりワンチャンス、それしかないという事だ。その一番の短い時間に、積み上げて来た自分の全てを注がなければならないのだ。体だけ備わっていても心が負ければ勝てない。精神が強くても技が無ければ勝てない。技術があっても使える体が無ければ勝てない。「心・技・体」三つ整えて初めて自分を発揮する事ができる。一日二十四時間の内の数分に、今日のピークを持っていく。これが中々難しい。張り詰めたままでは無理が生じ、緩め過ぎても襤褸ぼろが出る。バランスを見極めていくことも自分を磨く一つの修行だ。「一日一番」そこへ人生の全てを賭けるべく、力士は精進を続けるのだ。


 十両に上がった今場所からは十五日間毎日相撲を取らなくてはいけない。体力には自信のある基源だが、力み過ぎてケガをしてもいけないし、ケガを恐れて憶病になるのもよくない。取組相手の事を学び、稽古を怠らず、ケアを念入りに行っては、日々万全の状態で土俵へ上がれるよう、付け人と共に工夫して場所を熟していっている。ここまでの七日間は二勝五敗。初日勝って幸先が良いと喜んだのも束の間、これまでの様には勝たせて貰えなかった。先ずぶつかった時の厚みが違った。今までどれだけ大きな相手だろうと互角以上と思った事は無かった。だが体格や体重差以上の圧力を、当たった瞬間に感じる日があった。まるで壁にでもぶつかったのかと思う程相手が全くぶれないで、あっと思う時にはまわしを掴まれている。挽回しようと動いた時にはもう手遅れで土俵へ転がされる。突き落とされる。ものの見事に土が付いた。そんな日が四つ続いて、十両の地位をようやくにして実感した。基源は考えた。どうすれば勝てるか。どうすれば自分の相撲をとらせて貰えるのか。考えて、考えていると、付け人の一人が、稽古しましょうと言った。


第六十四回に続くー



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