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「KIGEN」第六十四回



「兄さんは強いです。場所中も毎朝必ずしっかり汗をかいてから国技館に入るじゃないですか。自分はあれ、凄いと思います。他の人がどうか知らないけど、真冬にいきなり裸になって汗かく人、見た事無いです。自分は相手をさせて貰っているので、人より早く強くなると思ってます。ですから、稽古しましょう。自分に相手をさせて下さい。迷った時は基本に立ち返る。四股を踏んでぶつかりましょう」

 基源は呆気に取られて付け人の言い分を聞いていた。いつも黙々と付け人をこなす弟弟子が、こんなに熱弁揮うとは思ってもみなかったからだ。だが。

「なんだよ、生意気な事言っちゃってさ」
「えっあ、すみません」
「褒めたんだよ。良い事言うなあって」
「え?」
「その通りだよ。私は強い」
 基源は自分の頬をばちんと思い切り叩いた。付け人の方が驚いて目を瞑った。
「稽古しよう、いつも通り。それで勝つ」

 迷いを振り切った基源は七日目に二つ目の白星を飾った。これで二勝五敗となった。十五番で勝ち越すには八つの白星が必要だ。中日となる日曜日、国技館には満員御礼の垂れ幕が下がった。空席が目立っていた観客席も、取組が進んでいくにつれて徐々に人で埋まり、幕内力士の取組が始まる頃には見渡す限りの大観衆となる。基源の今日の取組は十両の中で終盤だった。いつもより遅い出番。恐らくは取組編成部の采配で終盤に持って来られたと思われる。前日に発表されたこともあって、今日は早めに訪れたというファンも少なくなかった。

 基源の今日の相手は天秀峰なのだ。

 新十両としては互いに初顔合わせの舞台が中日の日曜日に組まれたのは、二人の早くからの人気も鑑みての事だとは、誰もが想像する所である。好取組を期待するファンの熱気を浴びながら、二人が土俵へ上がった。


 一度目の仕切りが終わった直後だった。立ち上がって、東西に別れ、所作が続く―筈だった。だが立ち上がった天秀峰は動かなかった。基源を真正面に置いて仁王立ちしたまま、微動だにしない。館内も異様に気が付いてざわつき出した。天秀峰が初めて闘志をむき出しにしたのだ。基源は尋常にくるりと向きを変えて所作を続けるはずだったが、相手の異様に気が付いた。

 基源は受けて立った。

 射貫くように強い目をぶつけて来る天秀峰を、静かに見返した。だが、堂々背筋を伸ばして、怯まない。双方譲らない視線をぶつけ合い、睨み合いが続いた。客は大いに騒がしくなって、歓声や驚嘆、ヤジが飛ぶ。けしかける声と拍手は断然強くなる。騒然とする館内、行司が声を張るが二人の耳には故意にか届かない。土俵下で勝負審判の審判部長が見兼ねて叱責する。どちらから動き出すか。誰もが固唾を飲んで注目している。遂には怒りに顔を紅潮させた勝負審判がひざ掛けを掴み上げて立ち上がろうとした。

 と、天秀峰が瞼を閉じた。そして、何事も無かったかのように動き出した。殆ど同時に基源の方も動き出した。二人はそれで仕切を続けようとしたが、時間いっぱいの合図を遮り、審判部長が双方を指差して土俵の中央へ並ぶ様指示を出す。自分の正面へ呼んでいる。二人は今場所で新十両となったばかりの新米関取なのだ。例えそうでなくても、不遜な振る舞いは行儀作法も重んじる国技にあって許される行為ではなかった。指示通り勝負審判の前へ並んだ二人は、只今の無作法をきちんと謝るよう叱責された。それで二人はまず各審判に頭を下げた。だが下げ方が浅いとさらに注意を受ける。

「もう少し誠意を見せてきちんと謝りなさい」

 言われて基源は頭を働かせた。誠心誠意謝罪の意思を見せるにはどうするべきなのかを目覚ましいスピードで考えた。そうして閃いた。実行に移した途端、国技館が笑った。基源は素早く後退して身を屈めたと思うと、土俵上で手を着いて、土下座したのだ。止まぬ観客の笑い声にも構うことなく、土俵下の各方面に控える審判と控えの力士たちに向かって、体の向きを変えては額が付く程一礼して回った。四方へ謝罪を終えると、これで良しとばかり安堵の表情でまた勝負審判に向かって起立の姿勢をとった。黙って基源の奇行が終わるのを待っていた天秀峰は、深く頭を下げると四方の土俵下へ向けても同様に一礼して回った。勝負審判は疲労を滲ませながら一度仕切って始めなさいと言い後を行司に任せた。


 ざわざわと落ち着かない館内。張り詰めた緊張は謝罪騒動で掻き乱されて、いまいち締まりのないまま取組が始まった。結果軍配は基源に上がった。押し込まれた天秀峰の足が俵を踏んだと思ったら外側の砂を蹴ったのだった。明らかに集中が切れていた。

 その後同日中に、二人はそれぞれ呼び出しを喰らい審判部から厳重注意を受けた。国技館の通用口で待ち受けていた一部のマスコミが、帰宅しようとする天秀峰へマイクを向けた。五、六人は残っていた。

「今日は気迫が前面に押し出されていましたね。やはり基源はライバルですか」

 真っ直ぐな質問だった。今まで何度も玉砕した、双方に聞き飽きた質問だった。それでも今日の一番を見れば問わずにいられない質問だった。天秀峰は憮然とした顔で前を見詰めていたが、やがてマイクに視線を落とすと、

「ライバルです」

 と言った。囲んでいたマスコミたちが一様に盛り上がる。勢いづいて更なる質問を投げ始めたが、天秀峰はもう相手にするつもりが無いと、軽く辞儀をして自分のミニバンへ乗り込み、国技館を後にした。翌日。この発言を待っていたとばかり、スポーツ各紙はこぞって若手注目株のライバル視発言の記事を書いた。

「昨日は私が勝ったのにー」

 朝刊を広げた基源は、基源は場所中勝っても負けても臆面なく新聞を広げて大相撲記事に目を通すのだが、朝刊を広げるなり煽る様な「ライバルです!!」という大見出しが飛び込んできて、大きな体を仰け反らせて不満気に天へ向かって愚痴を零した。

 十両へ昇進した基源は、一八一センチ、一二一キロになっていた。



第六十五回に続くー


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