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「KIGEN」第六十二回




 不安を搔き立てたのか安心させる気があったのかさっぱりだが、十勝は持論を好きなだけ展開させた。矢留世は十勝の舌鋒にすっかり感心の態で腕を組んで考え込んでいる。三河は言って済ましている十勝の顔を遠慮なく眺め見た。十勝はその視線を受けて立つ。何か?と小首を傾げて問うと、三河は落ち着いた様子で口を開いた。

「随分とお詳しいですな、人工知能について。それに宇宙アミノ酸はじめ、隕石が齎すものの重大さも、よく理解していらっしゃるようです。とても素人とは思えない」
「何が仰りたいのでしょう」
「いえ別に、ただこいつが口を滑らせたから偶然思い出したにしては、宇宙アミノ酸について詳しいなと思ったからそう言った迄です」

 十勝は肩を竦めた。

「事前に何の知識も入れずに突撃訪問する程愚かではないつもりです。折角せっかくの貴重なお話を無駄にしないべく、予備知識は吸収して参りました。それだけです。
 いずれにしても基源はこの国において人とロボットとの本格的な共生に踏み込んで見せた最初の一人に変わりありません。今後将来、予測不能の事態が起こるリスクはあるでしょうが、私は応援しています。相撲協会に於いて、更には横審でも反発を完全に取り除く事は難しいでしょうが、彼自身が真正直な相撲を見せて信用を勝ち取ればいいと思っています。まあ、人にしたってそれが出来れば苦労はないですけどね。それでは今後ともどうぞ御助力賜りますよう、よろしくお願い申し上げます」

 十勝はここでも結局最後は独壇場を披露して帰っていった。

「あの人は本当に相撲協会の理事なのか」
「政治家っぽいですよね」
「いやそれよかうちに欲しい位だよ。お前どうだ、入れ替わっちゃ」
「冗談止めて下さいよ」
 矢留世は本格的に駄目だしされる前に研究室へと足早に戻っていった。


 鏡の前で裸の自分を観察する。胸筋、腹筋、上腕二頭筋、場所を意識して力を入れれば身が締まって筋肉の付き方と肉付きがよく分かる。手で軽く押すとより状態が分かりやすい。昨日よりは付いた気がする。身を捩って背中を向ける。背筋も昨日よりは・・

 と思い掛けて溜め息を吐いた。基源は体の力を抜いていそいそと半袖シャツを被った。この頃の基源は体重を増やす事に苦心していた。もっと重く肉厚な体を作らなければ、このまま上位に上がれたとしても簡単に跳ね返されるのがオチで、親方にも兄弟子からももっと食って太れと言われ続けているのだが、思うように体重が増えていかない。食事内容に気を付け、回数を増やし、筋力トレーニングを日課として、肉体改造の妨げにならないように機械部品の現状把握にも手を抜かない。だがこれまでのように翌朝目が覚めたら毛根が揃っていたとか、指紋が出来上がった等と言うような劇的な進化がなく、体重も増えないのが基源には不満だった。自分はもっとやれるのにとの焦燥も手伝って、体重計に乗る度に、鏡の前へ立つ度にもどかしい気持ちがする。だが一方で、奏をはじめチームのみんなが手を尽くしてくれている事も理解しており、余計に焦っているのかも知れなかった。洗面台を離れる前に、自分に向かってふんと鼻息荒く気合を入れて立ち去った。

 基源の開発責任者である奏は、設備環境の整った研究室の恩恵を実感しつつ、日々黙々と研究に勤しんでいた。奏は相撲に関しては素人なので、スポーツ分野の理学療法士や専門家からアドバイスを受けながら、基源がより良い状態で相撲を取る為に自分には何が出来るかを考えていた。

――人と遜色ない身体で土俵へ上がる事が出来るなら、誰もが認める立派な力士になれるなら・・・もうこれ以上、術痕の残らない身体にしてやりたい――

 それが実現できるとしたら、奏の培ってきたロボット工学と最新の科学技術以外になかった。先日遂に、チタンを電子プログラムの指示のみで融解させて別の場所で指示通りに組み立てるという実験を始めたところだ。

 奏等はナノ分子以下にまで分裂させた微細な粒を、仮称として「刹那」と呼んでいる。この刹那プログラムの研究が上手くいけば、電子プログラムを送るだけで基源の体内にあるチタンを組み替えたり、不要な部分を体外へ排出させる事が可能になる。メスを入れる手術の必要が無くなれば基源の負担は格段に減る。まわし一つで土俵へ立つ力士には、見た目の美しさも求められる。ケガをして止む無くサポーターを付ける力士も居るが、色に配慮を求められるなど、常に美意識を考えなくてはならない。それが伝統ある国技の品格というものらしい。

 基源の体内構造は刻々進化を続けるが、彼が強いのはロボットだからではなく、日々の稽古の賜物だと世間に、相撲ファンに納得して貰わなければならない。基源自身も機械頼みを嫌がり、部品が消耗しても交換を拒んでいる。今の所生命維持に問題の無い箇所なので無理強いはしていないが、肉体の進化が止まればいずれは処置が必要となる。



「基源、届いてるわよ」

 大部屋で弟子数人と雑用を熟していると、おかみさんが声を掛けてくれた。基源は目を輝かせて立ち上がった。早速玄関へ向かうと、段ボール箱が五つ積まれている。それ等は全て源三郎の畑からの直送野菜だ。そして、箱の中にはいつもアイリーからの手紙が一通入っていた。アイリーは日本語を勉強する傍ら、かえでさんから読み書きも習い始めた。覚えたてのひらがなを中心に、一生懸命認めしたためられた手紙を読むのが基源の楽しみだった。そこにはいつでも応援と励ましの言葉が綴られていた。故郷を遠く離れて暮らす自分の胸の内には触れず、いつだって負けないで、応援していると書かれていた。私も頑張っていると力強く書いてあった。基源は手紙を胸に抱いて文字を一文字ずつ脳と心とへ刻んでは、角界での自分の活躍を誓った。何としても恩返しするんだ。それが一途な目標だった。

                      (七章・御機嫌斜め・終)


第六十三回に続くー


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