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「KIGEN」第六十回


 
 もう過ぎた事とさしたる関心も見せずに話を切り上げると、十勝は矢留世へ今から少し時間を貰えないかと相談して来た。口調は丁寧で誠実だが、瞳からは有無を言わせぬ圧を感じ、態度も迫り来る津波のようで、断る余地はなかった。更に十勝は、出来ればチームの人間をもう一人、本心で云えば古都吹奏氏と話したいところだが学業もお有りで忙しいだろうから、チームの研究員であれば誰でも構わない、あなたと他にもう一人呼んで頂き、内密に話す時間を取って欲しいという。矢留世は思わず不機嫌な眉を作った。一対一の相手をするのに自分では不足という意味だろうか。そういう眉である。十勝は矢留世の気圧を感じてふっと頬を緩めた。

「あなたに不足を感じているのではありません。できるだけ詳細に、正しい知識を学ぶ為に私はここへ来たんです」
「知識?」
「それにお尋ねしたい事が何点かあります。これは是非とも二人以上居る場でお伺いしたく思います。どうかお聞き願い下さいませんか」

 多少強引さはあるにしても、初めから内密にだの、詳細にだのと言って、何やら切羽詰まった事情を感じる。矢留世は十勝の内に秘める事情へ興味を覚え、耳を傾ける気になった。急いで連れて来ますと言うと、広報の人間へ十勝を会議室へ案内してくれるように頼んでおき、自身は三河を呼びに研究所へ取って返した。

 名前を聞いただけで相撲協会の理事の一人だなと反応した三河は、矢留世と共に会議室へ直行した。過日の会見を見た限り、相当の切れ者である事は間違いなく、理由がはっきりしないまま憶測で頭を悩ますよりも、対面で素早く本題に入った方が無駄が省けてお互いに良いだろうと判断した。会議室へ入室すると十勝が一人椅子に座っていた。背筋を伸ばし前を見つめ、二人の姿を認めると静かに立ち上がった。一礼して、
「突然押し掛けた上に多忙な皆様を身勝手にお呼び立てして申し訳ありません」
「いえ。どうぞ」

 言って三河は十勝に椅子を勧め、自らも斜め向かいのパイプ椅子へ腰を下ろした。必然的に矢留世は十勝の真正面に座ることになる。頭が揃うなり、十勝は本題に入った。

「私は今日、基源の実態を知るために来ました。人工知能ロボを根幹として生まれながら、いまやその多くは人間と同じ肉体構造となった基源について、より深く学ぶ為に来たのです」

 相撲協会は基源の力士としての素質と、相撲を愛する純粋なる精神を汲み取ったから、特別な枠ではあるけれども合格を与えて全面的に角界へ迎い入れたのだ。だが当初から理事の間にも理解に苦しむ人間、思考の追い着かない人間がいて、賛成派にしても、そこを納得させられるだけの説明が出来るかと問われればNOと答えるしかないのが実情だった。それでも相撲協会が一枚岩となって基源の正当性を証明できなければ世間は納得しない。

「表向きは信用していると言い張っておいて、裏でちぐはぐなままでは今後いつ綻びが出来るとも限りません。それに、賛成派の私たちでさえ、懸念があるのは事実です。ですから私は、古都吹奏氏と共に基源の、AIロボットから人間の肉体へと進化を遂げつつある神秘の肉体を傍で見守り支えて来られた皆様の口から、彼がこのまま力士として生きていくことは本当に可能なのか、科学的に証明できるのかを伺いたいのです」

 協会側にこれ程までに基源に対して熱心な理事がいるとは思いもよらず、二人は驚かされると同時に感心した。
「あなたの言い分はごもっともです。我々はもっとお互いに情報の共有に努めなければいけませんでした」
「恐れ入ります」
 軽く頭を下げて、十勝は再び二人の瞳を順に見た。

「話のついでに伝統ある相撲協会の理事として申し上げますと、かつてない環境へ相撲界を導いておきながら、それが為に土俵を穢す事があってはならないのです。もっと打ち明けてしまえば理事会でAIの参入を押し通したのは私です。ですから万が一の失態があればその時は私の首が飛ぶでしょう。首だけで済むかしら・・いずれにしても私の処遇に関わって来ます。責任という意味では当然の事と思いますからそれは覚悟の上ですけれど、未然に防げるものは対策を講じておくべきでしょう」
「そうですね」

「例えば突発的にAIが暴走するとか、肉体が破裂するとか、そんな危険はないでしょうか。相手の力士を襲うとか、人以上のものに進化してしまうとか・・ああ、そうするともう変身か」

 十勝はどこまでも独り言ちて迷走の気味だ。矢留世は呆気にとられて暫く彼女の逞しい想像に耳目を傾け、三河の咳払いではっとした。話を聞く程に過激な人だなと思う。同じく三河のごほんで我に返った十勝が失礼、と言って話を切ったのを機に、矢留世は居住まいを正して口を開いた。

「我々も正直に申し上げるなら、分かりません、とお答えするしかありません。我々にとりましても、基源に関する全てが未知なのです。彼は余りに特異な存在です。出来得る限り手を尽くすべく、常にあらゆる事態を想定して、生みの親である古都吹奏氏も特別研究員に迎えて、共に基源と向き合っています。今のところ人工知能も体内に残すチタンも、それにヒト細胞の管轄するところと云えばいいでしょうか、肉体は全て正常に動いています。各器官も順調に働いています。そして肝心の宇宙アミノ酸も、それだけが特異な動きをしているという事は無い様子です」


「宇宙アミノ酸?何ですかそれ」


第六十一回に続くー


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