見出し画像

「ひぐらし、雀の集会所、白桃の月」


 雨上がりの夕方、休日の国道は常よりも静かで、山の声がいつもよりもよく聞こえる。終日隠れていた長い日は、暮れる前に少しだけわが家の物干し台をオレンジ色に照らした。そうして今は蜩が鳴いている。

 もう夏だ。先日から職場へ向かう道中にも蝉の声を聞くようになった。これから一層賑やかになるだろう。夏が盛んと降りしきるのだ。近所の線路を、たった今電車が走り去った。夜も更ければ踏切の音さえ鮮明に届く。週末の夜空には久し振りで月が昇っていた。白桃色で麗しく、またしても暫し見惚れた。空き家の払われた跡地にはネコヤナギが群生し、雀が集会所に使っている。人の足が近付くと一斉に飛び立つ。みんな小さい。ふくよかな胸を持つには餌に乏しいのだろう。少し侘しい。

 新たに取り組み始めた長編がむつかしい難しい。いや違う、勉強しなければと思う事が多く、それなのに物語は先走ってぐんぐん進んでゆくし、全体のバランスを取りながらプロットに仕立てる時間と手が、思う様に追い着いて行かないのだ。
 これは多分、妖怪ばらばら仕立ての仕業に違いないと思う。噂によると何でもかんでも辻褄合わせできなくなる様に人の傍をちょこまかと動き回るらしい。好物は白ごまで、一粒を両手で持って食べるというから随分小さいのだろう。全くもっていい迷惑だが仕方がない。筆者は妖怪にも在る程度までは寛容なものだから、忙しない彼等にも白ごまを与えて、気が済んだらお帰り願おうと思う。


 そう云う訳だからプロットは曖昧に、「出来上がった風」のまま、書き始めちゃった。この遣り方は少々間違えている感が否めない。だが、どんな困難に心身を翻弄されようとも、心に留置きたいのは「楽しむ」と云う事である。これをどうにも忘れがちになるのだ。前のめりに書いたって面白くなるかどうか分からない。命懸けになるのは勝手だが、物書きを楽しんで生きて行きたい。人へ読んで貰えるかどうかは別の話になるけれど、煌めく一行を生み出すために、「楽しむ」ことだけは忘れない様にしよう。

 と、一日の内で執筆に充てられる時間は限られる癖、長編執筆は集中力を要するから、こうしてちょこちょこ短文の息抜きしに逃げて来る。蜩が鳴いたのを言い訳に逃げて来た。もう、帰る。

 いい息抜きになったヨ。                                                  

                           文・いち


この記事が参加している募集

私の作品紹介

夏の思い出

お読み頂きありがとうございます。「あなたに届け物語」お楽しみ頂けたなら幸いにございます。