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「KIGEN」第六十七回




 基源は負けを引き摺らなかった。昨日の黒星を感じさせない程元気の良い相撲を取って十勝目を上げると、翌日も気迫の籠った相撲で一つ星を伸ばした。そして十三日目、今場所は少し精彩を欠いた天秀峰との対戦が組まれた。基源を堂々ライバルだと宣言した天秀峰が、今場所好調な基源を楽観視する筈がなく、互いに闘志むき出しの熱い一番となった。十両の取組でありながら、館内も大きな盛り上がりを見せたこの一番、結果は上手出し投げで天秀峰に軍配が上がった。互いに得意とする投げ技で勝負を決める所に天秀峰の意地があった。負けた基源はまた悔しさを味わった。だが今場所は残り二日ある。そこに全集中力を持っていく事が基源にとり最重要だった。白星が欲しい。そう思う程に体が強張る。十四日目にして今場所初めて二連敗を喫した。これで基源は十一勝三敗となり、星の差一つで優勝争いの先頭を走ってきたが後がなくなった。


 千秋楽。基源の相手は白星が一つ少ない力士だ。つまりこの直接対決で勝たなければ優勝決定戦に縺れ込む。支度部屋で基源はいつも通り入念に体をケアして四股や摺り足で温めた。優勝や相手の成績云々は考えず、今日は奏に白星を送ろうと決めていた。千秋楽の今日、東京から奏が客席に駆け付けると連絡を貰ったのだ。全場所毎日応援すると言って地方にまで毎回駆け付けてくれる渉。番付が上がる程に生で見るのを怖がって配信やテレビ観戦が主体となった智恵美。そして研究の合間に、場所中必ず一回は駆け付ける奏。古都吹家は三者三様の形で基源の相撲人生に寄り添っていた。


 十両優勝が決まる一番。二人の四股名が呼ばれると館内は大きな拍手に包まれた。熱戦を期待されている。基源は落ち着いていた。仕切りの間もあたりの様子がよく見えた。審判部長が今日も変わらず厳しい顔で全体を監視している。箒で俵の周囲が掃き清められていく。足袋の運びはいつ見ても軽快だ。行司のこめかみが動いた。もうじき軍配が返る。時間いっぱいだ。東の控え力士が瞬きを二度繰り返した。一秒、また一秒と進む時を尋常に数えて、いよいよ勝負の立ち合いだ。

 ばちんと音がした。相手も真っ向勝負を挑んで来た。互いに挑戦者の気持ちであり、勝って上へという気持ちは強く、譲れない思いがぶつかり合う。まわしを掴む手が伸びて、殆ど同時に掴まえた。がっぷり四つだ。下半身の重い基源は組むと安定さが増す。相手は短期決戦を望んでいた。基源が僅かに腰を落とした時、相手がここぞとばかり左右に振ってまわしを切りに掛かった。ここが分かれ目だった。


 大相撲七月場所・十両優勝 東十両三枚目 基源一剛(きげんいちごう)垣内部屋・十九歳 成績・十二勝三敗


「ええ、見てたわ。動画配信でもちゃんと映ってたもの」
「母さん、基源は本当に凄いよっ、努力の天才だ!優勝、優勝だよ!関取になって初優勝だよ!」
「基源は電話に出られないの?直接おめでとうが言いたいけど」
「無理だよ、今から優勝インタビューだもん」
「それ配信されるのかしら」
「さあ、そこまでは分からないや」
「あらそう・・・私もそっちに行っておけば良かった。後でお父さんに今度は行くって伝えておこうかしら・・でもねえ」
「次はまた東京だから、又決めるといいよ、それじゃ、切るね」

 話が長引きそうになったので、奏は一方的に会話を切り上げて通話を切った。
「智恵美さん、喜んでた?」
「うん、とっても。今度は会場入りしようかなって迷ってた」
 奏がそう伝えると渉ははははと笑って、本当に来るかどうか、賭けるかい?と息子へ悪戯めいた顔を見せた。奏は肩を竦めて断った。館内では幕内力士が熱戦を繰り広げている真っ最中で、大きな歓声が体育館を囲む廊下にまで聞こえて来る。スマートフォンをポケットにしまった奏は、腕時計を確認すると渉へ先に東京に戻る旨を伝えた。

「え、会って行かないのかい」
「時間がないんだ。メッセージは送ったし、あっちへ帰って来たらまた時間がとれると思うから、父さんからよろしく伝えておいて。頼むよ」
「分かった。僕はそれじゃあ保護者として、記念撮影の端っこにでも加えて貰えるように基源の処へ行って来ようかな」
「是非そうしてやってよ。身内が一人も傍に居ないんじゃ寂しいだろうから」
 渉はにこりと笑って多忙な息子に手を振って別れた。


―奏、私の躍動、見てくれた?―
―もちろん、見てたよ。本当に凄かったよ。強くなったね、いちごう―
―今は基源だよ―
―そっか、基源―
―なに?―
―優勝おめでとう!!―
 新幹線に揺られながら、奏は基源と短いやりとりをした。それから持参のノートパソコンで基源の状態をチェックした。基源自らのAIが行うセルフチェックと照らし合わせて異常のない事を確認すると、パソコンを閉じてシートに身をもたせた。数分だけ目を閉じることにして、無二の友人の人生初の優勝の喜びに浸った。



第六十八回に続くー


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