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「KIGEN」第六十八回


 翌九月場所を前に、七月場所での活躍と成績が認められて、基源は遂に新入幕が決まった。基源をライバルと堂々言い放った天秀峰よりも先に上へ上がったのはこれが初めての事だった。幕内力士の定員は四十二名と決まっており、十両で好成績を上げたからといって翌場所直ぐに入幕できるとは限らない。枠に空きがあれば入れるが、そうでなければ成績不振で誰かが幕下転落となった場合だ。基源の場合、幕下転落が二人、新入幕が二人となった。今回は基源と千秋楽で優勝争いをした力士が、九月場所で新入幕を果たした。

 発表された番付の前頭十六枚目を指差して、次々と切られるシャッターに応じる基源。頬が引き攣り、前歯が渇きそうに思った。

「遂に新入幕を果たしましたが、ここまでの心境は?」
「無我夢中でした」
「いつか上がれると思っていましたか」
「勿論です。上しか目指していません」
「おおー。と云うことは、いずれは横綱になる、そういう意味でしょうか」
「相撲の道を志して、横綱を目指さない者は居ないと思います。私も同じ気持ちです」
「ライバルの天秀峰の新入幕は今回見送られました。少し差が付きましたけど、今の率直なお気持ちを聞かせて下さい」
「私が申し上げることは何もありません。新入幕を果たしても、結果を残さなければあっという間に十両へ逆戻りですから、これからも稽古を重ねて自分の相撲道を歩む、それだけです」
「では最後に一つだけ。失礼な言い回しになってしまうのですが、基源関は年齢のわりに受け答えがしっかりしていますね。やはり語学が堪能なんでしょうか」
「当然です。AI様様です」
「ありがとうございました」


 基源は最後に目尻を崩してお茶目な笑みを見せると、深く一礼して関係者と共に会見を終えた。連日取材や撮影が入り、彼の身辺はここの所少し賑わしい。付け人からペットボトルの水を受け取ると、一気に飲み干してふうと息を吐き出した。

「早く稽古がしたいな。こうフラッシュばかり浴びせられちゃ体がむずむずしていけないや」
「あと一社、雑誌のインタビューと撮影があるから。それが終わったら今日はおしまいだよ」
「今日は?!」
「冗談じょうだん、これで場所前の取材は終わり。あとはもう稽古に専念して大丈夫だから。新入幕でいきなり転落なんて嫌だろう」
「不吉な事言わないで下さいよ」

 話題の力士がメディアの要求に応じて取材や撮影に応じることも、相撲協会にとっては重要な務めだ。力士の土俵外での気さくな素顔や愛らしさが、若い世代や外国の相撲ファンを増やすのに一役買っている。基源のように人当たりが良く撮影にも快く応じてくれる力士は取材する側にとっても重宝された。

「そうだ、この番付表、後で何十枚も貰っていいですか」
「どうするの?」
「渉さんと智恵美さん、それに奏と研究チームのみんなにあげるんです」
「わかった、用意しとくよ」

 後日用意された番付表を渉へ手渡すと、大の相撲ファンである渉は目を潤ませて喜んだ。


 基源の相撲人生は、潮風に乗って海上を思いのままに進む帆船のように順調だった。番付が上がれば知名度が上がり、それと同時に人気も上がる。相撲を知らなかったところから基源をきっかけにファンになる者も出て来て、大相撲界全体が盛り上がっていく。御蔭で理事会の覚えも徐々に良くなっていた。或る種実験的に、まるで言いくるめられてスタートを切った人間と、AIを有する人間との共存だったが、和やかに笑みを浮かべ、時に理性を働かせ、人類に献身するかのような基源の為人ひととなりが世間へ浸透する程に、

―案外いけるかも―

 等と言う安心感や楽観が彼を取り巻く環境に漂うようになった。そしてそれは基源自身が実感する程に分かりやすく緊張の解けた緩やかな空気だった。私は認められている。そう肌身に感じられること、自分の存在を求められること、期待の視線を浴びる事、賛辞の拍手と喝采が注がれること。ここで生きることにこれだけの価値があるんだと気が付いた時、基源は興奮した。体中に自信がみなぎった。


 研究所へ詰めたまま朝を迎える事も多い体を心配して、奏は半ば強引に休日を与えられた。同じ日に基源も休養日であったことから、久し振りに二人で街を歩いた。私服で出歩く事など滅多に無い基源だが、上背もあり体格もがっしりとして、メディア露出も多いためかすぐに人々の視線に見つかってしまった。それでも出で立ちから休日と察して声掛けなどは遠慮する人がほとんどで、二人は単純なる散策者として穏やかな休日を過ごしつつあった。お昼ご飯どうしよう。智恵美さんが作ったご飯を久々に食べたいなあ。お母さんでしょ。そんな他愛もない会話をしていると、前方から男が二人連れ立って歩いて来た。大柄な基源へ何気なく視線を向けて、一人があっと言った。

「俺あいつ知ってる」
 連れの発言でもう片方も顔を向けた。
「ああ、俺も。ってかあれでしょ、ロボットでしょ」
「そうそう、人間モドキ」
「きもー」
「ちげーよ、相撲だよ。こいつ相撲とってんだよ」
「ださ」

 近付く程に不快な言葉が耳をつんざいた。AIの存在そのものが許容できない人間も、気味悪がって距離を置く人間も幾らでも居るわけで、当然であると言えばいえた。反感など過去にも数え切れない程あった。決して慣れるものではなかったが、今日も基源と奏は相手にするには及ばないと、横を黙って通り過ぎようとした。


第六十九回に続くー


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ようこそいち書房へ。長編小説はお手元へとって御自分のペースでお読み頂きたく思います。

「AI×隕石×大相撲」 三つの歯車が噛み合ったとき、世界に新しい風が吹きました。 それは一つの命だったのか。それとももっと他に、相応しいも…

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