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「KIGEN」第六十九回




「おいおい無視かよ」
「ははっ、お前にビビったんじゃね?怖がらしちゃ駄目じゃん」
「ばっか、俺なんもしてねえし。あれ、つーかこいつもどっかで見たことあるんじゃね?」
「ええ?まじか」
 男たちが奏の顔を観察しようとした時、基源が立ち止まった。
「あの」
 堪えていた。脳天から噴き出しそうな不穏を懸命に堪えていた。必死に押し殺してなけなしの平静を装った「あの」を押し出したのだ。男たちは不穏な足を二本地面へ突っ立てて、基源の出方を見た。
「彼は立派な研究者で、こいつ等ではありませんよ」
「は?どうでもいいし」
「何だよお前、ロボットの分際で俺らに気安く話し掛けんなよ」
「私は―確かにAIを備えていますが今やロボットとは少し立場が異なります」
「だからどうでもいいって言ってんだろ、キモいんだよ」
「基源、もういいから行こう」

 見兼ねて奏が基源の腕を掴んで引き離そうとした。だが基源は微塵も動かなかった。何も知らない、道ばたで偶然行き会っただけの人間に、大切な人を侮られて、見縊られて、散々好き放題言われて、それで何故黙って引き下がらなければならないのか。知性や品性の無いのはどっちだと分析すれば彼等の方が断罪されるべきだと言う結果が出る。自らが口を閉じなければならない理由は見当たらなかった。

「奏、この人たちは誤った知識であなたを侮辱しています。私はそれをただしたいだけです」
「おいおい、偉そうに何だよ、お前俺らの事馬鹿にしてんのか?ナメてんのか?」
「やめてやれよ、ほら、見てみ、こいつは今無防備なんだから。な、まわしつけてないとすもーできないもんな」

 細胞が破壊されるかと思う程の怒りが体内にほとばしった。血管の二、三本は切れただろう。基源は自分が蔑まれている事よりも、男たちがこぞって奏や相撲を馬鹿にする事が、それはつまり自分が素晴らしいと心奪われ、尊敬して生きる世界そのものを否定してかかる事が許せなかった。ここで黙って引き下がっていつ彼等を矯正するのかと思うと、この瞬間を逃してはいけないと心を燃やした。

「奏、ここで黙っても何にもならないよ。私が真実を教えてあげます。一方的に馬鹿にされる筋合いではない事が分かる様に、教えてあげます」
 言葉はかろうじて丁寧だったが、肩が震えていた。握った拳には収まらない怒りが沸々と籠っていた。
「基源駄目だ!やめろっ」

 慌てる奏は基源の肩をぐっと掴んで自らの方へ振り向かせた。奏は顔を真っ赤にして、必死の形相で基源の怒りを押し留めようとしている。その顔はかつて基源が見た事無いほど悲し気だった。今にも泣き出しそうだった。

「どうしてそんな顔するのさ」
「基源落ち着いてよ、僕は大丈夫だから、気にしなくていいんだから、お願いだから落ち着いて」
「私は冷静です。はじめからずっと冷静ですよ。間違っているのはあの人たちの方だ。だからそれを糺そうとしているのに、どうして止めるんです。それに、その悲しみは誰に向けたものなの?相手?自分?自分だよね?だったら我慢して益々惨めじゃないか」
「僕は、僕は平気だって、言ってるじゃないか・・頼むからもうやめてくれよ。争うのは好きじゃないんだ」

 こう言われて、基源は眉を曇らせた。争いが嫌い。それじゃあ、私が今、生涯を賭して向き合っている事は、どう見えていたんだろう。ずっと・・・何年も・・・我慢して・・嫌悪していた・・ずっと・・?

 基源はふんと鼻で笑った。

「ほらね、結局みんな同族愛だよ。人間がいつだって優先されるんだよ。そして私はそこには一生涯かけても加えられることはないんだ。決してね。それこそ馬鹿にしてるよ」

 奏は気が付くと基源の胸ぐらを掴んでいた。二人が言い争う間に、男たちは姿を消していた。代わりにただ事でない雰囲気の二人の争う声で別の視線が集まりつつある。自分より背の高い基源の胸ぐらを掴んだまま、奏は真っ赤になった目で基源の瞳を睨みつけた。

「やってみてよ」

 殴れるものなら殴ればいい。基源は挑む様に奏を見返した。音の途切れた世界に、二人の視線がぶつかり合った。勢い掴んだものの、煽られたからといって奏は拳を使うことができない。いつしか力を抜いて、腕をすとんと離した。奏の顔に一層深い悲しみを湛えた瞳を見つけた時、基源は思わず奏を突き飛ばした。その威力たるや、華奢な奏はいとも簡単に後ろへ弾かれて、靴の踵を地面に引っ掛け呆気なく尻餅をついた。野次馬からきゃあっと小さく悲鳴が上がる。おいおい、ひでーな。大丈夫かよ。基源を非難する声がどちらからともなく飛び交う。誰かがスマホのカメラでシャッターを切っている。顔を顰めた奏を見て、基源ははっとした。ひざまずいて奏を助け起こす。

「ごめんっ、ごめん奏っ、大丈夫?怪我はない?私はなんてことをっ!どうしよう、大事な親友を、傷付けた、どうしようどうしよう、ごめんなさい奏、ごめんなさいっ」

 奏は何度も基源の名前を呼んでいた。動揺して耳に入らないでいる基源の肩を揺すって、何度も名前を呼んだ。それでようやく基源は我に返った。

「基源、僕は大丈夫。大丈夫だよ。余りに威力があったからちょっと油断しただけ。この位平気だから。落ち着いて、ね?なんなら人工知能で解析して御覧よ、異常が無いか」
 言ってにやっと笑うと、奏は自力で立ち上がってお尻の土埃を手の平でぱぱっと払った。
「よし、帰ろう」
「う、うん」
 促されて、基源も遅れて歩き出した。見物していた人々もいつの間にか散り散りで、誰が何を何処まで、どんな風に見ていたのか誰にももう分からなかった。

                       (八章・ライバル・終)



第七十回に続くー


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「AI×隕石×大相撲」 三つの歯車が噛み合ったとき、世界に新しい風が吹きました。 それは一つの命だったのか。それとももっと他に、相応しいも…

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