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短編「かなまう物語・上」

 

 郵便ポストの後ろに忘れられた細い路地がある。路地に沿うのは民家の側面とか裏側で玄関を構えている家はないものだから、日中もひっそりとしている。だが近所の住人にとっては生活道路に変わりなく、知る人ぞ知る路地でもある。その路地の片隅に、男の家はあった。

 男の家は路地のぷつりと切れるぎりぎりの位置にあって、平屋で、古くて、瓦が日に焼けて薄ボケて、玄関前の草はぼうぼうと生えたら生えたままであるし、冬になれば勝手に枯れている。男が何をして生きているのか、誰も知らない。

 この男の家の郵便受けに、ある日封書が一通入っていた。普段は電気やガスの督促状位しか投げ込まれない郵便受けなので、さては配達員が間違えたんだろうと男は思った。試しに取り上げて表書きを見た。だが住所も宛名も書いてない。おやと今度は裏を見るが差出人も書いてない。その代わりに表と裏へはそれぞれ鉛筆が這ったような奇妙な跡がずるずると引っ張られていた。男は溜息を吐きながら封書を握りしめて家へ入った。

 これはきっと誰かの悪い悪戯に違いない。仕掛けておいて、俺がどんな反応を示すか隠れて見物していたんだと考えた。腹が立って、拳を振り下ろすように封書を屑籠へ捨てた。

 空色のかわいらしい、表に虹が描かれた封筒だった。

 

 次の日、またしても男の家の郵便受けに封書が入っていた。男はそれを無言で家の中へ持ち帰って、一人きりになってからくっそーと悪態を吐いて屑籠へ捨てた。今度はピンク色のチェックの封筒だった。

 男の家の郵便受けには五日続けて封書が投げ込まれた。男は悔しさが募った。

 全体馬鹿にしてら。

 どうでも犯人を突き止めてやらねば怒りが収まらず、明日は朝からずっと郵便受けを見張っていようと決心した。丁度家の中から郵便受けを見張るのに都合の良い窓がある。男はそこに張り付いて、この悪い悪戯をする犯人を見逃すまいと誓った。

 翌日のこと、男は窓際に陣取って、カーテンの隙間から外の様子をじっと見張っていた。今日ものこのこ犯人がやってきたら、外へ飛び出して現行犯で捕まえて、文句の一つも言ってやるんだと気合十分の臨戦態勢だ。

 しばらくの間、男はそうしていた。陽は今日もみるみる昇ってもうじき天辺へ到達する。青い空に白雲が散らばって、外は大層明るい。細い路地は相変わらずひっそりとしているが、先刻さっき手押し車のばあさんがよちよち通り過ぎて行った。表の通りを車が数台走った。ひよどりが羽ばたいた。細い路地はぽつねんと静寂を保っている。

 今日は来ないのか。それとも見張っているのがバレたか。男はそろそろ郵便受けに集中するのに飽きてきた。腹も減っている。今日はまだ何も食べていないのだ。あと百秒待ってみて、それで何も起こらなかったら諦めよう。男がそう決めた時、ぼうぼうの草の傍へ人が立ち止まった気配がした。

 来たかっ

 男は窓へ近づいた。

 えっ?

 小さな女の子が一人小走りにやって来たと思うと、背伸びして郵便受けにえいと手の物を投げ込んだ。そしてくるり身を翻すとまた小走りでぼうぼうの草の向こうへと消えて行った。

 男はすっかり気が引けて、怒鳴って飛び出すことも出来ずに、小さな女の子の後ろ姿を見送った。

 今のが悪戯の犯人なのか。悪戯?目的は?なぜ俺の郵便受けに?

 男は人気が完全になくなってから外に出て、郵便受けを開けた。投げ込まれた一通を手に家へ入って畳の上に胡坐をかくと、早速繁々と観察した。やっぱり表も裏も鉛筆が延々走る。

 ふむ。

 試しに封筒を開けてみる気が起こった。封筒の糊付けされた上の方をびりびりと手で千切って中を覗く。便箋が一枚入っていた。ここまで開けてしまったんだ、もう誰に書いたものだって構う事ない、読んでしまおうと広げる。

 横書きのつもりなんだろう。鉛筆が左から右へひょろひょろ、にょろにょろ、長いのと短いのと、ずるずる続いている。

 なんだろう、これは。

 男は便箋を足元へ放って腕を組んで考えた。こうして封書の犯人を突き止めて、いざ中身を検めたはいいものの、その犯行の真意が不明で、実際自分の受けたダメージも不明だ。強いて言うなら謎だ。謎だけは深まっていく一方だ。謎の解明に時間を費やしていると言えば言えなくもない。だがそれだけだ。封書の中には刃物も危険な薬も見当たらず、誹謗中傷も書いてなかった。つまり頗る健全な、手紙と思っても差し支えない。

 ん?手紙?

 そうか、もしこれが手紙だとしたら、仮に俺宛の手紙だったとしたら、悪い悪戯でも危険物でもないわけで、それなら単純に郵便物に違いない。何故俺に届けるのか、さっぱりわからないが・・・そうだな、もう少し様子を見てもいいだろう。男はようやく安心して手紙を元通り畳むと箪笥の上に載せた。今日の手紙は緑色とクリーム色で、四つ葉のクローバーが描かれていた。

 

 翌日も翌々日も手紙は届けられた。配達員の手は介さないまま、いつも同じ小さな女の子が自分で投げ込みにやって来た。時間は決まっておらず、男が遅れて気が付くことも多かった。便箋は一枚。いつ見てもにょろにょろ、ひょろひょろで読めない。男は毎日にょろにょろを目でなぞる為に封を開けるようなものだ。しかしその内段々と、にょろにょろの中から文字が浮かび上がって読み取れるようになってきた。「て」とか「い」とか「う」が読める。中でもどうやら「に」が多い。目が慣れてくると、「に」の前は大体いつも同じ形をしていることに気が付く。「に」の前が解読できればもっと読めるかも知れない。男は次の手紙をなんとなく待ち遠しく思うようになっていた。

 

短編「かなまう物語・下」に続く


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