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短編「ことに朝は忙しい」

 ソウのお母さんはふくよかなお腹とお餅のように柔らかい頬が自慢で、子どもは全部で十一人いる。ソウは十一番目の子どもだ。

 ソウは保育園に出発する時間が迫っているため朝ごはんを急いで片付けなくてはならないのに、末っ子の甘えん坊がどんな時でも発揮される。

「お母さんボタンがとまらないから僕保育園行くのやだ」
 お母さんは家族みんなの朝ごはんから身支度まで全部ひとりで請け負っていて、ソウ一人にばかり構っていられない。フライパンの目玉焼きをじゅうじゅう言わせながら、後ろ振り返って、
「ソウ頑張って。今手が離せないから~」
 と言う。ソウができない~と半べそかくと、二つ上のスイニイニがやってきて、黙ってソウのボタンを留めてやる。スイニイニはすぐ下のセンニイニには手を貸さないのに、ソウの世話はいつも焼いてやる。ただ自分も眠たいものだから、ほとんど目を瞑ったまま手を動かす。ソウはさっき出しかけた涙をもう引っ込めて、はにかんでスイが終えるのを待っている。でも途中で一個掛け違っているのに気が付いて、黙って自分で直した。

 ちなみに彼等の世界では男の子がニイニ、女の子がネエネ、どちらでもない子はニイナを名前の下に付けて呼ぶ。ソウもいずれ誰かからソウニイニと呼ばれるようになる日が来るが、今はまだ先だ。

 着替えが終わると二番目のモクニイナが二人を順に抱えて洗面台へ連れていき、顔を洗った端から三番目のフウニイナに渡されて、台所の長い、ウォルナットの椅子に座らされていく。そこには同じウォルナットの木で作った大きなテーブルがあって、テーブルの上にはどんぐりの木でできた器へ一人ずつ、朝ごはんが並んでいる。中身はみんな少しずつ違う。果実が好きな子、木の実が好きな子、そば粉を挽いて焼いたのが好きな子、なにしろ好みがばらばらで、お母さんは毎朝大忙しだ。ウズラの卵の目玉焼きだけはみんな一人一個と決まっている。

 ようやくテーブルについたソウは、米粉で作った食パンが好きだ。だがお皿の上を見て、いただきますも言う前に、
「お母さんパンの耳は硬いからやだよ、パンの耳を取ってよ」
 と言った。たくさんの子どもたちの為に夜明け前から一生懸命朝ごはんを支度したお母さんも、この時ばかりは目を吊り上げた。

「いい加減にしなさいよっ、文句ばっかり言って」
「だって、硬いもん」
 ソウはもう泣きべそかいて、パンの耳を握りしめている。すると今度は隣の席に座る六番目のクウニイナが食べる手を止めて、ソウの食パンの耳をちぎって外してやった。
「これなら食べられる。ママレードのジャムを塗ってあげるから、早く食べな。お母さんを困らせたらだめ」
 ソウは袖口で目元をゴシリとやって頷いた。同じテーブルにずらりと並ぶ子どもたちだが、頭の数が十一人よりも少ない。お父さんと一番上の子どものカイニイニは、もう長いこと北の流氷整備の為に出張中で家へ帰っていないのだ。彼等は呼ばれれば何処へでも駆けつける。そうやって助け合って暮らしている。

「ただいま」
 今朝早くフクロウに呼び出されていた四番目のダイニイニが帰って来た。お母さんの姿を見つけるなり駆け寄って相談を始めた。
「おかえり。フクロウはなんて?」
「豊後の土地神が手が足りないんだって」
「そうか、それならケイを連れてあなたが行っておいで。いい経験になるよ」
「わかった」
 七番目のケイニイニは残りの胡桃を急いで頬張ると朝ごはんを終えて、ダイニイニに教わりながら急ぎ旅支度を済ませ、早速南へと発った。
「豊後の皆様によろしく伝えてね」
 見送りに出たお母さんは二人の姿が見えなくなるまで手を振った。すると今度は五番目のサンネエネが駆け寄ってきて、
「お母さんどうしよう、南東の疾風ハヤテが大陸から大きいのが来るって騒いでるの。みんなへ知らせるの手伝った方がいいかなあ」
「それは心配ね。まずは本当かどうかウミネコによく話を聞いてみて。それでもしも本当なら、北の疾風に声をかけよう。山神や祠の御守おもりさんにも手分けして呼びかけて貰うんだよ。用心に越したことはないからね」
「わかった。行ってくる」
「気を付けるんだよ」
 また一人を見送って家の中へ入ると、朝ごはんの途中の子どもが顔上げた。

「お母さーん、私のココアがないみたい」
 八番目のエンネエネが自分のカップがないことに気が付いて立ち上がった。お母さんはあららごめんごめんと言いながら戸棚からココアを探し出す。早い子どもはすでにごちそうさまをして、空いた器を洗い場に下げてゆく。みんな急いで食べてゆくのに、ソウはまだ食パンをもぐもぐしている。
「ソウ、そろそろ終わりにして歯を磨かなくちゃ」
「ううん、まだ食べる」
「保育園に遅れるよ。みんな先に行っちゃうよ」
「いーや。オレンジジュースも飲む」
「じゃあオレンジジュースを先に飲んで、パンの続きは行きながら食べて」
「・・・わかった」

 ソウはママレードのついた食パンをかじりながら歩いて、歩きながらかじって、今日も青い空の下を、元気よく登園していく。その隣にはお母さんが並んで歩いている。
「ソウ、さっきはごめんね」
「んん?僕全然怒ってないよ。僕お母さん好き」
「お母さんも、ソウやみんなのことが大好き」
 ソウは最後の一口を押し込んだ。口の周りはベタベタで、そこにパン粉がついている。
「僕明日はパンの耳食べられるようになった」
「そう?よかった。お母さん助かるわ」
 保育園の門の前でお母さんと別れる。ソウがぎりぎりだから先に行ったニイニたちがもう遊んでいるはずだ。
「おしどり先生の言うことをよく聞いてね。すずめさんの給食を残さず食べるのよ」
「大丈夫、バイバイ。あ、お母さん、朝はごめんなさいっ」
 ソウは手を振って大樹に広がる園庭へ駆け出して行った。木漏れ日を飛び越え、大地の風を切ってゆく。友達の顔が見えて、お互いにおおいと呼び合う。


「わあ見てー、これまだ綿毛がついてるよ」
 ソウはまだ口の周りにママレードのジャムをべったりくっつけていても平気なくらい甘えん坊の子どもだから、土地神や疾風の手伝いへ呼ばれることもなく、今日も大樹の庭でタンポポの種を集めては、元気に走り回って暮らしている。


 子どもたちの出払った家の中がお母さんには少し寂しい。だが洗い場で山盛りになった空っぽのお皿とカップを見ると、腕まくりして張り切った。みんなが留守の間に洗濯や掃除をして、壊れた家具の修理だって大工道具でやってみせる。

 全員無事に帰ってきますように

 お餅のように柔らかい頬がふっくらと微笑んだ。コロボックルの、ことに朝は忙しい。

                                     
                            おわり

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