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短編「家の敷地でたぬきが死んでいた」


 すっかり春の気配が色を濃くし、満開の桜を待ち侘びる季節になりましたが、この穏やかな春を無事迎えられる命は、冬を越えようとする命の数とは比例しないのですね。
 それは三寒四温の始まって間もない頃、まだ寒さの強い二月の下旬のことでした。数日訪れていた暖かい日和はまた北風に押し戻されて、舞い戻って来た冬の日でした。私は玄関を出て、いつものように外の植え物の様子を順番に眺めていました。風は冷たく、けれども陽射しのある日でした。ぐみの木も山椒の木も紫陽花も、まだうんともすんとも言いません。玄関前は土を晒した鉢植えが並びます。普段はそれらをぐるりと見渡せば、家の柵の向こうまで首を持ち出す事は滅多とありません。柵のこちらからでも外の植え物は目視できるからです。

 ところがこの日は、不図柵の外が気になったのです。今思い返してみても、一体何が気になったのか、私自身説明に困るのですが、強いて言うのなら「気配」を、感じたのかも知れません。自然とは遠い、何某かの異質な気配を。私は嗅覚が敏感で、以前近所の空き家で野良猫が死んでいるのを、風に運ばれる微かな異常な臭いで気が付いたと云う事がありましたが、この時は臭いは感じませんでした。ただ何となく、覗かなければいられないような気のして、私は柵からひょいと顔を出しました。
 すると柵のほぼ真下、塀の傍で、たぬきが息絶えていたのです。と云って、この時はまだそれがたぬきであるか或いは別の生き物だかは判然しませんでした。けれども動物である事は分かったのです。それは亡くなった母が植えた、桜の木の下でした。柵の外のわが家の敷地と申しますと、ほんの数十センチの幅しかない、細いものなのです。そこにらっぱ水仙やらムスカリやらスノーフレークやらが自生している、本当に僅かな場所なのですが、そこへ十五年以上前に母が桜の苗木を植えて、どうにか生き延びて、然し狭い場所なので毎年、桜伐る馬鹿梅伐らぬ馬鹿と申しますけれど、大木にはできませんから剪定して残して来た、そのおしどり桜の根本へ、たぬきが一匹横たわっていたのです。子どもでした。

 私は思わずはっとして、息を呑みました。一瞬間眠っているだけかとも思いましたが、微動だにしませんし、まさかこの気温の中で朝寝坊も有り得ません。子たぬきはもう永き眠りについていたのです。
 わが家の目の前は交通量の多い道路なので、先ず一番に車に撥ねられたのかと疑いました。ですが辺りはとても奇麗で、静かです。事故ではないらしいと、それでも私は恐る恐る再びそちらへ薄目を向けました。私は血を見るのが非常に苦手な生き物ですから、万が一一滴でも目にしますとこちらの血の気が一気に引いて、それはもう酷い有様を世間へ晒す事になりますから、とても目を見開く事はできなかったのです。そうして目に入ったのは、少しごわごわとした、薄茶色やこげ茶色の混ざった毛並みでした。今までに野生動物は何度か目にしたことがありますから、その毛並みから、これはテンでも猪でもない、たぬきではなかろうかと、そこでようやく思いました。角度の問題から全体像は見えません。そして、どうやら子たぬきの頭は私が覗く場所とは反対側にある事がわかりました。私の心臓は当の昔にどくどく血脈走らせています。ですが、もう動かないその小動物の顔を、私は確認してやらなくてはと思ったのです。

 事故の様子がないと分かってから、私の頭の中では同時に死因を考え始めていました。やはり凍死なのだろうと思うのです。先ごろまで数日暖かかった為に遂燥いでしまって表へ出て来たものの、餌に乏しく、またこの冷え込みでしたから、子たぬきは行き場を失ってしまったのかも知れません。ぎりぎりまで暖かい場所を捜し歩いたのか、兎に角お腹が空いていたのか、そこのところは分かりませんが、最期の場所にと、どうにか辿り着いたのが、どうした事か、山でも畑の小屋等でもなく、確かに留守にしがちではありますけれど、こんな騒々しい街中にある、わが家の敷地内の、桜の木の根元だったのです。そうすると、その最期の時に、子たぬきは苦しまなかったのか、寒さに震えていなかったのか、それが私は無性に気になりました。それで、どうにも自分らしくない、思いがけない勇気を出して、己の瞳を子たぬきの顔があると思しき場所まで連れて行きました。

 子たぬきは、びっくりするほど穏やかな死に顔をしていました。ほんの一瞬しか見詰めることは出来ませんでしたけれど、苦しんでいた様子が全然見えて来ないのです。まるで温もりの内に眠りについたかのような、本当に、穏やかな顔をしていたのです。傍から聞くと、それは人間のエゴのように、まるでそう願うあまりこちらの都合で穏やかに見えたのだろうと思われるかと思うのですが、私は、これだけは、判然と落ち着いて申し上げる事が出来ます。子たぬきは、苦痛に歪めた顔を晒して等、全くいなかったのです。
 私は少しく驚きました。いつからそこへ倒れていたのか、私は今朝まで気が付く事が出来ませんでしたから、それは数日間だったかも知れず、加えて夜間でなくとも外はずっと冷え込んでいたのです。あの寒さの中、苦痛が無かったとは思えません。凍えて辛かったろうとも思うのです。それなのに、どうしてこの子たぬきは、こんなにも穏やかな死に顔をこちらへ向けて静かに横たわっているのか、それが、私の脳内で、圧倒的な疑問でした。今までに私が目にしたことのある野生動物の死と云う物は、殆どに於いて自動車事故が多く、その現場は凄惨で、血生臭く、とても直視出来たものではありませんでしたし、それで穏やかな顔など到底出来ようはずがありません。この子たぬきは、一滴の血も流さず逝ったとはいえ、あまりに表情が違います。

 柵から手を離して、私はぼんやりと玄関に向かいました。わが家の敷地内の事ですから、行政に頼むことは出来ないでしょうし、そうかと云ってこのまま放っておく訳にもいきません。どうにかして包んでやらねばならないと思いました。然し現実に立ち返った私は、突然震える程に恐ろしくなりました。一体何が恐ろしかったのか、今にして思えば、頭が冷静になった瞬間、生物の避けては通れぬ「死」を直視したのだろうと、だから恐怖を感じたのだろうと思います。私は身を震わせながら、子たぬきの処理方法を、と頭の中で考えて、ああ、自分は残酷な生き物だと思いました。それでも心臓がこれ以上慌てることの無いようにと努めて冷静を装っていたのです。

 そういう私の思考の中に、この時ざっとある光景が入り込んできたのです。それは母がいつも身に着けていた気に入りの割烹着に身を包んで、いつも通りの様子で、正座している姿でした。辺りは桜色に包まれており、まるで母が桜その物とも受け取れる程染まっているようにも見えます。そして、その膝の上には、子たぬきが一匹横になっているのです。安穏として、静かに、ただ二つの姿はそこにありました。私はこの時、冬の中に春を見た心持ちがしました。そうして、はっとしました。

 これは子たぬきを見掛けた母が、あんまり不憫に思って、命を救う力はないけれど、せめて寄り添って温めてやりたいと思ったのだ。それで、自分の膝に抱えて送り届けてやったのだと、私は思ったのです。私は、私の母ならばやりかねないと思いました。生前の母を思い浮かべて、その気質からいって、十分あり得ることだと思いました。そういう人であったのです。
 これで色々な物が腑に落ちたと思いました。私は子たぬきに少し待っていろよと心の中で呼び掛けながら、家族に手を借りるべく、家の奥へと入って行きました。

 それから数日間、気温が上がれば獣臭はしますし、桜の木の根元は、まるで植物まで一切が死に絶えたように茶色く色を落としてしまって、再生可能なのかどうか、桜の木はもちろん、草花のことが気に掛かりました。このまますべて終わってしまうのは、あたかも自然な流れと受け入れる事もできますが、そうなる予感を抱いている私と云う人間がその事象に少なからず関わっているのもまた事実ですから、もしも私に出来る事があるのなら、手を施しても良いのではないかと考えました。私は早速、園芸用の土と休ませている鉢植えの土を混ぜて、バケツに入れては桜の根元へせっせと運んで、茶色い一帯へ被せていきました。それから土が早々流れぬ様に上に重そうな石を並べ、どうにか植物が再生しますようにと願いました。

 あれから、ひと月が経ちました。今、わが家の柵の外では、らっぱ水仙が見頃を迎えています。名も知らぬ草が、次々と生えてきました。ムスカリやタンポポも並びます。今朝になって、ようやく桜の木に、硬い蕾を見つけることが出来ました。桜の木は、生きていました。今年の冬も、越える事が出来たのです。列島の桜前線に比べて遅い開花となるでしょう。そもそも無事花が咲くかどうかも、今年は特に分かりません。けれども、この桜は他の命に寄り添いました。自分の命を守りました。仮令花を付けずとも、立派で美しい、わが家の桜だと、私は思うのです。一方で、子たぬきの命は春を目前に儚く散ってしまいました。桜の木と子たぬき。二つの命の差とは、一体なんだったと云うのでしょうか。
 同じであったと、思うのです。桜の生長を見守る私と、何処かの山で生きているか知り様もないのですけれどあの子たぬきの帰りを待っているであろう母たぬきと、想う気持ちが例えば同じであるならば、二つの命は、等しく同じであったと思うのです。

 生きとし生けるもの全ての命は、常に明日を保証されている訳では決してないのだと、私は改めて、己の胸に刻むこととなりました。
                             おわり

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