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どこかの私のパラレルワールド、1月29日。


最近絵を描いてる時に気付いたこと。
フィクションでもノンフィクションでもない、
パラレルの世界の、どこかにいる私や貴方の話。


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夕方。仕事終わりの、しいんと静まりかえった部屋。
外は少し日が傾いてオレンジ色に染まっている。
それを見て僕は何だか寂しい気持ちになった。
「適応できるもんなんだなあ」
一人呟く。
在宅勤務になって三ヶ月。
例の宣言前はお気に入りのカフェで仕事をするのが日課だった。
以前は行かないと落ち着かなかったのに、だんだんと平気になって来ている自分に気づいて少し悲しくなる。


机の上には散らばった資料、会社で使っていた少し良いボールペン、付箋だらけのノートパソコン。
ワイシャツ姿の僕は冷蔵庫に向かい、冷えてる缶ビールを手に取る。
机に乗っているものを向こう側に寄せて、手前にドンとビールを置く。
まるで職場で飲むような背徳感。
それと同時に「またぐちゃぐちゃにして。片付けてから飲んでよ」と怒る彼女の顔が思い浮かぶ。
その時僕はふと、今朝の彼女のことを思い出した。


いつも通り僕はスマホのニュースを読んでいた。
「いってきます」と玄関から声が聞こえたので、僕はいってらっしゃい、と声だけかけた。
しかし、暫くして顔を上げると彼女はまだ玄関でじっとこちらを見ていた。
「え、どうしたの」
「…んーん。いってきます」
彼女はそう言って、今度こそドアを閉めた。


あれはなんだったんだろう…。
ゴミ出し忘れたから怒ってるのかとか、でもいつもならすぐ機嫌が直るんだけどなあとか考える。
……そういえばよく行った店が閉店するからテイクアウトしたいって言ってた気がするけど、なんて店だっけな…
何となくテレビのリモコンに手を伸ばす。
テレビではニュースキャスターが恒例の数字発表をしている。
キャスターも専門家も同じことしか言えないからくり人形のようだった。
僕はだるくなって椅子にもたれかかった。


すると、近くの棚の上にある花瓶が目に入った。
たった4本。彼女が買ってきた花が挿してある。
それをぼんやり見ていたら急に絵を描きたい衝動に駆られた。
何故か瓶ばかり描かされた学生時代の記憶が蘇って来る。
ボールペンと書類を手に取りしばし花瓶を見つめた後、紙に線を描きだした。
書類に書かれた退屈な文字が黒い線で消えて行く。
テレビの音が遠くなる…
数分後、白黒の花瓶と花が描き上がった。

それを見て、僕は途端に上機嫌になった。
花瓶はしなやかな曲線を描いていたし、花びらも先端まで綺麗に描けていた。
…小さい頃はなんであんなに描くのが難しかったんだろう。
一生懸命描いても決して上手くは描けなかったのに…そんなことを考える。
2本目のビールを開け、スマホを見ると「ご飯どうした?」と彼女からメッセージが来ていた。
机の上を見て…これを見たら怒るだろうなあ、とため息をつく。
救いを求めるように僕は花瓶の花に目線を戻した。
そこで僕は初めて、花びらの先端が萎れている事に気が付いた。

よく見ると、花瓶は全体的にもう少し細い。茎はもっと左にカーブしているし花びらは先が少し欠けていて、所々枯れたりしている。
同じように描けたと思っていたので驚いた。
見直さなかったら気付かなかったかもしれない。
「ちゃんとよく見て描いたつもりだったのになあ」
思わず声が出た。
こんなにも、見ているつもりで見えてない…いや、「見ていない」のか。
その時、今朝の彼女の姿が見えた。
玄関に立ってこちらを見ている。
僕はそれをじっと見つめる、見ているつもりじゃなくて、見つめる…。
ふっと彼女の姿は消えた。
僕は再び白黒の花と、花瓶の花を見比べる。
その花は僕が描いた絵よりずっとバランスが悪くて、
そして少し、無理しているような気がした。



慌てて僕は机を片付けて、ワイシャツを脱いで着替えた。
彼女の好きな銘柄のビールを冷蔵庫に入れ、スマホを手に取り返事を返す。
店の名前は思い出せない、それでまた怒られるかもしれないけど。
お互い好きな別々のビールで乾杯したいとか、そんなことを考えながら家を出る。


細く開いたカーテンから真っ赤になった夕日が差し込んで来る。
部屋に残された花は、帰ってくる二人を待っている。

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