見出し画像

どこかにある、5月25日。

少し違う世界線の、どこかにいる私達の話。



・・・・・・・・・・・・・・・


静かな夜の、公園のベンチ。
僕はホットコーヒー、
親友の男は缶ビール。
少しみんながそわそわしている、5月25日。



「あいつを倒して全部が終わったらさ、ゆっくり旅行にでも行きたいなあ。見た事ない景色を見て、その場にいるのを体感して。みんな同じこと考えてるだろうな」

親友は缶ビール片手に大声で言った。


僕たちは横並びになったベンチにバラバラに座っていて だから大声なのかと一瞬思ったが、
はじめからこいつは声がデカいのだということを思い出した。
久々に会ったから忘れていた。

「やめろよ。死亡フラグみたいだろ」

つられて僕も大声になって、急に恥ずかしくなった。


ベンチの間にある街灯は煌々と光り、
僕たちはその黄色い円のなかにすっぽりと入っていた。
しかし円の外側は真っ黒で何も見えない。
切り取られたように、黄色と黒の境目がはっきりしている。
まるで、ここしか世界がないみたいだった。



親友は新しい缶ビールを開ける。
もう三本目。上機嫌だ。

急に風が吹いて手元にあったビニール袋が飛ばされて消えた。
拾いに行こうとしたが、急にこの黄色い円から一歩出たら自分も消えてしまいそうな恐怖に駆られる。
そんな僕の思いをよそに、親友は袋を拾いに行こうと立ち上がる。

「ちょっと」
「え?」
「何かほら、えーと…ビニール袋は空を飛びたかったんじゃない? だからほっといてあげたら」
「何言ってんのお前」


親友は声をあげて笑った。
自分でも何言ってるか分からない。
でもしょうがないだろ、と思う。
意味の分からないことは今まで散々言われて来たから、もう感覚が麻痺しているのだ。



はじめはたった一つの、海外の小さな新聞記事。
それが世間で騒がれだしたのは今年の二月になってからだった。
あっという間に世界では『それ』が蔓延し、
平凡な僕たちの日常も一瞬で立ち消えた。
しかし運のいいことに、僕たちの国は他の国より蔓延することなく何とか踏みとどまり、今に至る。


いや…
でも もしかしたら。


『状況は良くなっている』なんて繰り返す日々のニュースは大嘘で、世界はすでにここだけしかないのかもしれない、と考える。


溢れかえり渦を巻く情報も、
得体の知れぬ『それ』も。
全てがまるで巨大な噂話のような、
そして『幻』や『霧』のように漂う見えない空気のような。
実態が、まるでないのだ。
でもそれはきっと、幸せなことだろう。

今まで散々想像を超えることが起こって来たから、
「世界はここだけになりました」と言われても驚かないかもしれない。
いや、それは流石に言い過ぎか。



深い思考の溝に落ちそうになったので
親友のビールを奪い取ってゴクゴクと飲んだ。
アルコールの匂いが一気に鼻を抜ける…


「おい、大丈夫かよ」
「その魔王を倒しにいく勇者みたいな下りはなんなの」
「え?」
「だから、『あいつを倒して全部が終わったら…』みたいな、それ」
「でも実際そうでしょ。俺たちは戦ってるんだよ」
「そうかなあ。最近よく分からなくなって来た」


そもそも、ずっと何も分からないままだった。


どこにいるか分からない『それ』に怯え続け
僕らは他人となるべく会わず、隠れていないといけないことになった。
『ぶっとんでいる』『あり得ない』と思った事も、
最終的には『あり得ないことなんてこの世にないんだな』と思って受け入れた。
受け入れないといけなかった。


なのに急に「状況が良くなった」とか「だから明日から出勤です」とか言われてもなあ、と、僕はぼんやり考えていた。




「でも何か、今回の事って…俺たちの存在を根底から覆す大事件だよな」

親友が、最後のビールを飲み干して言った。

「俺たちってさ、他人と喋ってナンボじゃん。どうでもいい話して笑ったり、何か言われて怒ったり。なのに今は一人で隠れていないといけない。人と会えない。大事件でしょ」
「まあ、今までにそんなことなかったからね」
「それってさ、人間としての大事な…ほら大事なアレがアレしないじゃん」


彼は一生懸命手を振って言葉が出て来るのを待っている。
こんな短時間でビール四本も飲むからだよ、と僕は心の中で毒づく。

しばらく唸っていたが彼はやっと喋りだした。


「ほら、こうやって…同じ空気を吸って同じ時間を共有する、それぞれがこの場に持って来たお互いの気持ちをやり取りする、みたいな…今まで俺たち人間が守って来た大事な、そのやり取り、……人が人である部分っていうの。そういうのを丸ごと封じられた訳じゃん。すごい事なんだよ。だからこれは、人間の存在のあり方をかけた戦いなんだよ」


言い切った。
僕は彼を見る。
僕らの頭上の街灯は、彼を照らす一本のスポットライトのようだった。


「俺はさ、やっぱり誰かが好きだし他の誰かがいないと生きていけないんだよ。色々あって あーやっぱり一人でいたいって思っても結局一人ではいられない。そんな俺は幸せなんだろうな」
「……こんな所で缶ビール飲み散らかしてるヤツが、説得力ないっての」
「それはお前も一緒だろ」
「僕はコーヒー。酒じゃないから」


親友は大声で笑った。
つられて僕も、少しだけ大きな声で笑う。
こいつの言う通りだ。
僕たちはそれぞれがこの場に持って来たお互いの気持ちをやり取りして、
時間を共にする。
そうやってどうでもいいことから大事なことまで
いつも一緒に、考えてきた。


人が人である、そのこと。その在り方。
それを封じられた僕たちの譲れない戦いは続く。
この黄色くて暖かな円が、世界中に広がるその日まで。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?