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短編小説

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#オリジナル小説

【短編小説】例えばの話 

【短編小説】例えばの話 

「梶原さん」

とある四月のはじめ、クラスが変わってまだ二週間もたっていない、晴れた夕方。

私と近い出席番号の彼は、自分の仕事である窓閉めを終えると、向かい合うように前の席へ座ってきた。

「なに」

日誌を書きながら、声だけ反応する。

冷たい言い方だったかもしれない。

でも別に構わなかった。

私の性格はもう皆が把握している筈だから、別段気にする事なんかないだろう。

初めて同じクラスにな

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【短編小説】ハワイ

【短編小説】ハワイ

めっちゃハワイだな、と右手に持っていたクリームソーダを口に入れた。

日本らしい湿った風も、海を前にした今は、あまり気にならない。

ストローの爪先から頭のてっぺんを一瞬で駆け巡り、クリームソーダが理香の口に迫る。

海の家の隣にある畳のスペースで、波の音と、いろんな観光客の喧騒を聞きながらぼんやり水平線を眺める。

「一人なんすか」

ふと声をかけられたので振り向くと、Tシャツの袖を肩にクルクル

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【短編小説】知らない

【短編小説】知らない

歩きながら、今日は何を食べようか考える。

外勤中は仕事以外のことばかり考えてしまう。
商店街を歩いていると、視界の左側で誰かがティッシュを配っている。

受け取りたくないから、用事もないのに角を曲がってみた。

目的地の職場にたどりつかないことで、ネガティブな方に思考が傾いていく。

時間を間違えたこと、エクセルの入力がずれていたこと、挨拶したつもりだったのに聞こえていなくて無視だと勘違いされた

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【短編小説】大人になる前に

【短編小説】大人になる前に

  

忘年会は終わり、さっきまで、自分達が小学校の教員とは思えないほど大騒ぎしていたのが噓のようだった。

居酒屋を出てため息を吐く。

白い息が出た。

体の先が冷たくてつらい。

少し風が出てきてしまったせいで、しみるような寒さが静かに襲ってくる。

時計を確認する。

十二月二六日。

あと一時間もすれば、日が変わるような深い夜。

俺の隣には、同じ学年を担当している松永先生がいた。

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【短編小説】エレベーター

【短編小説】エレベーター

今日、外に出たら梅の花が咲いていました。

もうそんな季節なんだなと、笑っただけで気持ちがふっと軽くなる気がするから不思議です。

今あなたに手紙を書いているのはどうしてか、正直自分でもよくわかっていないです。

かっこよくいえば、手が勝手に動いたんです。

やらなきゃとかそんな気持ちもなく、ただ朝起きてトイレに行くような、そんな感覚です。

あなたが動かなくなってからどれくらい経つでしょうか。

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【短編小説】マジョリティ

【短編小説】マジョリティ

バスに乗っていてなんとなく窓を眺めていたら、普段は大きく光を放って主張する、ファミレスの看板が一部切れていた。

店名を見るぶんには特に困らない。
 
でも、不恰好だった。

店内にいるであろう店員に、びびび、と信号を送ろうとして、やっぱりやめた。

それよりも、切れている看板の方を修復した方が早そうだ。

そうしてわたしはバスの窓際から看板のほうに、だれにも見えないビームを送った。

するとさっ

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【短編小説】轢

【短編小説】轢

※交通事故の描写があります。ご注意ください。

 チャイムが鳴ってインターフォンが仄暗く主張する。

 画面を覗くと見覚えのある顔が下を向いてこちらの反応を待っていた。

 特に約束をしてわけでもないけれど突然来ることは、普段からよくあった。

だからそれ自体に疑問はなかったけど、画面の向こうでぼうっとしている表情が気になった。

 扉を開けると卓郎が立っていた。

「どうしたんだよ」 

 俺が

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【短編小説】あじさい

【短編小説】あじさい

 ある朝の出勤中、バス停の近くであじさいの花を見つけて、私は突然、三歳の頃のことを思い出した。

 あの頃の私は、今のように明るくなかった。

 いつも誰かの影に隠れていて、自分に言葉をかけられているとわかっていても、返事を絶対しなかった。
そのくせ家の中に帰れば、自分がお姫様になって誰でも言うことを聞いてくれると信じていた。

 家の中は私の城だった。

 そんな頃、ある人と出会った。

 その

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