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20210630 通院メモ 仕事のことを考えると、ものすごく思考が両極端になってしまう

ワークシートに仕事のことについて書き出していこうとしている。
色々と思い当たることを書き出そうとするのだが、そうすると事実と思考がごちゃ混ぜになってしまって、境界線がものすごくあやふやな感じになる。
そして、その後にさらに湧いて出てくる思考は、両極端。
気分も、それに振り回されてしまう。

混合状態だからなのだろうか?
ものすごく、気分が他責になる。
そして、その反動として強い自責がやってくる。
この繰り返し。

ただし、これは頭の中にあることだけで起こっていることなので、やっぱり書き出して、思考なのか、事実なのか、気分なのか、そうしたところを振り分けていかないといけない。

しかしながら、この自動思考の他責と自責の極端さは、自分でも辟易する。
ホントにきつい。

職場や制度に対しての不満。
仕事上のことでは、自分だけでなく多くの人が精神を病んで、仕事を休んだり辞めたりしている。
自分が元気なときに、職場の人がどんどんと辞めていく人が居た時期もあったのだが、ある意味自分が鈍感だったのかもしれない。
というか、無知だったところもたくさんある。
馬鹿はなんとかとも言うけれど、そんな感じだった気がする。
無知は強いのかもしれない。
平気で人を傷つけることもあったのだろうという感じがする。

そして、そんな職場で生きていくのだから、なんとかやっていく工夫が出来なかった自分のふがいなさ、能力の低さという自責も強くなる。
色々なことに振り回される。
また、自分の考えではなく、人がどう思うのか?ということに意識がすごく向き、それに対応しようとするのだけれども対応できなかったりする。
他人の要望することに自分が納得できていなかったり、反論できるだけの言語化が出来ないことで、無理矢理行動に起こすことになることも多々あった。
そうなってくると、ホントに自分の能力の低さが悔しくて悔しくて。
そうして、自分を責め続けるようになって、鬱がひどくなる。
対応しようにも対応できなくなってしまう。

まあ、そんなところを思い出すことが出来ただけでも、対応策への一つのきっかけになる。

それにしても、自分を変えるというのはなかなか一長一短には行かない。
でも、行動から変えていくしかない。
出来るように、ひたすら訓練というところなのだろう。
そして、その意識は一生持ち続ける必要がある。
自然と出来るようになるのが一番良いのだけれど。

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