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【連載小説】『小さな悲劇に満ちたこの世界で』7.刑事たち(4619字)

【これまでのお話】
プロローグ
1. 硝子のマリア像 2. 不器用な教え子
3. 弱い男
4. 都合のいい夫
5. 好奇心
6. 悲劇の未亡人

7. 刑事たち

 袴田はかまだは、石川の事件と澤口美羽みわを結びつけられずにいたが、一応警部の城島じょうしまにメールで報告した。すると、返信として城島から飲みに行かないかとの誘いのメールが来た。袴田は少し驚いたが、下っ刑事を誘ってくれたことが嬉しかった。
 2日後、県警本部のロビーで待ち合わせ、城島がよく行くという県警本部に近い外堀そとぼり通り沿いの鉄板焼屋に行った。
「お前が気になっとったという澤口美羽、結局わけありの女だったな」
1杯目のビールに口をつけると、すぐに城島が切り出した。
「実はな、澤口美羽って名前、聞いただけではすぐ思い出せなかったんだが、お前のメール見て思い出したわ。ネットストーカーの女子大生殺しと同じ頃でな、強盗殺人は目立たんかったんだわ。まあ、ホシが挙がっとるとは言え、澤口美羽の夫が殺されとって、こっちも殺しだろ。進展があらせんと、職業柄か、ついつい関連性を疑いたくなってまうわ。希望的観測か。不謹慎だな」
そう言って城島は自嘲気味に笑った。
「そうだったんですか。まあ、いずれにせよ殺しに殺しじゃ、考えたくなるというのは、分からなくもないです。でも今のところ、関連性はなさそうです。夫の事件の犯人は逮捕されて服役中ですからね。それに、関係者から話を聞いたんですが、調べてるのが申しわけなくなるような女性ですよ、澤口美羽は」
 袴田はそう言いながら、澤口美羽の調査を切り上げようかと考え始めていた。自分の美羽への関心が仕事上の関心ではなく、男としての関心なのかも知れないという疑念もあった。
 城島は、鉄板に海老や帆立、かぼちゃを丁寧に並べていた。威勢よく油と蒸気が上がった。
「お前さ、名大卒だろ。国立大行って地元で警察官って珍しいな。国家公務員試験、落ちたのか。まあ、俺も地方組だけどな」
城島は、遠慮なく袴田に尋ねた。
「僕もどうしようかって、大学受験のときは迷ったんですけどね。でも、地元に残ろうって決めたんです。親父が亡くなって、母が1人だったんですよ。あんまり丈夫じゃないんで。それに現場に出たいんですよね」
 城島は鉄板の上の食材を一つ一つひっくり返しながら言った。
「親父さんのことがあるからだろ。悪いが、お前の資料ちょっと見させてもらった」
 
 商社マンであった袴田の父光一こういちは、仕事でいつも帰りが遅かった。袴田が小学3年生になろうという年の4月2日の夜、いつまで経っても光一は帰宅しなかった。日が変わっても連絡もなかった。
 母の美彩みさと心配しながら待っていた袴田だったが、美彩に「きっと急な仕事よ。大丈夫だから」と促されて2階の自分の部屋で眠った。
 翌朝、いつもどおりに目を覚まし階下の台所へ行くと、母の美彩がもう身支度を終え、ダイニングテーブルに座っていた。美彩の前には湯呑が一つ置かれていた。
 袴田の姿を見ると、立って袴田の前まで来てしゃがんだ。袴田を急に抱きしめ、ゆっくりと言った。
「穂高、お父さん、死んじゃったかも知れないの。警察から電話があって。矢場町の駅の近くの公園だって。お母さん、今から警察行って本当にお父さんか見てくる。穂高も来る?」
袴田は、首筋に母の目から流れ落ちる涙を感じながらうなづいた。
 袴田の父光一は、4月2日午後10時半頃、会社を出ると、近くの公園でたむろしていた10代後半の少年たちのグループに襲われた。
 少年たちは溜まった鬱憤うっぷんを容赦なく光一に向け、全身を足で蹴った。そして、重症を負った光一を公園に放置した。翌朝の未明、新聞配達が光一の亡骸を発見した。
 事件を起こした少年たちは全員逮捕された。少年グループのうち、4人が少年刑務所に送られ、1人がその4人に脅されて事件に関与したとして保護観察処分となった。
 袴田は、未成年だという理由で、犯人たちが守られ、名前も公表されないまま裁かれたことに行き場のない怒りといきどおりを覚えた。無力感に苛まれ、警察官になることを考えるようになった。
 袴田は今も桜が嫌いだ。桜を見ると父の事件を思い出さずにはいられない。日差しは明るいのに空気がやたらと冷たく感じる桜の季節、袴田は、今も自分が何もできない8歳の無力な子供のままであるという錯覚に襲われることがある。
 事件以来、母一人子一人の二人三脚で頑張ってきた。袴田は、大学受験のとき、その母と地元で暮らそうと決めたのだ。そして、袴田はそう決めたことを今も後悔していない。
 
「そうだったんですか。いいですよ。何も秘密はありませんから。城島さんに興味を持ってもらえるなんて光栄です。あ、僕に惚れてるとかだったら、絶対やめてくださいね。僕、これでも彼女、いるんで」
 茶化ちゃかす袴田に対して、城島は軽口からくちにつきあいつつも、率直に謝った。
「なんだ、そりゃ残念だ。冗談はさておき、澤口美羽を調べたいって聞いたとき、興味が湧いてまってな。許せ」
 袴田が名古屋に残ることを決意したのは、袴田の「彼女」、竹野内瑠璃るりの言葉があったからだった。
 瑠璃は中学からの同級生だが、まだ2人が互いを特別な存在として認め合う前、大学で上京するか悩んでいた袴田にこう言ったのだ。
「ほんとは正しいかどうか分からんくても、自分が正しいと信じることをすればいいじゃん。穂高にとって正しいことが穂高の正解なんだよ」
 瑠璃は、世間が認める成功をつかむために自分の信条を捨てれば、それは袴田にとっては負けを意味するということを袴田以上に分かっていたのだ。
 袴田は、瑠璃のことを思い出し、顔がほころびそうになるのが照れくさくて、城島に話を振った。
「城島さんは、奥さんはいるんですか」
 来たかと言わんばかりに、城島は答えた。
「ああ、いたんだけどな。この職業がな。うちの奥さんは心配性だったんだ。それに遅くなるとか、帰れんとか。起きて待っててくれるのが悪くてな。おまけに、うまいこと優しい言葉とか出てこんくてな。つまり、バツイチだ。今は奥さんは再婚して元気だってよ。年賀状が来る。俺が生きてるか未だに心配らしいわ」
「離婚したのに年賀状くれるなんて、いい人ですね。というか、そんないい人、もったいなかったですね」
 袴田は、上司である城島が人間的な面を見せてくれて、身近になれたようで嬉しかった。同時に、善人で情け深そうな城島の寂しさも伝わってきて切ない気持ちになった。
 結婚していたときのことを思い出しているのか、城島はちょっとの間、ビールを手酌で注ぎながら感慨にふけっているように見えた。そのあと2人は、鉄板焼きをつつきながらビールを飲んで、四方よもやまばなしに花を咲かせた。
 そして、2人とも黙り込んで短い沈黙が訪れたあと、城島は素面しらふに戻ったように言った。
「人生、何がどうなるかなんて分からんな。石川って先生、本当にいい人だったみたいだぞ。根っからの悪人なんてそうそうおらんが、真の善人なんてのも滅多におらんもんだ。でもあの先生、どう見ても善人なんだよな。周りの人間のことをいっつも気遣って、いろいろ世話してたらしい。出世や金にも興味がなかったみたいだしな。それがこれだろ」
 城島は、周りに聞こえないように抑えた声でそう言いながら、首を手刀てがたなで切る仕草をした。
 袴田は石川や自分の父親の光一、そして3人の容疑者たちのことを思い浮かべた。
「本当にそうですよね。なのにあんな目にうなんて、いろいろ考えさせられます。容疑者の井口と大橋も悪人っていうのとは違いますよね。むしろ要領が悪いっていうか、ずれてるっていうか。どちらかと言うと、弱い気の毒な人たちって感じです」
「それを言うなら、気の毒じゃないが、道長も弱い人間だな。こんなこと言っとると、どんな奴でもお縄にするのが嫌になってまうが、証拠が揃えば何が何でも捕まえるだけだ。それが仕事だからな。ただな、条件が揃えば、いつだって俺だってあっち側の人間になってまうかも知れん」
 目を見開く袴田に向かって、城島は畳み掛けた。
「合法的に銀行にすごい借金負わされて、財産全部失って、まだ借金があって、家族が飢えそうで、サラ金で借りて、取り立てが厳しくて、道に100万円落ちとって、誰も見とらんかったら俺は隠匿いんとくするぞ」
 こんなことを言っているが、城島はやり手の刑事として上の者も一目いちもく置いている。袴田は、城島こそ本物の善人だと思った。
 多くの人間は職業や立場で人格まで変わってしまう。成長と呼べる場合もあるが、責任や役割で善悪の判断が狂ってしまう場合も少なくない。
 袴田は、大学の刑法ゼミの教授、皆瀬みなせ昌次郎まさじろうの言葉を思い出していた。
「普通が大切なんです。研究でも仕事でも、普通の感覚を失ってはいけません。普通の感覚を失った研究なんて、愛のない結婚と同じです」
 小さな身体のどこにそんなパワーがあるのだろうと思わせる迫力のある講義で、皆瀬は法学部の名物教授だった。
 その皆瀬が1年次の一般教養の「法と社会」の授業で、独裁政権下の拷問ごうもんについて取り上げた。
 家に帰れば普通の優しい「夫」や「お父さん」である軍人や警察官が、職務として拷問ごうもんによる尋問じんもんを行うことをどう思うか、自分がそうした軍人や警察官の立場ならどう感じると思うか、授業内でディスカッションをした。
 袴田は、職務であれば人は比較的簡単に非人道的な行為を行えるのではないか思い、怖くなったものだった。
「大学に城島さんみたいなこと言ってた教授がいましたよ」
袴田は、「法と社会」の授業の話をした。そしてこう付け加えた。
「もっとも、今の日本で拷問する警官なんていないと思いますけどね。でも、組織だからとか、職務だからとか、自分の良心や道徳観が麻痺している人間は結構いると思いますね。何かおかしいと思っても、何も言わずに与えられた仕事をこなすっていうか」
「人間みんな弱いってことか。強くなれたらいいよな。強いってどういうことか今ひとつ分からんがな。ただな、袴田、社会やその中にあるシステム、つまり法律、制度、組織だな、そいういうもんがちゃんと機能しとったら、弱い人間もそれなりに普通に行きていけると思うわ。それが人間の知恵というもんだ。そうだよな」
城島は自問自答するかのように頷いていた。
「ちゃんと機能せんかったら、直さなかん。要らんシステムはなくさなかん。必要なら新しいシステムを作らなかん。システムのすきを突くずるい奴、卑劣な奴、自分勝手な奴をのさばらせんようにな。警察もちゃんと機能せなかん。しっかり働くぞ」
城島はおどけて、声を出して笑った。
 そして、ふと思いついたように言った。
「石川の事件と澤口美羽の夫の事件だがな、何かある気がする。美羽が共通項だ。凶器も似とるしな。どうだ、袴田、もう少し調べてみんか。どうせ捜査も行き詰まっとるしな。こっちも俺なりに調べてみる」
 袴田は、瑠璃との関係を思い起こし、澤口美羽が相変わらず魅力的ではあるものの、単に仕事上で知った遠い存在に感じられた。
「わかりました。もう少し調べてみます」
 袴田はすっきりとした心持ちだった。城島と話せたことで、警察官という仕事に対する自分なりの姿勢も確認できた。2人は、澤口美羽の捜査で情報交換することを約束して店を出た。秋の夜の空気が心地よかった。(つづく


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