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【連載小説】『小さな悲劇に満ちたこの世界で』1.硝子のマリア像〜2.不器用な教え子(4826字)

【これまでのお話】
プロローグ


1. 硝子のマリア像

 4月19日、愛知県警守山署刑事課の袴田はかまだ穂高ほだかと山口ひとしは、名古屋市の北東に位置する尾張旭おわりあさひ市を覆面ふくめんパトカーで移動中だった。2人は聖マシュー大学への出動命令を受けた。
 遅咲きの枝垂れしだ八重桜やえざくらが散り、藤の季節を迎えようとしていた。聖マシュー大学は、名古屋市と尾張旭市をまたぐ緑豊かな丘陵きゅうりょう地帯にキャンパスを構えていた。
 行き先が学校だからか、サイレンを鳴らさず、赤色灯せきしょくとうも出さないようにとの指示だった。向かう途中、無線で県警本部も即刻そっこく人を送るとの連絡を受けた。
 若い袴田に緊張が走った。助手席では、なぜ刑事課にいるのか疑問に思う者も少なくない、やる気のない胡麻塩頭ごましおあたまの山口がスマートフォンをいじっていた。
 袴田は、大学正門の守衛室の前で車を止めた。
「ご苦労さまです。12号館の3階、314号室へお願いします。心理学部の石川先生の研究室です」
 守衛は学内地図を手渡し、袴田たちの右前方の来客用駐車場を指差した。
 土曜日の午前11時前、授業があまりないのか、キャンパスに学生の姿はまばらだった。
 緩やかな坂を登り切ると、12号館の正面玄関に辿たどり着いた。守衛室から連絡を受けていたのか、3人のスーツを着た大学関係者らしい男たちが、安堵あんどと緊張の混じった表情で袴田と山口を出迎えた。
「こちらへお願いします」
一番年長と思われる洗練された雰囲気を漂わせる男が袴田と山口をうながした。刑事たちのあとに他の二人も続いた。
「事務長の伊藤です。314号は石川先生、心理学部の石川おさむ准教授のじゅんきょうじゅ研究室なんですが……」
50代後半とおぼしき事務長の伊藤高史たかしはそう言うと、大きく息を吐いてから覚悟を決めたように続けた。
「石川先生が亡くなってるんです」
 そしてせきを切ったように話し出した。
「1限目、9時始まりの『人格心理学』の授業に9時半過ぎても石川先生がお見えにならないと学生が教務課に来まして。内線で連絡しても、先生の携帯にかけてもつかまらないということで、この木村が先生の研究室に様子を見に行ったんです。木村君、そうだね」
 木村というのは20代後半だろうか、学部付きの職員だ。憔悴しょうすいしきった表情の木村一樹かずきが伊藤を引きいで言った。
「ええ。ノックをしても返事がなかったので、授業も始まってましたし、ドアを開けてみました。そしたら石川先生が床にうつ伏せで倒れていらっしゃって。床が黒くひどく汚れていて。血だと思いました。手首で脈があるか確認しましたが脈がなくて。ただ自分も動転していたと思うので、とりあえず携帯で119番しました。内線で事務長にも連絡しました」
 エレベータの3階のボタンを押しながら、今度は伊藤が言った。
「それで大急ぎで石川先生の研究室に行きまして、私も確認しました。私も亡くなっていると判断しましたので警察にも連絡しました。救急隊の方も死亡が明らかだということで、そのまま帰られました。石川先生はまだ居室きょしつにいらっしゃいます」
 温厚おんこうそうな心理学部の学部長、渡辺貞人さだとは60ぐらいだろうか。伊藤と木村の話を聞きながら、無言でただただうなづいていた。
 エレベータを降りると、右手前から4室目が314号室、石川研究室だった。事務長の伊藤がドアを開けると、そこには幅約3.5メートル、奥行き約6メートルの部屋があった。
 入り口から2メートル入った辺りに、どす黒い血溜ちだまりができていた。血溜まりは、白っぽい大理石模様もようの床の上で、やたらと目立っていた。
 その中で石川修は、頭を入り口に向け、うつ伏せで息絶えていた。整った顔を少しだけ右に向けて目を見開き、壁際かべぎわに置かれた黒革のソファーの木製の脚をにらみつけていた。
 40歳前後だろうか。額は黒く汚れ、額にかかる前髪は血で固まっているようだった。ソファーには、本が2冊、無造作に置かれていた。
 透明なクリスタル硝子がらすのマリア像が、部屋の奥に置かれた広い机の真ん中で、入り口を向いて鎮座ちんざしていた。像の四角い台座だいざ部分は黒く汚れていた。
 右手壁際にくくりつけられた本棚と左手の机の間は、1メートルほど空いているだろうか。キャスター付きの椅子が、つい先程まで使われていたように無造作むぞうさに置かれていた。
 椅子の下の床にはこすったような黒い汚れがあった。机のはしに置かれたパソコンの電源は入ったままだった。
 自然死でもなく、自殺でもなく、明らかに殺人だった。しかも、袴田穂高が一番に現場に到着した、はじめての殺人事件だった。
 袴田は入り口に立ったまま、事務長の伊藤と職員の木村から聞いたこと、目にしたこと、気づいたことを注意深くすべてメモした。
 犯人は、撲殺ぼくさつという暴力的な行動をとったにもかかわらず、ほぼ間違いなく凶器と思われるマリア像を机に丁寧ていねいに置いた。なぜだろうか。並々ならぬ好奇心がき立てられた。

2. 不器用な教え子

 1時間も経たぬうちに、守山署の機動捜査隊、刑事課の捜査員、鑑識かんしき、そして県警本部一課の捜査員が到着した。12号館は立入禁止となった。騒ぎに気づいた大学の職員、教員、学生で、正面玄関付近に小さな人だかりができていた。
 誰かがSNSに投稿したのだろう。あっという間にメディアにぎつけられ、大学への取材申し込みや問い合わせ、批判や苦情の電話が殺到した。
 聖マシュー大学の理事の一人、清水健吾けんごは、県警本部刑事部長の島田清澄きよすみ警視正の高校の1年後輩だった。その島田のきもいりで、特別捜査本部が守山署に設置され、島田が捜査の総指揮を取った。
 守山署からはベテラン捜査員とともに、初動に関わったとして袴田と山口も特捜本部に加わった。
 解剖の結果、死亡時刻は4月19日の未明午前2時頃から午前8時頃と推定された。しかし、事件当日の午前5時5分に、大学の教職員用駐車場ゲートが、石川のIDカードで開かれた記録が残っていた。
 独身の石川は、論文を書くためによく早朝出勤していたという。それで推定死亡時刻は午前5時5分以降、午前8時前後までの間と絞り込まれた。
 死因は鈍器どんき、具体的にはクリスタル硝子製のマリア像による撲殺だった。複数回にわたって頭部や肩に鈍器による外傷が認められた。飛び散った血液の形状から、殺害時、石川はソファに座った状態でなぐられたと判断された。
 研究室は荒らされた様子はなく、かと言って、くなっている物があるともないとも断言できる者は誰もいなかった。
 石川修准教授は享年きょうねん42の独身、東京生まれで慶応大学出身、カリフォルニア大学バークレー校で博士はくし号を取得した。同じ慶応出身の渡辺学部長のえんで、聖マシュー大学の准教授の職にいた。
 いわゆるエリートであったものの、出世や名誉にはあまり関心がなかったという。研究熱心で学会や研究会で積極的に発表し、本も論文もしるしていた。学生のウケもよく、ゼミの学生とはゼミ旅行やホームパーティも行っていた。
 翌々週の土曜日を迎えるまでに、動機があり、かつ推定死亡時間に石川研究室に行くことができたと思われる3人の容疑者が浮上した。
 1人目は、前年度の秋学期に石川と揉めた大学院2年生の井口聡子さとこだった。学部長の渡辺貞人は、将来ある学生を容疑者にするようなことを言いたがらなかった。
 しかし、変にかばいだてすることで、かえって井口聡子に疑いの目が向けられることを恐れた。それで石川から受けていた報告をもとに証言した。
 井口聡子は必修科目の「心理学専門演習I」の単位を落とした。学期末が締め切りとなっていた修士論文の研究計画書と参考文献一覧を提出しなかったのだ。
 秋学期の成績発表のあった3月4日、井口聡子は12号館の石川研究室を訪れた。石川と話しているうちに激高げっこうして、机のペン立てにあったはさみをつかみ、机をはさんで座っていた石川に切りかかった。
 はさみは石川に届かず、石川がすぐに井口の手首を掴んで落ち着かせたため、大事には至らなかった。
 大学側は、精神科の診断を受け、必要に応じて治療を受けること、休学することを条件に不問に付した。表沙汰になって、大学の評判に傷がつくことを恐れたという本音も見え隠れした。
 井口聡子は勤勉で成績優秀だが目立たない学生だった。人付き合いはあまり得意ではなかったようで、大学には友達らしい友達がいなかった。
 うまく自分を表現できず、人と親密になれないことを気に病んでいたようだった。そのことに気づいていた石川は、そんな井口聡子が安心して石川に相談に来られるように気遣っていた。
 実際、井口聡子はしばしば石川に相談に来ていたそうだ。問題の日も、課題を提出し忘れたことを謝罪に来たという。しかし、単位はもらえないと改めて告げられ、興奮状態におちいった。
 井口聡子は石川に対して信頼を寄せていたからこそ、自分の「ちょっとした失敗」が大目に見てもらえないと知り、石川への怒りを爆発させたと思われた。
 大学生と言っても、昨今さっこんの子供たちは成長が遅い。大学での成績は良くてもきめ細やかな配慮が必要になる学生も少なくない。
 そうした配慮は大学教員の仕事ではないと、学生へのこの手の配慮を一切しない教員もいる。しかし石川は人間が好きだった。いいところも悪いところもひっくるめて人間だと思っていた。配慮したがために刺されそうになったことは皮肉だった。
 井口聡子は心療しんりょう内科にかかり、不安が極端に強く脅迫的きょうはくてきであるとして、投薬とカウンセリングを受けていた。「完璧な成績」が取れないこと、修士論文が思ったように進まないことが聡子をひどく追い込んでいた。
 通学時間を短くすればもっと研究の時間が取れると考えて、修士過程1年目の秋に大学近くで一人暮らしを始めたことも逆効果だったと医師は言う。
 治療を受けながら修士過程2年目を迎え、井口聡子はなんとか学生生活をこなしているように見えたという。
 同じ石川ゼミの同級生にたずねても、「いつもどおり」とくに元気そうではなかったが、問題を抱えているようには見えなかったそうだ。石川研究室での出来事も、治療を受けていることも知らなかった。
「ずいぶん冷たいもんだ。近頃の大学生は、ゼミ仲間が元気がなくても尋ねもせんのか」
 捜査会議で報告を聞いていた県警本部刑事部捜査第一課の城島じょうしま警部は、最近の若者の人間関係に荒涼こうりょうたる思いをいだいた。そして、この井口聡子という女子学生に同情さえ感じた。
 一人暮らしをしていた井口聡子は、犯行の推定時刻は早朝で、しかも前夜から気分が優れずずっと自宅で寝ていたと証言している。
 しかし、一人暮らしでは証明は難しい。井口聡子のアパートから大学までは徒歩でも15分あまりと近い。
 また大学という場所は、徒歩でならどこからでも入ることができると言っても過言ではない。しかも、大学自治や学問の自由の風潮ふうちょうは、日本の多くの大学ではいまだに多かれ少なかれ健在だ。教員や学生を防犯カメラで監視するという発想は、なかなか歓迎されるものではない。
 聖マシュー大学では、防犯カメラは、部外者の入構にゅうこうを監視する目的で、車が通過する3箇所の門、教室のある講義棟こうぎとうと生協や学生食堂のある厚生棟こうせいとうの入り口に設置されているだけだ。
 警察は、未遂に終わったものの、石川を傷つけようとした井口聡子に疑いの目を向けた。石川研究室では、相談に頻繁ひんぱんに訪れていた井口聡子の指紋が、当然のことながらいくつか検出された。
 しかし、事件当時に研究室やキャンパスで目撃されたわけでもなければ、凶器から指紋が検出されたわけでもなかった。
 身長178センチもある男の石川を、身長156センチの女である井口聡子が約3キロあるマリア像で撲殺できるか。
 これについては、油断した状態で背後から殴られ、衝撃で見当識けんとうしきが奪われたところでさらに殴られたのであれば可能だと判断された。
 石川の人柄を考えると、自分をはさみで刺そうとした井口聡子に対しても、自分の教え子であるということで、気を許していたことは想像にかたくなかった。
 26歳の袴田は、特別捜査本部に当てられた大会議室の一番後ろで、捜査員たちの報告を一言一句いちごんいっく聞きのがすまいと耳を傾けていた。自分が現場に一番に駆けつけたのも、特捜本部に参加するのも、これがはじめての経験だった。(つづく


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