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【読書記録】『働き方全史』

『働き方全史』を読みました。

『サピエンス全史』のように歴史を辿りながら「働く」とはどこから生まれたことなのか?を説明した本です。

少し本書の内容から逸れた話をします。

今、同時並行して、『万物の黎明』も読んでいます。同時並行と言っても、まだ1章しか読んでいないですが…。

この本では、『サピエンス全史』のようなポップ人類史の説明を否定します。というのも、これらの人類史は人類の歴史を簡潔にしすぎているし、ルソーやホッブズの焼き回しに過ぎないと。

ルソーは『人間不平等起源』の中でこんなことを書いている。狩猟採集民であった頃、人類は小さな集団の中で平等な暮らしをしていた。しかし、農業革命が起き、都市が出現した。都市が出現したことで「文化」「国家」という概念が生まれ、人はその枠組みの中で決められた仕事だけをするようになった。そうなると、階級が固定化され、不平等になった。

最初はみんな平等に暮らしていたのに、発展したせいで不平等になった。

逆にホッブズは『リヴァイアサン』の中で、人間は奪い・奪われる残忍な世界を生きていた(万人よる万人のための闘争)。しかし、「文化」「国家」が生まれ、互いに奪い合わない契約をすることで人間は平等になった。

最初はみんな不平等だったけれども、人類が発展したおかけで平等になった。

というどちらかの枠組みにはまっているという。

『万物の黎明』はこのどちらでもない歴史を語る試み、というところまでは読みました。

今回読んだ『働き方全史』は『サピエンス全史』の著者であるユヴァル・ノア・ハラリが絶賛しています。そのため、『万物の黎明』から見ると、これまでのルソー型の人類史を正当化させる上で「働く」ことに関して書かれているのだなと思いました。

これからは人類史をまとめた本を読む上で、ルソー型なのか?ホッブズ型なのか?はたまた別ものなのか?を意識して読むといいんじゃないだろうか、と。本書の内容を少しメタ的な目線で見れることも知りました。

ということで、中身についての自分なりの解釈と簡単に思ったことを書きます。


人間が働く目的

経済学者のケインズは"欠乏"こそが人間を働かせる原動力だという。人間は飽くなき欲望を持っているが、それを満たすリソースはなく、あるリソースをどう配分するかが経済学の問題であると。

採集狩猟生活

太古の昔、狩猟採集民として私たちの祖先も生きていた。1日あたり約8~10時間は食糧を探すために仕事をしていた。週あたり56~80時間である。残りの時間は、毛づくろいや食べ物の消化に当てられた。

この生活は「火」の発見によって大きく変わる。どういったきっかけかは分からないが、ホモ・エレクトスの時代には既に火を使っていた証拠が残されている。研究によると、ホモ・エレクトスの前のホモ・ハビリスから頭蓋骨の大きさが大きくなっている。

頭蓋骨の大きさ
P99

脳が大きくなった理由は色々な説があるが、間違いないのはこれほど大きい脳を維持するためにはかなりのエネルギーが必要なことである。そのためには高栄養価の食べ物を食べる必要があり、これまでのような生ものだけを食べている生活では到底補えない。これを説明するために火を使って食べ物を加工していたと考えられている。

火のおかげで自由な時間が増えたとされる。現代の狩猟採集民であるジュホアンは1日あたり2時間程度食べ物を探せば十分に生きていける。先祖が残りの時間を使って道具を作っていたとされるがその他の使い道は不明である。

また、この時期の脳の成長によって、複雑なことが考えられるようになったとされる。その1つに言語の発達がある。言語の発達には様々諸説があるとされているが、本書では毛づくろいの延長線上に言語が生まれたという考えに、説得力があると書かれている。

それから数万年前までは現代に暮らす私たちのように目的意識や自己認識を持って生活はしていなかった。というのも、石絵や彫刻、装飾品が見つかっていないからだ。

現代の狩猟採集民(ハッザ、ジュホアン)は食べ物を貯蓄しない生活を行っている。彼らにとっては「たいした努力、熟考、設備、組織なしに」、簡単に必要な栄養を摂取できていたと述べている(p143)。そのため、食べ物を採りに行きたければいつでも採集できるものと考えていた。

これは当時(1969年)にとっては驚きの内容だった。一部の人類学者を除き、狩猟採集民は困窮や闘争に耐えながら生活していたと考えられていたからだ。

また、彼らは食糧を分け与えるのが当たり前であった。むしろ与えなければ暴力を振るわれるほどだった。それは、たとえ何もしていない人に食べ物を要求されても応じる必要があった。もちろん、分け与える量は周りとの差異を埋める量であって、50:50以上は取られない。

中には多くの獲物を獲得すると自分を大物や首領と勘違いし、他人を下に見るものいた。しかし、それは認められず、獲物に価値はないと言われてなだめられた。集団の中では自分の手柄には意味がなく、謙虚な姿勢が求められる。また、与えられた獲物の配分に対して、納得できない者もいたが、そういう感情を抱くことは、嫉妬ジェラシーと表現していた。

しかし、全ての狩猟採取民が貯蓄を行わなかったわけではない。寒冷な土地に住む採集民は食べ物を得られる時期が限られていたため、貯蓄を行っていた。採集が行えない時期は彫刻や装飾具の作成、いわゆるクリエイティブなことを行っていた。

では、そんな狩猟採集民が農業を行うようになったのはなぜだろうか?

1つの定説として、気候変動がある。1万8000年前から8000年前の氷河期から現在の間氷期に移行に際して生態系が変化したから、とされるものだ。農業が始まったのは約1万年前であり、時期としては一致する。

この変化で、狩猟採集民にとって慣れ親しんだ食べ物が食べられなくなり、新しい生存戦略を試すしかなかったとされる。それによって、自分たちで採るだけではなく、自ら育てることに至ったのだと言う。

農耕社会

初期の農耕生活は狩猟採集生活よりも過酷だった。

大方の専門家の意見として、ジュホアンのような隔絶された狩猟採集民よりも平均寿命が短かったとされている。

さらには、採集民よりも過酷な労働をしなければならなかった。

農業は狩猟採集生活とは違い、自ら食糧を管理する必要があった。毎日の水やり、雑草抜き、害虫駆除などやることが多かったのだ。さらには、狩猟採集民は仕事(食糧探し)をサボることは許された(自分のお腹が減るだけ)が、農民にとってサボることは自らの首を絞めると同じことだった。というのも、サボることで自分たちの育てている作物をダメにし、収穫量を減らすことにつながるからだ。

狩猟採集民はすぐに食べ物を得られることから「即時型報酬経済」と呼ばれた。それに対して、農業のような食べ物が後で得られるため「遅延型報酬経済」と呼ばれた。農耕が始まった時代に人類は「遅延型報酬経済」へと移った。
(私たちの給料は後払いでもらっている)

それによって得られる食糧をもギリギリ生きていけるかどうかの程度だった。そのため、栄養不足や飢餓、怪我が恐ろしいほど多かった。

しかし、そんな苦しい生活を送りながらも生産性を上げ、人類はコミュニティの依存度が高まると共に拡大していった。

では、「なぜ食べ物の生産性と量だけを求めてこんな過酷な生活を送ることになったのか?」後に、経済学者のマルサスは頭を抱えて悩んだ。彼は2つの仮説を考えた。

1つは神学的(キリスト教的)な考えだ。悪とは絶望を生み出すのではなく、活動を生み出すためだ、と考えていた。具体的には人間がサボっていたら人類は発展しないという神の考え。

2つ目は人口動態的な考え方。農業生産が増えて食糧の量が増えても、子どもが増え続ければその分だけ余剰生産が食いつぶされるのでいつまで経っても状況は変わらない、というものだ。

これは「マルサスの罠」と呼ばれるものである。

生産性の向上→子どもの増加→生産性の上昇→…には土地という制限がある。

ある程度の人がいた方が効率は上がり続けるが、その上げ幅は鈍化していく(限界効用逓減の法則)。

そのため、人類は増え続けた自分たちを養うために未開の地へ進出した。


中国の一人っ子政策はこのマルサスの罠に根ざしているのではないだろうか。今は全く聞かなくなったが、以前は人口が増えすぎて食料が無くなると言われた。しかし、現在は子どもは働き手ではなく、お金のかかるものとして認識され、子どもを産みにくい世の中になってきている(子どもを高学歴にしなければ生きていけないと、考える人が多く、子どもを1人育てるのに膨大なお金がかかる)。


この時の「勤勉に毎日働く」という精神が、食料生産をしない我々にも引き継がれている。

農民は田畑を耕し、食糧を生産する内にこんなことを考えた。

私たちがやっていることは、野生の森や荒れた土地を生産性の高い農地に変えていると。 

採集民は野生のものと育てているものを区別しない生活を行っていた。しかし、農民は神学的に言えば神々の持ち物である土地の責任を請け負わなければいけない選択をした。土地を自分たちのものとし、壁や柵などで自然の空間と分けた。

それから、農民が土地に対して労働力を投入し、作物を育てることを取引のように考えるようになった。つまり、労働力を借りとして、土地で実った作物を収穫させる権利があるというのだ。

この土地と人との関係を人と人にまで広げようと後に考えた。

農耕民と余剰生産物に頼っていた人の貸し借りを取り決めるものとして、生まれたのが貨幣で、これが真の歴史だと有力視されている

一般的に言われている貨幣の始まりはアダム・スミスの分業の寓話にある。

狩猟民族の中に弓を作ることに才能があると気づいたものがいた。その者は自分の作った弓と肉を交換するようになった。また、狩猟が好きではなかったため、完全に狩猟を辞め、専属の武器職人として生活するようになった。そんな人を見た周りの狩猟民も、各自が全てを行うことは非効率であり、自分が得意なことをして、その対価と生産物を交換して生活するようになった、というものだ。 

そして、人間は交換して生活するようになった。しかし、これには問題がある。アダム・スミス自身も指摘しているが、それは交換したい物のニーズ(需要)がシーズ(供給)に合うとは限らない。そこで生まれたのが貨幣であって、「価値の保管」や「交換の媒体」としての意味があるとされた。

しかし、これには根拠がないという。

都市生活

農耕社会が大きく変わったのは、作物の余剰生産が多く生まれてからである。人類は有り余ったエネルギーを使って、建築物を建てるようになった。これが都市生活への足がかりである。

農民は自らの手だけではなく、家畜を使って生産性を上げるようになっていた。

これがさらに大きく変わったのは、ローマ帝国拡大による奴隷が運び込まれてからだ。それまでは小規模農家が個々人で作物を耕していたが、奴隷が使われるようになった。奴隷は家畜のように扱われた。

ローマ経済は奴隷によって支えられていたが、これが経済格差を生む原因にもなった。多くの奴隷を持つものは多くの富を築くようになった。また、人間の仕事の大部分が、生きるために必要なエネルギー資源の調達が目的ではなくなった。

ここで、食糧生産から解放された人類が生まれた。そこで新しい職業が生まれた。そしてその職業は社会的な重要性を持つようになった。

人々は似たような仕事をする者どうしの間に仲間意識や安らぎを見出して都市での個々人のアイデンティティは職業と同化した。

そんな職に携わる人々が、時間が経つにつれいくつかの世代にわたる小さなコミュニティとして一体化し、その子どもたちは一緒に遊んだり結婚したりして、宗教的慣習や価値観、社会的地位を共有するよになった。それは都市社会が確立するにつれ、職業は社会的、政治的、さらには、宗教的アイデンティティと混ざりあっていった。

この時点で、食料、水、暖かさ、快適さといった絶対的な欠乏からは解放された。そして、願望・嫉妬・欲望という他者との相対的な欠乏に支配されるようになった。

この欠乏感が長時間働き、出世コースに乗り、世間に遅れを取らせないようにしたくなる原動力につながった。

やがて、さらなる技術の進歩により産業革命が起こった。産業革命の初期には都市の発展によって生まれた一部の職から仕事を奪った。しかし、新たな職も生まれた。新しい職はエンジニア、科学者、デザイナー、発明家、建築家と呼ばれるもので、ほとんどが教育を受けた都市階級の仕事であった。そのため、一部の人にしかチャンスは巡ってこなかった。

職を失った人や都市に出稼ぎにきた人たちは精神が参ってしまうような反復作業の繰り返しの仕事しか残っていないかった。産業革命によって産み出された富は上流階級にしか流れないため、不平等は固定化された。

全て生産性を上げるための行動だったが、1850年代には工場労働者へきちんとした住居、食事、贅沢をするための所得が与えられた。

労働の対価を現金で受け取る人が増えるにつれ、労働者階級と呼ばれる層の蓄財や野心に消費が影響力を持つようになった。

この消費先として上の階級と同じような暮らしをしたいと考え、張り合いが起こった。

この時代から、仕事はより多くのものを購入するための手段として確立した。それから生産と消費のループが始まる。

エミール・デュルケームは

新しい流行をすぐに受け入れるのは、金持ちや権力者に並びたいと願う、どちらかと言えば貧しい、あるいは最低限の生活を送っている人たちだと信じて疑わなかった。

P302

という。また、アダム・スミスの「分業」論に影響を受け、仕事と社会の結びつきについて考えた。

原始社会の人々は都市社会の人々よりもはるかに強い共同体意識と帰属意識を持っていた。なので、幸福度が高く、自信を持ってる人が多いと考えていた。

彼らにとってすべての人が交換可能な役割を持っているのなら、共通の習慣、規範、宗教的信仰心でまとまることができる。それに対して、都市に住む人々はそれぞれ異なった役割を持つため、世界の見方がそれぞれ異なる。

そのため、その人たちをまとめることは困難であり、破滅につながると考えた。そして、それが常に弱体化を招く社会病を誘発すると主張した。これを│無規範状態《アノミー》と呼ぶ。

また、アノミーを自殺と結びつけ、自殺には社会的の責任があると考えた。

伝統的な職人が技術の進歩によって仕事を失い、仕事によって得られた生きがいすら得られなくなった。自分が社会に貢献できる立場を失う。これによって自殺すると。

アノミーは都会人に帰属意識と共同体感覚を与えるギルドのようなもので解決されると考えていたそうだが、全く解決せずに悪化している。

1900年代にはテイラーによる『科学的管理法』によって、工場労働の効率化が進んだ。

具体的には、

あらゆる生産工程を最小の構成要素に分解し、それぞれの時間を計り、その重要性と複雑さを評価し、効率を最大化することを中心に、工程を上から下まで組み直すことだった。

P310

この方法を導入し、一躍有名になったのは自動車メーカーのフォードだ。これまでは車を1台1台、職人の手によって作っていたが、シャーシ(車の骨組み)を生産ラインに送って、労働者に単一の作業だけをさせて車を作った。

これによって、車の生産時間は12時間から93分へと大幅に短縮された。また、効率化によって産み出された利益の一部を労働者に還元した。そうすると共に労働者の休暇を増やし、稼いだお金を使わせる時間を増やした。1920年代半ばにはフォード社を中心に労働時間は週5日の40時間労働が基本になった。この労働時間は世界恐慌や第二次世界大戦の影響を受け、数時間は前後したが、今とさほど変わらない。

1950年代のアメリカでは、軍事技術・製品を応用して家庭用品が作られるようになった。この時期には冷蔵庫、ファストフード、インスタント食品も作られ、毎年旅行するようになった。

経済学者のガルブレイスは『ゆたかな社会』において、先進国は既に生産性が高く、全ての国民は物質的ニーズを満たしており、ケインズが指摘したような欠乏による経済問題は既に解決したと書いた。むしろ食べ過ぎで死ぬ人が多いと指摘した。

このようなことの背景には生産者と広告主が手を組んで、新たなニーズを人為的に生み出して生産と消費の回し車を続けようとしているのだと考えた。

そもそも広告業の始まりは工業化にある。

1729年、ベンジャミン・フランクリンは新聞社を買収したが、それだけでは利益を上げることに苦戦していた。そこで、事業の宣伝をしたい商人に紙面の一部のスペースを売ることを考えた。しかし、最初はスペースを買うことに意義を見いだせなかった。そこで、フランクリン自らが作ったストーブを紙面で大々的に宣伝することにした。その効果は絶大で、ストーブの売り上げは右肩上がりになった。これを聞きつけた商人たちは新聞のスペースを買うことにもつながった。

これが広告業の始まりである。その100年後には広告代理店と呼ばれる広告を出したい企業の代わりに広告をデザインし、新聞に掲載する企業が生まれた。

広告の効果は生産と消費を回すだけでなく、人々が不平等を気にしなくなることにもあった。それは、新しいものを買うことは自分たちに上を目指している感覚を覚えさせ、格差を縮小させるように感じたからだ。

それから1980年までは労働生産性と賃金は比例しいたが、それからは労働生産性は上がるが、賃金は伸びないグレート・デカップリングが起こった。

これによって技術の進歩は一部の人をより豊かにし、それ以外の人から職を奪う一例になってしまった。

1988年にはマッキンゼー・アンド・カンパニーがクオータリーに『人材獲得戦争』という記事を出した。そこには、「人材をめぐる争いはこれから激化する」「いい企業と悪い企業の違いは優秀な上級幹部の多さにある」など、空虚な内容ばかりが載っていたという。これは当時から大企業の中にあった「優秀な人材を引き留めるには高額な報酬を提示しなければいけない」ことが正しいと言わせる証拠書類になった。

この考えは後のリーマンショックでも使われた。コスト削減のために従業員の解雇や事業の終了したが、幹部の給料は変わらなかった。というのも、幹部がいなければこれから立て直せないと考えたからだ。

これは自分たちの金銭的報酬にはふさわしい価値があるという証拠を裏づけるものである。解雇される人は金銭的な報酬に見合わないとされ解雇される。

その根本には富は勤勉さに比例するという夢がある。これを壊したがらないのは、長時間労働をするよりもお金がお金を生む仕組みを知ってしまうと自分が主体的に生きている実感を得られなくなるからだ。

この幻想が、「過労死」「ワーカホリズム」「ブルシットジョブ」といったことを引き起こしている。また、人間だけでなく地球温暖化やゴミ問題などの環境への問題にもつながっている。

そして、現在ではAIが進歩し、ケインズが予測したようなユートピアが現実になった時に起こることが実現しようとしている。

労働力を節減する手段を発見したために起こる失業が、労働の新たな使い道を見つけるペースを上回る

P363

これの対策方法としては、ユニバーサルベーシックインカムの導入がある。また、楽観的な方法としてAIが発達することで解決するだろうとされている。

感想

狩猟採集民が楽々生活できていたのは、正直驚いた。当時の学者にとっても衝撃だったように、「え?それで生活できるんだ」と。

物を蓄えて生活をしている私たちから見ると、どうしても怖いと思ってしまう。

農耕社会の始まりにはどうしても疑問を覚える。

仮に私たちも物が品薄だったら、遠くまで探しに行くのではないだろうか。ましてや狩猟採集民なので、帰る場所はない。行った場所で寝泊まりするのだから、永遠と食糧探しをしていそうである。そこで何もない所に定住し、物を育てようとするのだろうか?

しかし、「即時型報酬社会」と「遅延型報酬社会」はなるほどなと思った。確かに今にもつながっている話だと。そう考えれば、日雇い労働やウーバーイーツなどのギグワーカーは都市社会の狩猟採集民とも捉えられる。

しかし、直接食べ物を手に入れられるわけではなく、お金という資本主義のシステム上の引換券をもらうだけ。都市社会の狩猟採集民は資本主義を介さなければ食べ物を手に入れられないシステムになっている。

都市社会の狩猟採集民は農民とは違い、将来の心配などせずに今を生きるために労働をする。

私たちは「将来どうするの?」ということをどうしても考えて仕事をしてしまう。しかし昔ではあり得なく、ただ今を生きるために労働していた。だが、今はよっぽどの事が無ければ生きてしまえるから将来の事を考えざるを得ない。

そう考えれば、持続的でもある農業に従事するのもうなずける。農地を拡大し、働けば働くほど食糧を確保できると分かるから働く。

働けば働くほど食糧を確保できるという神話は現代では崩れ去っているが、そう思わせなければ、上の人も食べていけないし、そうせざるを得ないというのも知った気がする。

ガルブレイスの生産者と広告が手を組んで新たなニーズを生み出しているというのを読んで『暇と退屈の倫理学』を思い出した。確か、同じようなことが書かれていた記憶がある。

自分の「やりたいこと」「好きなこと」は産業によって作り出されている。「本当にやりたいこと・好きなことはあるのだろうか?」と。

さらには、私たちは暇や退屈をしのぐために産業の虜になり、作り出された「やりたいこと」「好きなこと」に興じているのではないかと…

また、『暇と退屈の倫理学』を読み直したいと思いました。

引用したテイラーの科学的管理法の具体的な実践は、自分が仕事の中で使っている方法でもあり、嬉しいような複雑なような気持ちになりました。

常に「最短時間で終わらせる」と思って取り組んでいませんが、普通にやればこのくらい、急げばこのくらい、ゆっくりやればこのくらいかかるという肌感はもって取り組んでいます。スピードは変えないけれども、その中で最短はどういう道筋だ?ということは意識してやっています。

本書で、仕事を中心とした人類の発展のいちストーリーは知れたのかなと思います。冒頭にも書きましたが、やはり、本書は農耕社会を作って不平等が生まれたとするルソー型の人類史なんだな〜と。

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