園丘くすみ
日々考えて書いたことをまとめたもの
いいアイデア、自分を構成する考えになりそうなもの
主にTEDとBBCの動画の内容と感想を投稿。 イマージョンラーニングを意識してやってます。極力短い時間で終わって欲しいので、動画は1.25倍速で見ています。
四季報写経の進捗記事。
ネタがないときはとりあえず書き始め、のちの展開を思うがままに進めることが多い。 今日は、それでいいんだと知り、勇気をもらった。 図書館でアランの『幸福論』を借りてきた。 まだ訳者である神谷幹夫の解説しか読んでいないが、そこにはこう書かれている。 そう、即興なのだ。そして、それらはモチベーションに関わらず、毎日2時間で一気に書き上げられた「プロポ」(紙葉1枚に2ページにわたる断章)だ。 そのため、タイトルは幸福「論」とされているが、内容は2ページずつのエッセイがつづら
今、『数学思考のエッセンス: 実装するための12講』を読んでいる。 この手の本にしては珍しく、数式が一切出てこない。「数式が1つでも登場する本は売上が激減する」ことを聞いたことがある。そんなことを狙ってなのか、登場しない。 数式による説明はなく、あくまでも文章と図表で説明している。 私としては、あるていど数式があった方が、文字の解釈が合っているのか確かめられていいのだが、世間的には受け入れられないらしい。文章だけで理解しようとすると頭がこんがらがってくる。 本書は統計
記事を書いているとつくづく文と文の接続が大切だなと感じる。 切れ切れになるところをうまくつなげられるか。ジグソーパズルの足りないピースを見つけられるか。 そんなことを思っている。 ほとんどの記事を何も考えなしに、思うがまま書いている。 書き終わってみれば、当初考えていた以上に書けたこともあるし、思ったりよりも全然広がらなかったこともあるし、全く違う方向に進んだこともある。 なによりも、自分は軌道修正がヘタクソだなと感じる。話が脱線すると、それはソレで完結してしまうし
『コミティア魂 漫画と同人誌の40年』を読みました。 以前読んだ、『「同人文化」の社会学』で、コミケとは違い、2次創作を扱わないコミティアがあることを知りました。 たまたま本書が図書館の新作コーナーにあり、これも何かの縁かもしれない、ということで読みました。 『「同人文化」の社会学』では、コミティアはほとんど扱っていませんでした。先に書いたような、オリジナル創作のみを扱う販売会、だけ記憶にあります。 コミケとの違いコミケとの違いを書けば、本書を読んだ限りだと、閉鎖的で
慌てて投稿して毎日更新記録を途絶えさせないことはしないと決めたものの、目の前に2ヶ月くらいの連続投稿がぶら下がっているとぶれてくる。 ということで、気ままに書いていきます。 2ヶ月は1年の1/6。割合で書くと16%になる。25%どころか、20%にもなっていない。それでも、目の前に「続けてきたこと」が見えていると、抗えないなにかがある。 「習慣を作る」とはいいことのように思われているが、呪縛のようなものでもある。人から見れば無意味な習慣もある。けれども、当人にとっては、そ
投稿はしているのだが、書いている気がしない。 以前も似たようなことを書いた記憶があるが、記事が見当たらない。そのときは確か、ストックを貯めているから書いている気がしない、と書いたような気がする。 要するに、毎日書いてないから、書いた気にならない。 これまで毎日投稿や、書くことについて、あれこれ書いてきた。 直近だと、1ヶ月前のこの記事だろうか。 「何か」を書くことは、非日常的な特別なことを書こうとしているから難しい。そんなことを書いた。 それ以前だと、習慣を7つ作
13回目。グレードダウンしても継続させる。 感想毎回、動画冒頭の挨拶は何を言っているのか理解できる。が、すぐによくわからなくなる。 まずは、流し見の習慣を作る。当初からはグレードダウンしたが、それでも流さないよりはマシだと思って続ける。 9/19流し見。 9/20流し見。 9/21流し見。 9/22流し見。 9/23流し見。 9/24流し見。 9/25流し見。
前回から1ヶ月以上経ちました。地道に続けています。 この投稿をしてから1週間後に、30社ほどの写経の記録が消えて萎えました…。 そんなこともあって、今月はめんどくさくなりました。カップラーメンのお湯を沸かす時間と待ち時間を利用して1社写経するなど、ちょっとした隙間時間でもいいからやろうということを心がけました。 消えてしまった会社を写経するのも復習になっていいのですが、気が乗らないので、別の業界からアプローチすることにしました。 また例のごとく、網羅しやすい業界から始
前回の投稿から1か月。伸びないなぁ~と感じながらも、ほぼ毎日続けています。 (記録によると3日サボってます) さて、どうなった?のというところですが、自分でもサッパリ覚えていません。 1ヶ月ぶんのたまりにたまったスクショを貼りつつ、過去の記事を見直しながら進捗状況について確認していきます。 (スクショする基準もあいまいになっています) 以下記録の羅列が続きます。感想まで飛ばしてOKです。 目次に何をやって、どのくらいのスコアか?は分かるようにしておきます。 8/29
『夏のピルグリム』を読みました。 完全に、表紙に惹かれました。本業界全体でアニメ調のカバーが増えている印象があります。ちゃっかり私も乗せられました。新海誠風な作画が好きかもしれません。 タイトルにあるピルグリムとは、巡礼という意味があるそうです。つまり、タイトルは、夏の巡礼、という意味。 主人公の夏子は中学2年生。妹のチイちゃんと一緒にヴァーチャルアイドルの羽猫を推している。唯一の友達のマチとライブに行き、推しの引退を知る。ネットの羽猫の目撃情報をもとに宮崎への巡礼の旅
最近、ラジオを聞いている。 どーーしても気になる表現がある。 番組冒頭で自己紹介をするのだが、ここで接続詞に「として」を使う。 複数のパーソナリティがいるときは、「として…として...」と連呼している。 それって、 でよくないか?と、毎回気になっている。 noteで文章を書いていることもあってか、細かな表現が気になりつつある。 文章術の記事を読んでも、「として」は文章が冗長になりやすいのでカットする、と書かれていることが多い。 私も頻繁に「として」を使っている
銭湯行きました。 普段は行きません。気分や疲れたときに入ります。と言っても、年に1回あるかどうか。 いまだに原因不明ですが、大人になってからすぐにのぼせてしまいます。 けれども、「せっかく来たのだから…」という金銭的・機会的な面から、すべてのお風呂に入らないと損しているように感じます。 完璧主義と言いますか、決めたことはやらないと気が済まない性格です。決めると言っても直感が多いですが。 考えて決めたことも重要ですが、決めるまでが大変で、決めたあとは自分の敷いたレール
この1か月くらいは、常にあるていど完成形の記事のストックがあった。 毎日、新しい記事のアイデアをメモりつつ、既にメモっていたアイデアを形にする作業の繰り返し。 もちろんアイデアの勢いで形にすることもあった。けれども、後者の割合の方が多い。 「アイデアはあるんだけど、広がらない」とか、「なんか書くのが重い...」とか、あれこれ理由をつけて後回しにしていた。これらを少しずつ、思いつくままに書いていた。 つながり悪いなぁーと、思いつつも、何も書かないよりはマシ、投稿しないよ
昔から、幼く見られていた。中学生のときは、小学生に。高校生のときは、中学生に。大学生のときは、高校生に。社会人になっても「大学生ですか?」と聞かれる。 大学生のとき、お土産コーナでお酒を見ていると、「試飲しますか?」と聞かれたときは驚いた。「ついに私も大人に見られるようになった!」のかと。 けど、そんなことはなかった。
12回目。 感想サボり癖がついてきたので、流し見でも、とりあえず続けるようにする。今週は、タイピングとセットでやって、動画を視聴したことにしている。 流し見なので、内容がどうこうというよりも、「1週間どうだった?」という感想が大切。なので、順番を入れ替えた。個人的に振り返るときも、スクロールせずに内容を知れるので手っ取り早い。具体的な「何を見たか?」は気になったら見ればいいというスタイル。 9/12,13サボり 9/14 流し見。 9/15流し見。ナウル共和国の人?
スマホでメモを取るようになって、楽になった。 何が楽になったか。 時間あたりに書ける文字数が多いのもそうだし、何より肩が凝らない。 けれども、上の世代ほど、メモは紙派が多いのは知っている。 そんなあなたを味方するなら、「要約力」が身につくのが、紙のいいところ。紙では、聞いた事を1から10まではメモすることができない。言葉を選んでメモする必要がある。全てを書こうとすると、何の話を聞いていたのか、分からなくなる。 若い世代は読解力が落ちていると聞く。SNSの影響で、短い