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記録がもったいない

慌てて投稿して毎日更新記録を途絶えさせないことはしないと決めたものの、目の前に2ヶ月くらいの連続投稿がぶら下がっているとぶれてくる。

ということで、気ままに書いていきます。

2ヶ月は1年の1/6。割合で書くと16%になる。25%どころか、20%にもなっていない。それでも、目の前に「続けてきたこと」が見えていると、抗えないなにかがある。

「習慣を作る」とはいいことのように思われているが、呪縛のようなものでもある。人から見れば無意味な習慣もある。けれども、当人にとっては、その行動をすることで落ち着く。むしろしないことでオドオドしてしまう。

だいぶ前に「習慣」と「依存」の違いについて書こうと思っていたことを思い出した。

書こうと思っていたものの、特段材料は手に入れられていない。順序としては、習慣のあとに依存がやってくる、と思っている。

きっかけを持って始めたり、なんとなく始めたものが、習慣になる。それから、それ無しでは精神がおかしくなりそうな状態になったら依存だと思っている。

私はもちろん薬物なんてやったことはないが、「スマホ依存」が近しいものではないかと思っている。

みなさん、スマホがあるべき場所に無かったら、焦って盲目的にスマホを探しませんか?

私はそうです。「おそらくテーブルに置いた」「ベットにあるはず」「ソファーにころがってる」そんな記憶を元にスマホを探して、いつも見つけているはず。

けれども、一転して思ったところに無かったら、、、

「あれ!ない!ない!私のスマホどこ!!!」ってなりませんか?

スマホが見つかるまで全く落ち着かず、ずーっとスマホを探し続ける。

薬物依存も同じで、保管している場所になかったら、「あれ!もうないの!」「他の所に万が一置いてたかも...!」とあたふた探す。見つからなければ、売人に「すぐに売ってくれ、値段は問わない」と連絡している。

薬物のやり取りは番組の再現VTRでしか見たことがないけれども、こんな感じだろう。

「習慣」と「依存」の明確な線引きは分からないが、自然とやっているのが習慣で、やってないと落ち着いていられないのが依存だと思っている。

気づいたらやっていた。特段やっていなくとも何とも思わず、ふとした瞬間に「あれ?最近やってないかも?」と思うのが習慣。

反対に「今日はまだできてない」、とずーっと頭を悩まされ続け、できていないことをずっと根に持って精神を病むのが依存だも思っている。

ここで疑問に思うのが、「やらなければいけないこと」についても、依存のような後ろめたさや、ずーっと精神を病むことがある点だ。

やらなければいけないことは、やれていないわけで、依存ではない。むしろ依存とは正反対にある。

ということで、時間がそろそろせまりつつあるので、終わりにする。習慣と依存に関してはまた考えてみたいなと思いマス。

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