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怒られていても困っていても笑っていると言われるくらいの笑い顔。ビール大好き。小料理屋の…

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怒られていても困っていても笑っていると言われるくらいの笑い顔。ビール大好き。小料理屋のおかみが将来の夢。ヨガインストラクター、調理師、保育士、アロマセラピスト。田舎暮らしに憧れる一児の母。

最近の記事

子育てで大切なこと。

子育てとは、子どもが自立するためのお手伝いをすることだと思っている。 だから、私は子どもに干渉しないようにしている。 あれこれと提案をしないし、 先回りして、レールを敷くようなことはしない。 そういう意味で、私の子どもは自由ではあると思うんだよね。 自分で決めたことへの責任付きの自由。 結構大変かもね。 自分で決めるから失敗しても人のせい、親のせいにはしない。 それが素晴らしいなと思う。 子どもって自分の失敗を親のせいにしがちだよね。 寝坊したことを怒る子どももいるよね

    • 自分の物差し。

      自分の物差しで人を測る。 やってはいけない。 分かっている。 良かれと思ってやってあげたんだと言うやつ。 それも同じことなんだよね。 良いと思っているのは私。 相手は良いとは思っていない。 私が良いと思ったことをあなたにやってあげている。 なんということだ。 自分勝手甚だしいよね。 でも、やってしまうのよね。 自分の物差しがあるように、それぞれの人に物差しがあるのだ。 子どもにだってそれはある。 だから、自分の物差しで判断することはやってはいけないのだよね。 そのま

      • 幸せとは。

        幸せって人それぞれ違うものだと思う。 美味しいものを食べたり、美味しいお酒を飲んだり、友達と遊んだり、家族と過ごしたり、あげればキリがないほどにある。 でも、その行為自体が幸せということではなく、何かをすることで得られる感情を幸せというのだと思う。 予定をいっぱいに埋め尽くすことで幸せにはなれないし、 他の人と比べても幸せにはなれない。 幸せは外側にはなく、自分の内側にあるということなんだよね。 何もしなくても自分の内側が満たされていたら幸せなんだよね。

        • 子育は大変なのか。

          子育ては大変とよく言われる。本当にそうなのだろうか。 子育ては大変なものであるという刷り込みではないのかしら。 あるあるだよね。 自分はたいしたことではないと思っていたことでも、大変だったでしょうと言われると、そんな気になってしまう。 気持ちの書き換えが起きてしまう。 今は情報が溢れかえっている。 でもその情報って発信者が経験して感じたことがほとんどなんじゃないかな。 だから、自分が経験しても同じ結果になるということではないよね。 いくら情報が正しいものでも自分に当てはま

        子育てで大切なこと。

          エゴ人間。

          エゴって悪いものなのかしら。 エゴって捨てられるのかしら。 子育てにおいて親のエゴは良いものとは思わない。 むしろ、子どもにとっては悪かもね。 子育てでありがちな、良かれと思ってやってあげたのに、というのは親のエゴよね。 子どもに自分の価値観を押し付け、コントロールする。 それはやってはいけないよね。 だとするとエゴを捨てるということは、相手をそのままに受け入れて認めるということなのか? でも、人間ってエゴを捨てることってできないんだろうな。 人間ってそういうものだか

          エゴ人間。

          こだわりと自分勝手。

          こだわりを持つことは良いことだと思う。 でも、こだわりが強すぎるとちょっと違うんだろうな。 こだわりの中に相手を受け入れる隙間みたいなものを作っておくと良いのかも。 そうすることで、自分のこだわりがワンランクアップする気がする。 ただ、子どものこだわりは訳が違うと思う。 子どもはそんな隙間なんて作らず、ただただ、こだわれば良いんじゃないかな。 だって、大人になったらそんなこだわりは捨てなきゃいけない時もあるのだから。 こだわるというか、自分勝手に生きる。 それが子どもだと

          こだわりと自分勝手。

          それって親のエゴなのでは。

          子どもが静かにしているなと見てみると、大抵スマホを見ている。 食事中でもいつでも。 子どもに静かにしてほしいからとスマホを渡す親。 スマホを取り上げると泣く子ども。 だからまた、スマホを渡す。 泣かないように、騒がないようにと手段としてスマホを使う。 最近の子は、目が寄っていると聞いたことがある。 そりゃ、あんな至近距離でずっとスマホを見せられたらなるよね。 確かに、電車の中で泣き叫ばれた時の周囲の目は冷たい。 それならいっそのこと、スマホを見て静かにしていてほしい。

          それって親のエゴなのでは。

          雨に思うこと。

          雨の日。 共働きだった両親が帰ってるまでの間、部屋で雨の音を聞きながら静かな時間を過ごすのがたまらなく好きだった。静かで穏やかな時間。 学校生活は賑やかな時間を過ごすことが多く、それも楽しかったけど、雨の日の独特な静けさを感じながら一人で過ごす時間がとても好きだった。 いつから雨が嫌いになったのだろう。 髪がまとまらなかったり、服が濡れたり、歩きにくかったり、色々と面倒なことがある。それを嫌だなと思ってしまう。 子どもの頃はそんな雨が大好きだったのにね。 雨が降るとワク

          雨に思うこと。

          頑張るって何だろ。

          頑張る。 人間はいつから頑張り屋さんになったのだろう。 スポーツでもなんでも、歯を食いしばって頑張っている姿に人は感動する。 でも、日常生活において必要なのかしら。 私は頑張ってという声掛けが好きではない。 だから、子どもにも頑張れとは言わない。 なぜって。 言われなくても頑張っているから。 それなのにもっと頑張れって、大変だよね。 みんな頑張っている。 見た目は涼しそうにしていても、どこかで頑張っている。 水鳥のようにね。 たまには力を抜いて、思い切り自分を甘やか

          頑張るって何だろ。

          正解を求めるとは。

          正解を求める。 このやり方は合っているか間違っているか、 そんな風に答え合わせをしながら子育てをする。 分からないことばかりだから、それも仕方がないことなのだよね。 でも、正解ってあるのかしら。 正しいことをやっているという親のエゴではないのかしら。 たとえ正しいことだとしても、子どもが悲しそうにしていたら、それは正しいとは言えないよね。 これは正解だからやりなさいと言えるのかな。 私はそんな自信はないな。 その正解が間違っているかもしれないしね。 正しさよりも心地よ

          正解を求めるとは。

          好きでい続けること。

          好きなことはたくさんある。好奇心も旺盛。 好きなことで生きていけたらなんて素敵なんだろうなんて、何百回思っただろう。 で、今、好きなことで生きているのかと言ったらそうでもないのだよな。 結局、好きなことをやっていても、どんどん好きなことじゃなくなって、始めた時の情熱はどこへやら。 これは本当に好きなことではなかったんだ、とか自分を正当化してみたりして。 恋愛も一緒だな。 誰か教えて欲しい。 ずっと好きでいられる方法を。 私には何にも見えないぞ。 でも、そんな飽きっぽい

          好きでい続けること。

          きちんとしなさい、とは。

          子育てにおいて、きちんとしなさい、という言葉をよく耳にする。 きちんと。 とっても曖昧な言葉。 きちんとしなさいと言われて理解している子どもはどれだけいるのだろう。 さらに、きちんとしなさいを理解して使っている大人がどれだけいるのだろう。 その人が思うきちんとと、別の人のきちんとは違うと思う。 どうしてそんな曖昧な言葉が子育てで使われているんだろう。 子どもは混乱するよね。 子どもに何かを伝える時、曖昧な言葉は使わない方が良いのかもな。 もっと具体的にわかりやすい言

          きちんとしなさい、とは。

          身軽に生きるということ。

          物欲はあまりない。 モノも少ない方だと思う。 でもモノは増える。 引っ越しをして、モノをたくさん減らしたつもりだけど、まだ要らないものは沢山ある。 モノからしてみれば、要るとか要らないとか、自分勝手すぎるだろと思ってるだろうな。 ごめんなさい、わがままで。 手放すには勢いがいる。 人からの頂きものや子どもの制作物はよりハードルが高くなる。 最近は、たとえ人から頂いたモノでも、今の自分に必要ないモノは処分するようにしている。 私のために選んでくれたことへの感謝を込めて。

          身軽に生きるということ。

          人に頼るということ。

          たとえ一人でやっている仕事であっても、一人で完結する仕事はなく、 誰かがどこかで関わってくれている。 同様に、自分一人の力で生きていくなんて出来ないんだよね。 それなのに、誰にも頼らず一人で生きているような顔をする。 他者を受け入れず、他者を理解しようとせず、他者と交わろうとしない。 誰にも頼らずに生きていると思うなんて、ただの傲慢なのにね。 子育てにおいても、一人でなんでもやろうとする。 責任感の強さは素晴らしいことだけど。 誰かに頼られるって嬉しいことなんだから、互

          人に頼るということ。

          料理という瞑想

          小さい頃、台所に行って、母の料理するところを見ているのが好きだった。 色々な音や香りに包まれている空間に癒されていたのかもしれない。 何も考えずに、ただただ五感を働かせている時間。 今では、料理をすることが大好きになった。 調理師免許まで取ってしまった。 昔とは違って、没頭する感じ。 メニューも決めず、頭の中でイメージしながらあれこれと食材を組み合わせていくのがたまらなく好き。 時間を忘れて、今と向き合う。 瞑想にも近い感じがする。 誰かに喜んで欲しくて作るけど、結局は自

          料理という瞑想

          やらないという選択。

          やらないことを決める。 それってなかなか難しい。 スケジュールをパンパンにすることが良いように感じて。 どんどんやることを増やして、結局忙しくて、余裕がなくて。 でも、その忙しさって本当に必要なんだろうか? 暇であることを恐れているだけなのかな。 何をするかじゃなくて、何をしないかを決めたら、人生に余裕が出るのかも。 何もしないことを楽しむ。 そんな心のゆとりが欲しいな。 何もしない贅沢、味わいたいな。

          やらないという選択。