エッセイ【僕とオッサンと、時々オフロ】

公衆浴場、銭湯が好き。何より風呂に浸かるのが好きだ。
サウナで整うことも覚えた。
そんな大好きなお風呂は、たくさんのストレスで溢れている。(浴槽と掛けているつもりはない)
僕の風呂でのルーティンと一緒に書いていこうと思う。
最初は汗を流すためシャワーを浴びる。
そこで早速、シャワーの温度をいじった挙句、冷水に合わせたままの蛇口に出会うと悲しくなる。温度を元に戻さないままにしておく神経が分からない。
最近は慣れているから良いが、何度冷水を浴びて息が止まりそうになった事か。
なぜこちら側がいちいち低すぎる温度じゃないか確認してしなきゃいけないんだ。
使い終わったら戻す。
来た時よりも美しく。
それだけのことじゃないか。

身体を洗い流し浴槽に浸かる。

ふー。一息。

しかし、
カピカピの、
明らかにシャワーすら浴びてないオッサンが
掛け湯もせずにジャポン、と同じ湯に浸かって来ると、
今まで綺麗にした身体が全く意味のないものになる感じがしてたまらなくなる。
掛け湯すらしていない間違いなく汚いオッサン。
同じ湯に浸かる俺。
身体を洗ったオッサンでも、泡がごっそり付いているのに気づかず入ってくる人も多い。
しかし、ここは身体が温まるまでの我慢なのだ。

身体が温まった所でサウナに入る。
サウナに入るときは、しっかり体の水分を拭き取ってから入るのがルールである。
他の利用者のためと言うのもあるが、しっかり汗をかく事ができるし、合理的な入り方でもあるのだ。
しかし、サウナ内には当たり前にドボドボのオッサンがいる。
そういうオッサンは大抵、サウナ内でタオルを絞って、スノコをビチョビチョにしている。
そこでも腹が立つなぁ、と思いながら水風呂のために我慢をする。

もう限界、の一歩先まで踏ん張りようやく水風呂に入る。もちろん掛け湯してからね。
水風呂、サウナにハマるまでは苦手だったんだけど、その先(外気浴)の気持ち良さを知った俺にとって、やはりここも我慢なのだ。サウナ後の水風呂は、サウナ利用者にとって必須なのだが、頭までしっかり潜るタイプの人間を見ると、そのまま沈めてやりたくなる。
浴槽の水で顔をジャブジャブする輩も気が悪い。その湯船に浸かる俺。

そして外気浴。
これが最高に気持ち良い。
心臓を叩く、一つ、一つの鼓動を感じながらゆっくり呼吸する。
ビリビリ痺れるように血液が流れ、遠くに意識がいく感覚。
たくさんの我慢はこの瞬間にあったんだなぁ。
耳が遠くなり、無音、自分だけの世界にしばらく酔っていく。

それを2、3度繰り返したらもう一回身体をしっかり洗い直す。
面倒臭いがおっさんに汚されたんだ。仕方ない。

と言った流れが、僕の公衆浴場でのルーティンな訳だが、
振り返ればオッサンに邪魔されてばかりだ。
オッサンになったら気が使えなくなるのか?
相手を思いやるのが人間じゃないのか?
1人で生きてないだろ?
オッサンばかりに目がいく。
僕の風呂はオッサンと我慢で出来ている。

しかし、公衆浴場で一番気になるのは会話をしている人だ。
このご時世である。夏も毎日マスクをした僕らだけど、風呂の中までマスクは出来ない。
公衆浴場では、会話を控えるよう張り紙を掲示している所がほとんどであるにも関わらず、何も気にせず話している人が多すぎる。
「withコロナ」と言うのは、コロナと上手く付き合っていく事であって、コロナがある生活に無神経に生きていく事ではない。

散々、風呂ルーティンの中にオッサンに対する不満を綴ったが、
それでも公衆浴場に行きたいのは、やはり風呂が好きだからだ。

こういうご時世で、公衆浴場、サウナを利用していく者同士、上手く付き合っていきたいものである。コロナは口を利く事なく僕らの命を狙うが、人間同士なら通じるはずだと思いたい。
期待はしてないけど。

年末にかけて感染拡大が危惧されている中で、改めてその気を引き締めて過ごしていきたい。


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