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【科学者#030】嫉妬深いために争うことが多かった数学一族のひとり【ヨハン・ベルヌーイ】

以前、天文一族として4代にわたって観測を続けた一族の長であるジョヴァンニ・カッシーニを紹介しました。

科学史において、天文学の一族と言えばカッシーニ一族ですが、数学一族はどの一族だと問われれば、きっとベルヌーイ一族と答える人が多いのではないでしょうか。
今回は、嫉妬深いために争うことが多かった数学一族のひとりヨハン・ベルヌーイについてです。



ヨハン・ベルヌーイ

ヨハン・ベルヌーイ

名前:ヨハン・ベルヌーイ(Johann Bernoulli)
出身:スイス
職業:数学者
生誕:1667年8月6日
没年:1748年1月1日(80歳)



業績について

ヨハン・ベルヌーイの業績としては、ロピタルの定理というのがあります。

これは、微分積分において不定形の極限を微分を使って求めるための定理になります。

ギヨーム・ド・ロピタル

ロピタルというのは、フランスの数学者のギヨーム・ド・ロピタルのことなのですが、ヨハンはロピタルに数学の個人教師として雇われていました。

このロピタルの定理は実はヨハンが発見したのですが、ヨハンとロピタルとの間にはある契約がありました。

ロピタルが命名権のためにヨハンにいくらかの対価を与えたと、ロピタルの死後にヨハンが暴露しました。

ヨハンはこの他にも、微分の平均の定理を発見しています。


生涯について

ベルヌーイ家

ベルヌーイ家は17世紀以降に活躍した学者一族で、3世代のうちに8人の飛びぬけて優れた数学者を輩出しています。

数学者 ヤコブ・ベルヌーイ(1654ー1705)
数学者 ヨハン・ベルヌーイ(1667ー1748)
数学者 ニコラウス1世・ベルヌーイ(1687-1759)
数学者 ニコラウス2世ベルヌーイ(1695-1726)
数学者 ダニエル・ベルヌーイ(1700ー1782)
数学者・物理学者 ヨハン2世・ベルヌーイ(1710ー1790)
数学者・天文学者 ヨハン3世・ベルヌーイ(1774-1807)
数学者・物理学者 ヤコブ2世・ベルヌーイ(1759-1789)

特に一族で有名なのは今回紹介するヨハンと、その兄であるヤコブ、そしてヨハンの息子のダニエルです。


ヤコブとヨハン

ヨハンの父親のニコラウス・ベルヌーイは、香辛料商人で、バーゼル市の指導者もしていました。

ヨハンは父親の10番目の子供で、兄のヤコブとは12歳離れていました。

ヤコブ・ベルヌーイ

そして、この兄のヤコブがヨハンに数学的影響を与えます。

1682年のヨハンが15歳のときに、実家が香辛料の事業をしていたので、香辛料の貿易の仕事を1年間します。

しかし、仕事が好きになれずうまくいかなかったので、バーゼル大学に入学させられます。

はじめは医学を学ぶために入学するのですが、のちに数学を学ぶようになります。

ヨハンが大学で学ぶようになった時に、ちょうど兄のヤコブはバーゼル大学で実験物理学の講義を行っていました。

ちなみにヤコブは、1676年にイギリスに旅に出たときに第11回で紹介したロバート・ボイルや

第13回で紹介したロバート・フックと出会い、科学と数学の研究に力を入れるようになります。

さらに、第18回で紹介したゴットフリート・ライプニッツと交流を持っており、ヤコブはライプニッツから微積分を学んでいました。


ちなみにヨハンが大学生時代に、第19回で紹介したレオンハルト・オイラーの父親と一緒にヤコブの家に一緒に住んでいました。


数学を勉強し約2年で、ヨハンはヤコブのスキルに追いつきます。

はじめの数年間の2人の関係性は友好的なライバル関係だったのですが、次第に2人は衝突が絶えなくなります。

その結果、1692年頃には敵対関係になり、ヤコブはヨハンがバーゼルから離れるように仕向けていきます。


ちょうどこの時期に、ヨハンはバーゼルの娘であるドロテアと結婚したり、ライプニッツと手紙のやり取りを行い交流を持ちます。

ちなみに、ヨハンはのちにニュートンとライプニッツの微積分法に関する論争に巻き込まれるのですが、その時ヨハンはライプニッツを強く支持します。


そして色々あり、ヤコブはヨハンをバーゼルから追い出すことに成功します。
1695年9月1日、ヨハンはオランダのフローニンゲンに引っ越すことになり、ここでは多くの宗教論争に巻き込まれます。

1705年には、義理の父親が余命わずかだと知りバーゼルに戻り、1705年にバーゼル大学でギリシア語の教授職に就きます。

そして同じ年の1705年に結核によりヤコブが亡くなったため、その後すぐにヨハンは数学の教授職を得ます。

オイラー

その後1720年には、14歳オイラーがバーゼル大学に入学し、ヨハンはオイラーに個人授業を行います。

このことにより、のちに自分の息子であるダニエル・ベルヌーイとオイラーが出会うことになります。


ヨハン・ベルヌーイという科学者

後にヨハンは、自分の息子のダニエル・ベルヌーイの優先権を得ようとします。

ヨハンとダニエルの話は、次回ダニエル・ベルヌーイの回でお話ししようと思います。

ヨハンは、大学で数学の能力を開花させ、ものすごい勢いで成長し、はじめは兄のヤコブと共同研究を行いました。

しかし、ヨハンの嫉妬深い性質が原因なのかヨハンとヤコブは仲が悪くなり、ヨハンは大学を去ります。

その後、オイラーに個人授業を行い才能を開花させたり、息子であるダニエル・ベルヌーイを育てたりと、その後の数学界において重要な役割をはたします。

数学界ではなくてはならない数学者を育て、縁をつないだという面では、やはりヨハン・ベルヌーイはなくてはならない存在ではないかと私は思います

今回は、嫉妬深いために争うことが多かった数学一族のひとりヨハン・ベルヌーイをお話しさせていただきました。

この記事で、少しでもヨハン・ベルヌーイに興味を持ってもらえると嬉しいです。


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