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【科学者#056】死後に評価された近代遺伝子学の創始者【グレゴール・ヨハン・メンデル】

現在私たちは、簡単な遺伝の仕組みは中学校や高校でも学ぶため、知っている人も多いと思います。

しかし1800年のはじめのときは、まだ遺伝の仕組みについて謎なことが多かったです。

この遺伝の仕組みを解明したのが、実は大学にいた科学者ではなく、修道院の院長だったことは、あまり知られていないです。

今回は、死後に評価された近代遺伝子学の創始者であるグレゴール・ヨハン・メンデルについて紹介します。


グレゴール・ヨハン・メンデル

メンデル

名前:グレゴール・ヨハン・メンデル(Gregor Johann Mendel)
出身:オーストリア帝国
職業:司祭・生物学者
生誕:1822年7月20日
没年:1884年1月16日(61歳)


業績について

メンデルは、中学校でも学ぶメンデルの法則を発見しました。

メンデルは、何かしらの物質がひとつの親の性質を決めていると過程を立てて、修道院の庭でエンドウマメを育て実験を行いました。

まず、メンデルはエンドウマメに背の高いものと低いことがあることに気付きます。

そして、背の高いエンドウマメの種子のみを集めて育て、さらに背が高くなった種子だけを集めて育てることを数年続けると、必ず背の高いものしかできなくなります。

これを背の低いエンドウマメも同様に行い、背の低いものしかできなくなるまで繰り返します。

その後、背の高くなるエンドウマメの種子を育て、背の低いエンドウマメの花粉を受粉させます。

さらに、この逆で背の低くなるエンドウマメの種子を育てて、背の高いエンドウマメの花粉を受粉させます。

そうすると、収穫された種子を全て蒔くと、全て背が高いエンドウマメになりました。

このようにメンデルは、庭でエンドウマメを育て分離の法則、独立の法則、優性の法則からなるメンデルの法則を発見します。


生涯について

メンデルは130年続く果樹農家に、3人姉弟の2番目として生まれ、子どもの頃は、庭師として働き養蜂を学びます。

1840年から1843年には、オルミュッツ大学で哲学者と物理学を学ぶのですが、病気のため1年間休学します。

そのためメンデルは、学費を支払うのが大変で経済的にとても苦労します。

その後、テレジアという女性と結婚し、持参金をもらい経済的に少し余裕ができます。

ちなみに、2人の間には3人の子どもができ、そのうち2人は医者になります。

1845年には物理学教師の勧めで、ブリュンにある聖アウグスチノ修道会の聖トーマス修道院に入ります。

実は聖トーマス修道院では、哲学者、数学者などを迎え入れ、学術研究や教育などが行われており、メンデルは自分で学費を払わずに勉強出来たため僧侶になります。

1847年には、司祭に任命されます。

この時期に科学を独学で勉強したり、短期間ズノイモのギムナジウムで数学とギリシア語を教えます。

1851年から2年間はウィーン大学に留学して、クリスチャン・ドップラーから物理学や数学を学び、フランツ・ウンガーからは植物の解剖学や生理学、動物学を学びます。

クリスチャン・ドップラー
フランツ・ウンガー

1853年には、物理学の教師として修道院に戻り、1868年まで高等実技学校で自然科学を教えます。

そして1853年から1868年の間に、修道院の庭でエンドウマメの交配実験が行われます。

1854年にはアレクサンデル・ザワズキーに出会います。

1862年には、ブリュンの自然科学協会の設立に関わります。

1865年2月8日と3月8日には、「植物交配に関する実験」についての論文を発表するのですが、科学界からは評価されず無視されてしまいます。

1866年には、ブリュンの自然科学誌に論文が発表されるのですが、これも批判され見向きもされませんでした。

1868年には修道院長に就任し、宗教的施設に特別税を課そうとする民政政府との論争で多大な負担を負います。

そのため、毎日の仕事に忙殺されたため、1870年には交配の研究は辞めてしまいます。

1884年には慢性腎炎のため61歳で亡くなってしまいます。

実は、2021年にメンデルの遺体を発掘し調べたところ、心臓病を患っていたことが分かります。



メンデルという科学者

メンデルの行った遺伝の研究は、メンデルの生きている間は評価されませんでした。

そのため、メンデルは遺伝の研究ではなく他の研究、特に気象関係の研究で評価が高かったです。

そして、メンデルの死後『近代遺伝子学の創始者』として認められます。

メンデルの研究は死後30年以上たった20世紀初頭に再発見されます。

1900年、オランダの植物学者ユーゴー・ド・フリース、ドイツの植物学者カール・エーリヒ・コレンス、オーストリアの農学者エーリヒ・フォン・チェルマクの3人の科学者により、それぞれ独自に再発見されることでメンデルの研究が世に出ます。

経済的に余裕がなく、修道院に入ることで勉強を続けることができ、司祭の仕事をこなしながら教会の裏庭でエンドウマメを育て遺伝の研究を行い発表したのですが、当時の科学界は反応は冷たいものでした。

今回は、死後に評価された近代遺伝子学の創始者であるグレゴール・ヨハン・メンデルを紹介しました。

この動画で、少しでもメンデルについて興味を持っていただけると嬉しく思います。

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