あ、そっか。愛はどこにでも宿るんだな〜この世界の片隅に〜
3月の終わり頃、「この世界の片隅に」の漫画を読んだ。
メディアに取り上げられていた話題のカケラを集めると「戦時中に懸命に生きた女性」「広島が舞台」「感動作」という感じで、ぶっちゃけエネルギーを消耗しそう、重そうだなという印象が先行した。
でも全然違った。予想とは。
驚くほど淡々と物語は進んでいった。漫画はタイトルが「18年 5月」「19年 11月」 「20年 4月」というように日記のように描かれていて、主人公すずさんの日常が切り取られていた。
徴兵されたり、配給や空襲があったり、知り合いが亡くなったりして、戦争の様子は描かれているが、構えていた重さはなく、かといって打ち震えるほどの主人公の賞賛すべき健気な姿も、それでも生きていこう!生きていかなければ!勇姿!闘志!努力!なドラマティック性もない。すずさんの「人生」というよりはやっぱり「日常」と読んだ方が相応しいくらいだ。拍子抜けした。てかすずさん天然でかわいいし。
全巻読み終えた後、あぁ、いいお話だったな。かつて戦争モノに求められていた、戒めや過ちや救いようのない悲しみ、それでも希望はある!それでも生きていかなくちゃならない!という物語を描くべきだという固定観念を、すずさんの日常という観点から払拭してくれて優しい話だったな。素敵だな。と思って終えていた。
それから約1ヶ月、わたしはとある方のツイートであのお話の真髄にようやっと触れられることになるのである。わたしの浅い見解では感じられなかったあの物語のテーマを、その人のおかげで知ることができた。
それがたらればさんのこちらのツイートだ。↓
このツイートでハッとしてそれからもう一度読み直した途端。すずさんが心にしみまくって涙枕を濡らした。
そうだ。
どこにでも宿る愛
だ。
そう。この話で日常が淡々と進んでいくことはきちんと意味があった。
ああなんだ、愛ってこんなんでいいんだ。そうか…よかった…と心底安心した。
どこにでも愛は宿るし
愛はだれにでも宿らせることができる。
この世界の片隅にも、星の王子さまもそうだった。
愛する、愛を捧げるって
努力とか
頑張りとか
自分のリソースを見つけてそれを社会に投資するとかそんなことしなくても大丈夫なのだ。
ただ、時間をかける。
時間をかけたものが愛になる。
ただそれだけのこと。
星の王子さまでも一輪の薔薇に水やりをして、ガラスで守って、ただ時間をかけたから他のたくさんの薔薇とは違う特別な薔薇になったし、
この世界の片隅にでも、たまたま縁があってやってきた嫁ぎ先でご飯を作ったり、近隣と仲良くしたり、出会った人に絵を描いて渡したり、かけがえのない居場所を見つけた。
時間があればいい。
誰でもできる。
わたしでもできるなぁ。
「愛はどこにでも宿る」ってこの世の真理を見つけたおかげで、
アニメを見てもアーティストを見ても
時間をかけたからかけがえのないものになっていったんだなぁと思うようになった。
特別な才能とか、その人にしか出来ない何かとか、資格とか、技術とかはそりゃ必要なんだけど、それが絶対じゃないっていうか。やっぱり単純にそこに時間をかけたからなんだよね。
あなたが今まで時間をかけたものはなんだろうか?
長い付き合いの友人、恋人、家族、部活動のメンバー、サークルのメンバー、職場の人たち。
特別なことをしなくても、あなたが時間をかけているもの全てに愛は宿っているよ。大丈夫。
あなたの時間というのは、あなたの人生の一部ってことだからね。
「この世界の片隅に」が気になった方は
随所に描かれている「どこにでも宿る愛」を見つけながら
すずさんの人柄に触れながら
漫画や映画で味わってみてください。
さよならさんかくまたきてしかく
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