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芸術家と美術家の違いを解釈してみた

思考実験です。自分の感じた、考えたままの感性を大切に出来ていますか? Wikipediaなど見て理解しなくていいのです、出来っこありません。自分で考察してみることでいいのだと勝手に思っています。
芸術美術に係る関係各所の皆様、無学の一般人(私だけ)はこんな感じで捉えていると思って下さいませ。それではいきます。

心の中にある、確かに存在する苦しみの中にある、「小さな救いの光」を曖昧であっても形にすることに活路を見出した人達を私は芸術家と括っています。

例えば体調が悪い時に何が原因かって分かると安心するあの感覚です。

苦しみが少しでも楽になれさえすれば喜んで自分の命を削る孤独な病人だと思っています。逆に不健康な気もしますが、精神的な解放を優先してる人ですね。
そのバックボーンが根底にあるため、彼らの作品には我々さえ感じ取れる美しさとは程遠い不快感に近い歪(いびつ)なものが多い印象です。

失礼を承知で申し上げるとむしろ嫌悪感があったら芸術作品。
彼らは私たちの抱く形に出来ない苦しみを具現化させ、心の闇をその小さな光で照らし、それが何かを伝えてくれるのです。

一方で美術家については読んで字の如く「普遍的な美しさ」を伝えるためにあらゆるアプローチで切り刻むスペシャリストと思っています。芸術作品を見続けるには体力と精神力を要しますが、美術館って不思議と長く居続けられる違いはそこにあるかと思います。

美しいモノって基本みんな好きでしょう。
ちなみに全国に美術館があって芸術館はない理由もそこにあるのではと勘ぐるぐらいです。あったとしても単発の芸術祭程度ですしね、芸術は商業化が難しいのでしょう。

私は嫌悪感を伴った作品が好きです。単純に遠慮無しに気持ち悪いって思えば芸術家さんにとっては褒め言葉になるはずって信じているからです。例えばお化け屋敷のプロデューサーに怖かったと伝えれば喜ぶようなもんです。

美術とは私にとっては美しさを重要視していないこともあってか、不幸なことにアンテナの感度が低いらしく分からないことが多いんです。

なので美しいって思わなきゃいけないような強制感といいますか、どこに美しさがあるのか探さないといけないゲーム。分からないと言ってしまったら人として何か欠落してると思われるような空気感。苦手です。

書いてて気付きましたが、逆に私は苦しみを感じる感度が高いということなのか。それはそれで問題のような気もします。

こうやって冒頭で申し上げたように芸術と美術を考察することで「自分の感じた、考えたままの感性」自分の人間性の一部を浮き彫りにすることが出来るのです。

そっかぁ、、私は苦しみアンテナが高い。だからnoteで表現して発散しているのか。少し楽になったということは私は芸術家。

失礼しましたw ここまでお読みいただきありがとうございました。
皆さんは芸術家でしたか?美術家でしたか?

メンヘラで引きこもり生活困窮者です、生活保護を申請中です。ガスも止めてスポーツジムで最低限の筋トレとお風呂生活をしています。少しでも食費の足しにしたいのが本音です。生恥を重ねるようで情けないのですがお慰みを切にお願いします。