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神様の愛。



あなたの声が聞けるように。

この耳は付いている。



愛を匂うように。

この鼻はついている。



あなたが見えるように。

この瞳はついている。



あなたと影を重ねるために。

この口はついている。


* * *


時々、僕たちは何のために生きているのかと自分たちに対して問うことがある。


僕の結論はこうだ。

人によって多少違いはあるが、皆、その「生きる理由の答えを探すため」に生きている。


それが「愛」なのか、それとも「友情」なのか。

それは本人にしかわからない。


「愛」


生きていく中で、出会い、結ばれ、共に時を重ね。

その中で、「幸せ」を感じることが多々あると思う。


他者から認められ、信用され、尊敬され、幸せの感じ方は人それぞれだけど、何かこう、根っこの部分は同じような気がする。


「友情」


幼い頃からの友達。異性の友達。親しい友。親友。

「強い絆」というものが、友情という言葉には一番似合うと思う。

友情や愛はどれも「形」はなく見えないけれど、なぜかこう「暖かい」と感じることがある気がする。

それはとても不思議なことで、同時になぜか、切なさも感じる。




「生きる理由を見つけた。でもその理由を失ってしまったら?」



「愛」


愛する人が僕の生きる理由。でもその愛する人を失ってしまったら?

僕には生きる理由がなくなったことになって、生きなくてもいいということになってしまうのではないだろうか。

「暖かさ」も何もかも無くなってしまう。


「友情」

友達と共にいる時間が。その一瞬一瞬が、僕の生きる理由、そして意味だ。

でもその友を失ってしまったら?喧嘩をして別れてしまったら?


これも「愛」と同じように、生きる理由をなくし、生きなくてもいいんじゃないかと思うようになる。

寄り添ってくれる人が、誰1人としていなくなってしまうんだから。


その生きる理由を失うのが怖い。死にたくない。ずっと一緒にいたい。

そんな隠れた想いが、僕たちの心の隅に眠っている。


僕たちが持っている体も、耳も鼻も瞳も口も、手も心も。

そんな生きる理由を、短い年月で少しでも美しく感じれるように、神様の「愛」でつけてくれたんだと僕は思っている。


* * *


あなたを感じるように。

この手はついている。



あなたを想うように。

この心はついている。






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