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科学論文って、鵜のみにしてよいのか?

 後出しのようで迷いましたが、話題の動画やその後の多くの方の反応を見て、科学者の立場から記事にします。科学論文の要約を見聞きする際の参考になれば幸いです。

■「下書き」にためていた問題意識
■研究論文を見聞きする心がまえ
■知恵と謙虚さ

■「下書き」にためていた問題意識

 最近よく耳にする「スタンフォード大学の研究チームの論文によると、、、」という主張に違和感を覚えます。そして、それを「科学的」というくくりにするのは、む・む・む、と。それ自体を否定したわけではないですよ。受け取る側の心がまえ、がないと危ういなとの直感です。

 というのも、最近のYouTubeなり、メディアなりで、研究者ではない方が論文を紹介する機会が増えて、耳にすることが増えてきています。

 かつてなら、学会とか、講義とか、講演会とか、科学雑誌とかで発信されていた内容が、手軽に発信できるようになりました。そして、身近なメディアで多くの人が聴くことができます。

 それはとてもよいことだと思います。

 さらに、研究者が発信するよりも、「分かりやすく」発信されています。私も、「ああ、これが分かりやすい、なのかぁ」と感心したものです。

 ただ、やはり、一つの論文を「分かりやすく」解説し、それを論拠に主張をする話しぶり、にはモヤモヤを感じてしまいます。

 発信者が「この研究論文では」と主張することで、聞き手は、あたかも客観的な事実を伝えていると勘違いするのでは?と気がかりでした。

 もし研究論文を書いた本人なら、一つの研究論文を根拠に、断定的な発信は恐ろしくてできないはずです。


■研究論文を見聞きする心がまえ

 この下書きを読み返して、モヤモヤを言語化してみます。

 まず、

「科学的」とは、手順=プロセスの正しさです。

 一つの科学論文ってのは、「極・極・極・極・限られた条件の中で、分かった知見を書いたもの」に過ぎません。その知見が、「一般的に」正しいかどうかは全く保証しません。

 科学論文は、「森の中のある木」に関する小さな知見です。これは、ニュートン、デカルト以降の必然です。その後、情報科学が、木と木をつないだにせよ、一つの研究論文からは、つなぎ方の知見をえるだけです。

 ですので、ある論文がこう主張しているから、世の中一般はこうです、という説明はとても乱暴です。工学でもそうなのですから、人の心を扱う心理学では、慎重に説明する必要があります。

 例えば、ある一つの研究論文で、アメリカの大学院生250人を対象にした実験で、心理学の手法に則り、Aという知見を得たとします。

 この研究論文には、Aに関する他の論文の異なる見解も踏まえて議論=Discussionされているとします。

 査読プロセス=匿名の同業者からの厳しい審査を得て、科学雑誌から出版されました。

 この場合、「科学的」に正しいといえます。

 ただし、このAという知見をもとに、日本でも同じだと説明し、自分の見解を述べるのは「科学的」ではありません。

 しつこいですが、「科学的」とは、過程=プロセスの正しさです。そして、その過程=プロセスには、1年~数年かかります。なので、一つの研究論文を解説することは「科学的」ですが、それを論拠に自分の解釈を述べることは「科学的」ではありません。これを区別することは大切です。

 でも、これはプロでも難しいです。特に、「権威」がある方の発信は、区別があいまいになりがちです。これは自戒を込めてですが、「科学的」な知見と発信者の意見をはっきりとわけて述べる必要があります。

 

■知恵と謙虚さ

 「科学的」とうまく付き合うために、知恵と謙虚さを大切にしたいものです。

 科学者は、一つの研究論文で大きな主張することはまずありません。ノーベル賞は、複数人の複数の研究成果を受賞理由とすることが多いです。「科学的」な知見が積み重なって、貢献度を増すわけです。

 *アインシュタインに代表される理論物理学などは、当てはまらないですかね。

 ただ、だからといって、受賞者の発言が「科学的」とは限りません。あくまで、「科学的」な功績を挙げた人の意見なわけです。それでも、受賞者の意見は、深い「知恵」を有していることが多いです。だから有難いのであって、功績の解説以外は「科学的」とは実は関係ありません

 心理学の分野でも、フロイト、ユング、アドラーが今でも、ある程度の信頼をもって読まれるのは、一つの研究論文の「科学的な」知見をもとに論じているのではなく、研究論文とともに臨床経験や他の知的格闘のもとに、「知恵」へと昇華させているからです。

 「科学的」な研究論文は、重要な知見があることもありますが、決して「知恵」を上回るような有難いものではありません

 *研究論文を書くには、血のにじむような思いをするのですが、、、
  残念ながら、「知恵」には勝てません。

 最後に、これも自戒を込めて書きます。他の人よりも、知識をもっているという錯覚は、万能感をうむことがあります。だからこそ、事あるごとに「謙虚さ」に立ち返る習慣を持つように心がけることが大切です。


 「科学的」をうまく取り入れ、「謙虚」に「知恵」を蓄えていきましょう。

 では、お読みくださり、ありがとうございました!!!!


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