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自己開示 story of myself vol.2~海外移住編~

前回の story of myself vol.1 に引き続き、今の私を形成してきた出会いや、大きな挑戦について、続編を書いてみます。

海外移住

私は小さなころから、なぜか海の向こうに興味を持っていました。
高校時代にホームステイを体験して以来ずっと、いつか海外に住むことを夢見ていましたが、結局留学の夢は叶わないまま日本の大学を卒業し、就職し、転勤、結婚・出産と、あれよあれよとライフステージが変化し、落ち着いて留学を考えるタイミングもないまま、26になっていました。

出産後も海外に住みたいという夢は持ち続けていたので、外資系企業に勤める夫に「海外勤務希望出しておいて!」とリクエストしていたら、産後まもなく、シンガポールのポジションがあるとのお話が舞い込んで来ました。

生後半年の息子と3人で下見旅行に行ったところ、初めて訪れたシンガポールは、チャイナタウンやリトルインディアがあったり、旧植民地時代の歴史保存地区や高層ビルが立ち並ぶ近代的なオフィス街があったり、ビーチもプールつきのマンションもあるし、多文化が混在したコンパクトなその国に、ぞくぞくするほどの好奇心を注られ、夫とすぐにシンガポール行きを決めました。

当初2年の駐在予定だったので、ちょっと海外生活楽しむ程度の気持ちで2006年にシンガポールへ転出しましたが、結局11年も滞在することになりました。

初の海外生活

初めての海外生活のスタートは、予想していたよりつまらないものでした。
ドビーゴート駅という、シンガポールでいう新宿的なエリア(複数路線の乗換ハブで、近くに御苑的な大統領官邸があり、たくさんのモールがあり買い物に便利だけど、あまり洗練されてはいない)にあるサービスアパートメント(長期滞在型ホテル)で生活を始めた私たちに、夫の会社の人(ほとんどインド人とシンガポール人)以外の知り合いは誰一人いませんでした。

ちょうど時期的に1年で一番暑い時期(5月末)で、毎日30度を超す予想外の暑さの中乳飲み子を抱えてあまり出歩く気もしないし、サービスアパートで仲良くなったインド人ママはすぐに帰国してしまったし、一緒にランチにいく友達もおらず、毎日大してすることもなくて、半径1キロくらいの狭い範囲で、時々心細くなりながらも楽しみを探していました。

息子を連れて美術館や博物館に出かけるのが一つの楽しみだった私は、そこで日本語ガイドのグループの方に出会いました。誰でも研修を受ければボランティアガイドになれるときき、好奇心旺盛な私はすぐに入会を申し込みました。
3ヶ月の研修期間中、息子を一時預かりに出し、同期の奥様達とシンガポールの歴史や東南アジアのアート、宗教、文化など様々なことを学び、他の言語のガイドグループのメンバーに日本文化を紹介したりして、私の世界は一気に広がっていきました。

開示することで広がる世界

やがて息子は幼稚園に入園できる年齢(1歳半)になり、息子が幼稚園に行っている間にパートで秘書の仕事を始めたり、子供を通してママ友もでき、最初の暗かった1か月が信じられないほど、シンガポール生活を謳歌し始めました。

英語でのコミュニケーションに苦労しなかったことは、海外生活を楽しむためにかなり役に立ったと思います。(←留学できないながらも、大学で無駄に英語での授業を取ったり、留学生と仲良くなったりして、それなりに英語を身に付けていたので)
海外では、目があったときにHi!と挨拶をするのが普通で、コンドミニアムで出会ったご近所さんと目が合った時には、自然と会話を始めることができました。
そこで自分のことをあまりオープンにできないでいると、たまに挨拶する程度の関係で終わってしまいます。私は単純に、同じ年代の子供がいる人と仲良くなりたいという気持ちがあったので、気が合いそうな人は家に招いて一緒に食事したりして交流を深め、お互いの家を行き来する関係の友人が、あまり苦労せずにいつの間にかたくさんできました。

私が心を開くと、相手も心を開いてくれて、家族ぐるみでの交流も生まれてきました。シンガポールの駐在員家族は、長期休暇には海外に出かけたり一時帰国するのが一般的で、1ヶ月くらい不在にするお友達がたくさんいたのですが、フランス人ママやイスラエル人ママからホリデー前に鍵を渡されてペットのえさやりをたのまれたり、植物の水やりをたのまれたりすることがよくありました。
日本人だと、親戚や家族以外に鍵を預けることってあまりないですよね?海外の人は、割と気軽に鍵を預けてくれて、信頼されているんだな、とうれしく感じていました。

こんな風に、シンガポールで出会ったたくさんの友人たちに恵まれ、仕事やボランティアを通して社会と関わることもでき、3人だった家族も5人に増え、生活環境にも教育環境にも何の不満もなく、このまま永住もありか?と思い始めていた矢先、夫の転職が決まり帰国すると言い始めたのです。

すっかりシンガポールが故郷になっていた息子たちは大反対。
今帰国すると、幼い息子達(3男は当時5歳)は英語を忘れてしまうかもしれないという恐れもあり、とりあえず夫だけ先に帰国してもらうことにしました。

そのままシンガポールに残れたらよかったのですが、東京の家賃とシンガポールの高い家賃、子供たちの学費、全てを支払うのは経済的にあまり現実的でありませんでした。

シンガポールの教育事情

ちょうどその頃3男の小学校を決める時期で、日系の学校にするか、ローカルスクールにするか、インターナショナルスクールにするか、多すぎる選択肢にかなり迷っていました。

小1からローカルスクールに入ると、かなりアクセントが強いシングリッシュがベースになってしまう。補習クラスなどないので、英語ができないと授業にもついていけないし、学業メインなので体育やアートなどがおろそかになってしまう。

日本人小学校にすると、英語はさほど上達しないし中国語が全く抜け落ちてしまう。せっかく海外に住んでいるのに、クラスメイトは日本人ばかりで国際性に欠ける。

インターナショナルスクールにすると、綺麗な英語と中国語が身に付きそうだけど、なんせ学費が高い。
どこも一長一短。

当時ローカルスクールに通っていた長男と、日本人小学校に通っていた次男の休暇の時期が全く違うことに頭を悩ませていた私は、3人まとめてインターナショナルスクールに入れたい!と密かに思っていたので、比較的学費の安いインターナショナルスクールをネットで検索していました。

すると、シンガポールから国境の橋をまたいだマレーシアのジョホールバル(略してJB)という街に、新しいインターナショナルスクールがいくつか開校したとのニュースが飛び込んできました。

シンガポールからみたマレーシア

JBにできた新しい学校どう思う?と、周囲のママ友達にきいてみたところ、
「え、JB?そんな危ないとこに子ども達通わせるつもり?!」
との答えが大多数でした。
治安レベルは日本並みの安全なシンガポールと違い、マレーシアは日常的にひったくりや誘拐、車上荒らしがあったりする(らしく)、物価が安いけれど危ない国という印象を持っている人が、シンガポールにはかなり多いのです。

シンガポール市内から車で1時間ほどで行ける距離で、物価が3分の1程度なのに、JBには行ったことがない。その上、両親や夫からJBには行ってはいけないと言われている、というシンガポール人のママ友が数人いたくらい、マレーシアの中でもJBは特に、シンガポール人からあまりよい評判を受けていません。もちろんそんなことは気にせず、毎週末のように食料買い出しついでにスパや映画を楽しみにJBに出かけるシンガポール人ママ友も数人いました。

私もちょっと不安な気持ちを抱えつつ、とりあえず一度見に行ってみようと思い、開校したばかりのカナダ系インターナショナルスクールに見学を申し込みました。その時は、まさか3人ともその学校に通うことになるとは想像していなかったのですが。

つづく

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