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自己開示 story of myself vol.3~母子移住・前編~

前回の story of myself vol.2~海外移住編~ に引き続き、今の私を形作っている12年の海外生活や、そこでの挑戦について、自分の気持ちを開示しながら書いてみたいと思います。

本帰国への不安

夫の転職が急に決まり、その勤務地が東京となった我が家。長男が生後7ヶ月の時にシンガポールに転出したので、息子たちにとって日本は年に一回帰る異国の地でした。
「パパは仕事で東京に戻ることになったよ」と告げると、
「パパの都合で日本に帰りたくない!」
「なんで勝手に決めるの!?絶対に帰らない!!!」
と激しく抵抗されました。
(息子たちのシンガポールでの生活や帰国後については、別の記事にも書いています。)

私自身シンガポールの生活になんの不満もなく、日本に帰ったらメイドさんはいなくなるし(当時は住み込みメイドさんがいたので、家事は料理しかしてませんでした)、まだしばらく本帰国するつもりはなかったので、子供たちの抵抗は、私の無意識の抵抗の現れだったのかもしれません。

日本での子育ての経験はほとんどない(最初の半年だけ)私は、空気を読む必要があると言われる「公園デビュー」的な経験をしたことはなかったし、日本語が多少不自由で、マインドが完全に日本人離れしている息子たちが、日本の学校に馴染めるかどうかも心配でした。
わずらわしい人間関係もなく自由にしていた私が、日本でのママ友関係や学校の役員、地域の町内会に加え、今までメイドさんに任せていた全ての家事をこなせるかどうか、一抹の不安もありました。

海外で英語を自然に話していた子供が、日本に帰国すると(年齢が幼ければ幼いほど)あっという間に英語を忘れる、という事例をたくさん耳にしていたこともあり、子どもたちをもう少し英語環境に置いておいてあげたい、という意図が私にも夫にもあったことが、帰国をためらう一番の原因でした。

タイミング

私や息子たちの不安を察してか、夫も無理に私たちに帰国を強要することはせず、まだシンガポールに居たいなら残ってもいいよ、と言ってくれました。(私たちは在星中にシンガポールの永住権を取得していたので、VISA的にも滞在しつづけることに問題はありませんでした)

正直私は、まだ日本に帰らなくてもよいことがわかりほっとしましたが、ネックになったのは、息子たちの進学先と、シンガポールの高い家賃でした。

その当時ローカル小学校6年生だった長男は、PSLE(Primary School Leaving Examination)と呼ばれる、日本でいうセンター試験の小学校版を控えており、その結果次第で入れる中学が変わるという先が見えない状況。三男は小学校の申し込みをちょうど迷っているときでした。(前回の story of myself vol.2~海外移住編~にも書いています)

私としては、息子達3人まとめて同じインターナショナルスクールに入れられたら、シングリッシュでないきれいな英語が身に付くし、国際色豊かなお友達ができるし、学校の休みや行事も同じで楽だし、それが一番いいと思っていました。

ただ、シンガポールのインターは学費が高い上に、毎年値上がりするので3人とも通うには経済的負担が大きすぎるのです。夫が帰国したら東京の家賃も固定費として追加されるし、シンガポールでインターにいれるのは現実的ではありませんでした。

しかし、経済的な理由で諦めるほど私は素直ではありません。わずかな可能性を求めて、数あるシンガポールのインターの学費をネットでリサーチし始めたところ、シンガポールから国境の橋を超えてすぐのところにあるジョホールバル(通称JB)なら、シンガポールの学費の半額以下で入れるインターがいくつもあることがわかったのです。

リミットを外す

JBといえば、 1997年にサッカー日本代表がFIFAワールドカップ本戦初出場を決めた「ジョホールバルの歓喜」で知られていますが、どこにあるか知らない方も多いのではないでしょうか。JBはシンガポールから(国境をスムーズに超えられたら)車で1時間ほどで行ける、マレーシア最南端の都市です。

2012年に開校したイギリスの名門マルボロカレッジのJB分校を始め、JBにはインターナショナルスクールがいくつもあり、カリキュラムや規模や特色などバラエティ豊かで、調べ始めたらたくさんの選択肢があることがわかりまた。

マルボロが開校した直後にシンガポールで開催された説明会に、興味本位で参加した事があったのですが、その時初めて「JBに引っ越すのもアリかも?!」という考えがうかびました。2012年当時は、マレーシア政府がJBの西側にEdu Cityという特区を設置し、世界中から教育機関を誘致し始めたころで、ショッピングモールや新しいコンドミニアムの建設ラッシュの時期でした。当時は特にJBに引っ越す必要性もなかったので、マルボロに入学させるつもりは実際にはあまりなかったのですが、説明会に行ってはじめて、JBという都市に興味を持ちました。

冷やかしでも何でも、興味があれば行ってみる、話をきいてみる、という私の性格が、これまで可能性を広げてきたな、と、今振り返ってみて思います。

 夫が帰国するから家族も帰国しなくてはいけない、なんていうリミットは壊していいし、「シンガポール」という狭い国にこだわる必要はないし、JBの学校は有り得ないという固定観念も外してしまえばいい。

これまでも、経済的な理由で「東京には出せない」と両親から言われていたのに、そこで諦めずに東京の大学を受験し、卒業後に無利子で返済できる奨学金をもらって上京できたという経験や、

大して貯金もないのにリゾートバイトや国際ボランティアという選択肢をみつけ、休暇の度に海外に滞在していた学生時代の経験、

3人目が1歳になる頃、週3で昼間だけ働ける会社がなかなか見つからなかったので、正社員を募集していた会社にダメ元で応募したら週3で採用された経験などから、

無理かどうかやってみないとわからない!
ダメ元でなんでもチャレンジしてみれば道は開ける!
ということを体験から学んでいました。
夫の帰国が決まった時も、それで私たちも帰国だ、と諦めず、
「母子できっと楽しい生活が送れるはず」
と、実は内心ワクワクしていました。

常にリミットを外して可能性を諦めないことが、
私の人生を切り開いてきた一つのファクター(要因)だったのではないかと思います。

とにかく動いてみる

色々リサーチした結果、当時開校したばかりのインターナショナルスクールが目に留まり、すぐに問い合わせをしてみました。

ちょうどオープンデイは既に終わったところでしたが、個別に学校を案内してくれるとのお返事が。見学の時にアセスメントテスト(入学試験)も受けますか?とアドミンの方にきかれたので、せっかくだから見学ついでに受験させてもらうことにしました。

どうせ行くなら、住宅事情も偵察して来よう!ということになり、アセスメントのあとに賃貸物件を見せてくれる不動産業者を友人に紹介してもらい、その日の午後に物件をいくつか見せてもらう手はずも整えました。

見学に行ってみると、その学校がある「ヌサジャヤ」と呼ばれる、JBの中でも急激に開発が進んでいる新しい町は、「汚い、危ない」というJBの前評判と全く違い、整備された美しい街並みで、人も車も建物も少なく、緑が多くて空が広くて、予想外にかなりの好印象の町でした。

学校はこじんまりしてアットホームだし、学費もシンガポールのインターの3分の1で申し分なし!学校のすぐ目の前にあるテラスハウスの並ぶレジデンスが目に入り、子供たちがテストを受けている間に夫と二人で冷やかし程度に見学に立ち寄ってみました。

そこはできたばかりの建売物件で、カートに乗って広い敷地内にあるモデルハウスを見学させてもらったところ、広々とした2階建ての3LDKの物件が、シンガポールの家賃の4分の1程度でかりられるときいてびっくり!
学校の目の前だし、24時間セキュリティもいるから安全そうだし、ここに住みたい!!と一目惚れ♡
そのあと、もう少しJB市内寄りで、ショッピングモールが目の前にあるような便利なコンドミニアムをいくつかみせてもらったのですが、最初に見たテラスハウスの印象があまりに強く、どの物件も家賃以外にあまり魅力を感じませんでした。
既にその学校にお子さんを通わせているというJB在住の日本人女性を知人に紹介してもらい、学校のことやJBの生活事情のことをうかがって安心した私は、テストに合格していたら母子で移住しちゃおうかな?!と、心が傾いていきました。


つづく

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