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嫉妬して落ち込んで、最後は「人生の目的とは?」まで考えちゃった日

「私、嫉妬している」

いつの頃からか、自分の感情を客観視できるようになった。

しかもその嫉妬の元凶は子供の事だった。

そのちょっとしたネガティブな感情に引きずられるように、その日は仕事の事で嫌な情報が入ってきてしまい、どんどん落ち込む自分がいた。


目的地がないと生きられない


私は、年間、半年、月間、週と細かく成果が露わになる仕事をしている。
周りと比較をされたり、順位を出されたり。
短期的な目標から年間どころか10年単位で達成するような壮大な目標まで、細かく目的地を決められるタイプの会社にいる。

母になる前、私は物凄く高い山のような目的地(目標)を設定していた。
24時間どこにいても仕事の事を考え、喜び以上に思った通りに進まない壁に涙を流す日も多かった。
日々が感情のジェットコースターすぎて、家事は最小限、食事はほぼ外食(むしろ食べない事も多かった)、365日全ての予定が仕事基準だった。


「両立」「並行」が苦手な私は、今の仕事に就く前からスタートした不妊治療も、仕事の障壁に感じてしまうようになり中断していた。


3回目の正直で遂に仕事で「物凄く高い目的地」を達成した時に、「次は不妊治療だ」と目的地が変更された。


私はまた不妊治療に全フリをした。
通院は勿論、日々の食生活、睡眠、運動、体を冷やさない習慣、情報収集等、生活がガラっと変わった。

不妊治療に全フリした結果、無事に妊娠した。

そしてまた、「無事に出産すること」という目的地に変更された。

長男を産んで1年と2ヵ月後に次男を妊娠し、気が付いたら2児の母になっていた。

恐らくこの頃、日々を無事に終える事に忙しすぎたのだ。
珍しく「コレと言った目的地」がなかったような気がする。

その後、長男が3歳になった時にベビースイミングからスイミングへ移行した。

すると「進級」という制度がスタートした。
「水に顔がつけられる」から始まり、けのび、板キック、4泳法、タイムを争う所まで。
等級と帽子の色でどんどん成果が目に見える。

控え目に言って、大好物である(笑)

スイミングに移行した直後に、全等級のチェック項目を読み漁った。

長男はベビーの頃からプールが大好きだったので、本格的な泳ぎに入る所まではどんどん飛び級をしていった。

コーチからも「早く選手コースにおいでね」なんて言われて、勝手に舞い上がっていた。

でも、本格的な「泳ぎ」がスタートすると、順調に進級できなくなり、私の関心事もスイミングではなくなってきた。


その頃ちょうど、長男はお受験専門の幼児教室へ通い始めた。

通い始めてから1年位は「小学校生活の練習」程度の気持ちだった。
それがいつの間にかとある私立小学校に惚れ込んでしまい、夫を巻き込み、長男も巻き込み「お受験」に向けた生活がスタートした。


「受験」って本当によくできていると思う。

「スイミングの進級テスト」は不合格だったとしても「次は頑張ろうね!」って言える。

でも、「受験」に次はない。

勿論、複数校受ける子にとっては「次」があるけれど、やっぱり「第一志望」に合格する為の試験は1回しかない。

受験本番に向けて、毎月模試も受けていた。

細かいテスト項目の結果は勿論、全体の中での順位、志望校別の順位、男の子の中での順位、生まれ月の中での順位、今までとの比較。

小学校の成績表なんて順位をつけられる事もなく、3段階位のやんわりとした評価なのに。
模試の結果は〇の数と順位で思いっきり親を刺激してくる。


毎月、模試の日よりも結果が返却される日の方が緊張した。
ポストに封筒を見つけると、家族の前で一喜一憂する顔を見せたくなくて、玄関のドアを開ける前にこっそり開いていた。

喜んだ事も、残念な気持ちになった事もあった。
その度に、どこか気持ちよくなってる自分にも気づいていた。

「受験本番」というXデーに向かって家族全員で全力を注いでいる。
それは、自分の仕事で設定した「物凄く高い山のような目的地」に向かっている時と似ていた。

「お金と時間」という資源を注いでいる


受験の事を振り返れば、とにかく「一生懸命」だった。

毎週の授業だけではなく、志望校別講習、季節講習、個別指導、自宅でもオンラインで絵画指導を受講していた。

お金だけではなく、めちゃくちゃ時間も注いだ。

授業も全て見学して我が子を観察した。
家でも、ペーパー、運動、制作、絵画。全てが付きっきりだった。

周りに比べたら受講する講習も遥かに少ない方だったけれど

たった5歳の長男と接する時間のほぼ全てが「受験のため」の時間になっていた。


スイミングだって、もしも「選手コース」なんてものになったら大変だ。

平日は毎日、夕方~夜に3時間程練習。
土日も試合になる。

塾ほどではないけれど、お金だって投資が必要になる。

サッカーや野球等のチームスポーツに励む子の話を聞いても「休日の全てを捧げる」そんな子が多くなってくる。


何かに打ち込める事、目標を持つ事は素晴らしいと思う一方で
お金や時間を注いだ結果、他の選択肢を捨てていると思うとたまに怖くなる。


「限りある資源」を投入する価値がある目的地なのか?


自分の目標や目的地だって本当にそれが正解なのか分からない。

些細な事を言えば、過去に沢山の資格試験を受けてきたけれど、あまりにも難易度が高すぎて「こんな事を暗記する事が本当に大切なんだろうか?」とちょっとバカらしくなる瞬間があった。


子供の件に関しては、もっと不安になる。

小学校受験も、この先の中学受験も「親の誘導」でしかない。

万が一この先スイミングの選手コースという道が開かれて子供が「やりたい」と言ったら、私はどうするだろう?

受験だって、スポーツだって高い目的地に向かう為に、「お金と時間」という限りある資源を思いっきり投入しないと届かない。

もしスポーツの道に全フリする生活が始まったとしても、その道で食べていける人は一握りであり、スポーツの種類によっても大きく違う。

もし我が子が「資源を思いっきり投入しないと届かない目標」に向かい始めた時、自分の感情の置き場所はどこにすれば良いだろう。


結婚した当時、「笑いの絶えない穏やかな家庭を気づきたい」なんて言っておきながら目的地を求めてしまいがちな自分も知ってるし、目的地を目指す過程が絶対に穏やかではない事も知っていて、この先が不安になる。


物凄く恵まれているのに


目的地なんて設定しなくても、物凄く恵まれている。

不妊治療をしていたので、子供を無事に出産できた事も有難い。
子供も、私も夫も、両親でさえも健康。
富裕層なんかじゃないけれど、経済的に困っているワケでもない。

子供は年齢相応の知識と体力もある。
何よりも「何にでも前向きに取り組める子」に育っている。
いじめられてるとか、いじめているとか、トラブルを起こす事もない。
学校に行きたくないと言い出す事もない。
どこでも楽しそうにしている。

日々を感謝して生きようなんて、よく言う。

自分がどれだけ恵まれているかに目を向けようって思う。


それでも「目的地に向かって駒が進む感覚」が、きっと好きだ。

周りを見れば、特に目的地なんて設定しなくても楽しそうな人が沢山いる。

「目標なんて決めたら、今の自分を否定している事になるじゃん!」と笑われた事もある。

無心になりたい


長男の小学校受験本番の日、まだまだコロナ禍だった事もあり
無事に当日を迎えられた事に心の底から安堵した。

2時間を超える考査の待ち時間、絶対に落ち着かない事が分かっていたので敢えて小説を読み、その世界に没頭した。
親子の物語で、どんどん感情移入し号泣した。

恥ずかしい位涙が出てきたけど、余計な事を考えたくなくて読むのを止められなかった。

あのクライマックス感が何とも言えなかった。


私の人生と、子供の人生は別モノだ。
私が敷いたレールが正しいかどうかも分からない。
レールを敷きたくなる自分も怖い。

そう、冒頭の嫉妬からずーっと頭の中を色んな感情がグルグルしていた。

受験本番に涙したように、何かの世界に没頭して考える事を中断したかった。

なので、翌朝は久しぶりに近所のスタジアムで開催されているモーニングヨガへ参加した。


屋外のスタジアムにヨガマットを敷いて、寝転んで。

目を閉じると、太陽が顔を出して明るくなったり、雲に隠れて暗くなったり、光を感じる事ができた。

風の音、救急車のサイレン、呼吸の音。
色んな音を感じる事ができた。

「今ここ」に集中している。

相変わらずそんな自分を客観的に感じてしまう自分がいた。

目を開けると、沢山の雲と太陽がハッキリ見えた。

穏やかな日々も、高い目的地のXデーも、空には雲や太陽がいる。

最初に感じた「嫉妬」は長男のスイミングの進級テストの事だった。
長男より後から始めたお友達が、先に進級したのだ。

そんな事で嫉妬を感じる自分が嫌だった。
長男も友達を意識していたので、どんな気持ちだろうか?と心配した。

でも、次の日に書いた長男の絵日記に
「合格できなかったので、次は合格したいです」と書いてあった。

それだけの事だ。

頑張るとか、悔しいとか、そんな感情よりも「次は合格したい」

長男の前向きさに救われた。

ありがとう。
正しい目的地も正解も分からないけど、私は間違いなく幸せです。


今日も素敵な一日になりますように。



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