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#162 絶対聖地・日光【宮沢賢治とシャーマンと山 その35】

(続き)

日光の信仰は、男体山を中心とした山々や、その麓の中禅寺湖、華厳の滝など、奥日光に陣取る霊験あらたかな山々の自然によって形作られていると思われる。

男体山は、中禅寺湖畔にある二荒山神社中宮祠の境内に登拝口を持つ。そこから山頂へ直線的に伸びる登山道は、日光修験の開祖である勝道上人が切り開いた道とほぼ同じだと聞いた記憶がある。頂上付近まで眺望がほとんどなく、ひたすら足元を見ながら登る道は苦しい。

山頂に近づくにつれ、赤みがかった巨石が転がり、山頂付近に達すると、突如眺望が開け、足元には美しい中禅寺湖の青や、戦場ヶ原の緑が広がり、赤と青と緑の強烈なコントラストが印象に残る。

実際に足を運んでみると、奥日光も、出羽三山と同様に信仰心を呼び起こす優れた舞台だと感じられる。

なお、銅山で有名な足尾は、日光と山一つ挟んで表裏の位置にあり、この修験道の聖地にも鉱物の気配が漂う。鉱物が眠る山々の峰にも、行者達が駆け巡る多くの修験の道が存在したようだが、今ではその道の多くは失われ、神仏習合とともに、過去の記憶となりつつある。

それでも、二荒山神社の登拝口にある鳥居の足元には仏教的な蓮が装飾され、日光の博物館に残された像も、仏と神がミックスされた姿で、未だに神仏習合の香りも残している。

江戸時代以降の東照宮では、東照大権現となった家康公とともに、天台宗で信仰された比叡山の山王権現、そして謎の摩多羅神が祀られていたと伝わる。

日光には様々な出自を持つ神や仏が祀られ、いまだに、日本の信仰の多様な歴史の気配を感じられる場所でもある。

【写真は、日光東照宮】

(続く)

2024(令和6)年3月25日(月)


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