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「ハウルの動く城」と「君たちはどう生きるか」

「君たちはどう生きるか」は、この映画一本単体で観るものではないのではないか?まだ観てないけど。

なぜそう思うかと言うと、広告を全然打ってないことからジブリファンしか見ない作品である。今までの作品を観てきた人にしか分からない作品なのではないか?また、過去の宮崎作品に通底する若者へのメッセージの特質、宮崎氏の年齢とか時代感とかとか色々考えると、今までの作品ありきで観る映画ではないかという推測に帰着した。


ハウルに見る「君たちはどう生きるか」
「ハウルの動く城」を見ると「君たちはどう生きるか」を推測するヒントがある。「ハウル」は若者がどう生きるかを描いた作品であり、根底には共通するものがあるはずだからだ。

「ハウル」は、主人公が自分に自分でかけた呪いに苦しみ、恋をし、問題がこんがらがって、はちゃめちゃな事が起きて全てを台無しにしてしまったと絶望するが、不思議と明日は続き、自分の場所を見つける話だ。

ハウルは動く城を見ろ
特に注目してほしいのは、動く城。動く城のイメージは、宮崎映画の美点が具現化したものである。膨大な好きなものや惹かれるものを魔法のようにドッキングして動かしてしまう。しかも、城はハウルが心臓と引き換えに得たカルシファーの力で動かしていたが、ソフィーが現れて城は瓦解し駆動部だけになり、なぜかハッピーエンドになる。
これは、作品制作や人生の中で起きることを反映している。人生を捧げて積み上げて積み上げていったのに、問題が起きて全部がひっくり返されてもうダメだと思ったら、何故かよく分からないけれど上手くいったというのは、ものを作るときによく起きる。要らないものを全部否定した先にしか答えはない。

「ハウル」という映画は、ハウルの城が動いていることが核であり、ハイライトは城が瓦解する所だ。ストーリーにおいても、魅力的な細部が魔法のように散りばめられ、必死に若者がもがいているうちに不思議と力が湧いてきて乗り越えるという構造は繰り返し使われている。

2001年の千と千尋、ハウル、ポニョは、対象年齢を少しずつ変えながら、一貫して若者がどう生きるかをテーマにしている。この頃には、宮崎さんの人生の答えを掴んでいるんだと思う。子どもは元気に突き進み、体を動かし働き、色々な経験やイメージを獲得して七転八倒したのち、自分でかけた呪いごと崩壊した後に再生する。

「君たちはどう生きるか」予測
大きな作品を作ろうと思ったら、生々しいモチベーションがないと作れない。「ハウル」を含めた宮崎映画には、監督の実感を伴ったアニメ制作の体験を核に作られているはず。

もし人生の最後に「君たちはどう生きるか」を示すなら、監督は再現可能な答えなんてないって言うだろう。ただ、言葉にならないけれど人生の中で何か掴んだものがあったはず。それを映像で描きたいんじゃないかと思う。ハウルの巨大な城そのもののような映画。そう予想する。

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