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うたかた

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うたかたのような自分のことを残すために。
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#自分と向き合う

父親になりたかったんだ#99

父親になりたかったんだ#99

とある探究の場にて「父親との関係性について考えてみる」ということを発言して以来、父親から受け取ったものについて考えていた。

最初は違和感からだった。父親の言うことを絶対的だと思っているのではないか、という気づきがあったからだ。

そこに気づいて以来、自分のどことなく感じている生きづらさは父親から受け取ったものではないかと考えるようになった。こうして言葉だけ書くと他責に見えるが、今までは自分の責任

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生きるという実践#97

振り返るべき実践がないように見えても、そもそも毎日行っている実践がある。

それが、生きる。

「わたしを生きる」プロになれるのはわたしだけだ。

生きることのリフレクションをしたっていいんじゃないかな。

必死に今日も生きた。

考えたことは?

感じたことは?

成し遂げたことは?

気づいたことは?

学んだことは?

感謝したことは?

愛したことは?

さて、明日は誰を愛していきましょう

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自分の可能性を制限しているのは、自分でしかない。#95

自分の可能性を制限しているのは、自分でしかない。#95

そういうことを考えると「じゃあ〇〇な状況だったとしたらどうするの?できなくない?」と極端な例を考え、否定してきた。

でも、やっぱり自分の可能性を制限しているのは、自分しかいないのではないかと思う。

というより、これからはそう捉えていきたい。

そう思うのはこの視点に立つことでいいことがあるからだ。それは自分の可能性を制限しているものが自分ならその自分を変えるだけでいい、と思えること。

「変え

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助けにならない思考#46

助けにならない思考#46

22時32分。今日も読みたかった本の存在を頭の片隅に感じながら、ただ時間を過ごす。それはただボ〜っとしていたい自分の欲求なのかもしれない。ただ、こういう時大抵気分が落ち込む傾向にあるので、言葉にすることによって少し考えてみたい。

そんなことを考えていると、以前取り組んだ認知行動療法の本を思い出す。

そこでは、自分に関する困難な問題を助長している思考や行動のパターンとして、いくつかの認知的バイア

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振り返りは責めるため?愛のため?#9

振り返りは責めるため?愛のため?#9

8月ごろから感情日記をつけるようになった。目的は自分を知るために。自分が何を感じているのか、考えているのか時間が経つとすぐに忘れてしまうからだ。

忘れると何が起こるか。繰り返しだ。同じことの。

僕は振り返りがあまり得意ではない。むしろ苦手だ。そんな僕でもコーチングを学び、多くの人の支援と愛のおかげで、だいぶ振り返られるようになってきた。1日のことを。過去のことを。

ふと書き溜めた感情日記を見

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この感覚を覚えている#8

この感覚を覚えている#8

今日もひとりであるく。8月くらいからだろうか。別に習慣にしようとも思っていなかったが、ふらふら目的もなく歩くことがそうなっている。

ひとりで歩きながら、ぐ〜っと体を伸ばすこともあれば、じっと下を向き続けることもある。大抵は気持ちいい。

歩きながら感じる。ひとりだな〜って。

以前ならばひとりであることの寂しさから、何かしらの行動をとっていたはずだ。ただそれで、傷ついてきた。傷つけてきた。

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自暴自棄を超えた何か#7

自暴自棄を超えた何か#7

自暴自棄になることはよくあった。

もうどうでもいいや。人生つまらない。

みたいな。

今まで頑張ってきたものを全て無かったことにしたくなる。

例えば、筋トレと食事制限頑張ってきたのに急に食生活乱れまくる、みたいな。

ロバート・フリッツ先生によるところの揺り戻しパターンか。つまり、何かを変えようと一時的に決意し行動に起こすもののいつの間にか元のパターンに戻っている状態。

↑揺り戻しパターン

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ヘルシーな自分を育てたい#6

ヘルシーな自分を育てたい#6

ヘルシーな自分。傷ついても立ち直れたり、傷ついた自分を慰められたりする自分を育てて生きたいと思う。それは僕がなりたいなりたいと喚いている、大人になることではないかと思う。

大人になりたいと喚くのは、職業的に大人でなければならないと思う部分もあるが、根底にあるのは「大人ってかっこいい。僕もなりたい」という単なる憧れである。

ヘルシーという言葉は以下からの引用。

スキーマとは「認知の土台部分とな

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一瞬の出来事#5

一瞬の出来事#5

仕事での話。色々とアレなので抽象的になってしまうが、それは突然の出来事だった。

何も言われず、何の気配も感じさせず、それはほんの一瞬のことだった。

でも、現実は現実。

どう思おうが、どう感じようが明日は来る。

今の自分を振り返る暇もなく、ゆっくりと過ごす時間もなく、明日が来る。

いつか、明日という日を万全の状態で出迎えられるような、未来に希望を抱きながら寝てみたいものだ。

というと、最

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表と裏のナラティヴ#4

表と裏のナラティヴ#4

今日はこちらの本を読みながら感じたことを書こう。リフレクションジャーナルと称しながら、半分くらい読書感想文っぽくなっている最近。

ナラティブに関する書籍を読んでから、「今のセルフ・ナラティブはどんなものだろうか?」という問いをふとした時に考える。すると出てくる二つの信念。

自分は幸せになってならない。
自分は人を傷つける。

意識下では幸せになりたいと思っているのだが、そのもっと奥底ではそんな

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希望をみて震えたカフェからの帰り道#3

希望をみて震えたカフェからの帰り道#3

昨日の日記で「自分と深くつながるために」ということについて書いていた。それに関連して、ここ数日でやっと読めた「『深い関係性』がなぜ人を癒すのか パーソン・センタード・セラピーの力」についての感想を少し書いておきたい。

自分はセラピストでなければカウンセラーでもない。ただ、カウンセリング領域(この言い方があっているのか分からないが)に興味があるだけだ。そのため、パーソンセンタードセラピーがなんであ

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自分と深く繋がりたい#2

自分と深く繋がりたい#2

最近よく本を読んでいる。実は読んだ本を毎日1冊インスタグラムにアップすると決めていて、昨日までで1週間続いたのだった。だが、今日は読み終える本がなかったために、連続記録は終わった。

そもそもなぜそうしようと思ったかというと、二つあるように思う。一つは、積読状態がなかなかのストレスであったこと。もう一つは、孤独や不安から生まれるエネルギーを昇華させたかったこと。

そういう意味で言えば、毎日続ける

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リフレクションジャーナルを再び#1

リフレクションジャーナルを再び#1

ナラティブに関する勉強会に参加したのは3月だった。そこで紹介された「物語としてのケア」を半年以上経った今日よむ。

コーチングや教員として人と関わる中で“ケア”に関わることは少ないかもしれないけどその要素がないわけではない。というよりこの本は、自分との関係性をよくしたいと思ったからこそ読み始めたのだった。

読みながら思ったこと。

リフレクションジャーナルを再開しよう。

物語は語ることによって

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