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助けにならない思考#46

22時32分。今日も読みたかった本の存在を頭の片隅に感じながら、ただ時間を過ごす。それはただボ〜っとしていたい自分の欲求なのかもしれない。ただ、こういう時大抵気分が落ち込む傾向にあるので、言葉にすることによって少し考えてみたい。

そんなことを考えていると、以前取り組んだ認知行動療法の本を思い出す。

そこでは、自分に関する困難な問題を助長している思考や行動のパターンとして、いくつかの認知的バイアスが挙げられていた。その時に自分が取り上げたのは「個人化(自己非難)」と「過度の一般化」だった。

「個人化(自己非難)」はいわゆる課題の分離ができていない状態だと解釈している。なんでも自分の責任と思い込む。責任を引き受けるのは百歩譲って良いとしても、それでただ落ち込んだり凹んだりするだけだから、やはり自分の助けになっていない。

「過度の一般化」は、文字通りのもので、一つの出来事で全てを決めつけてしまうことだ。例えば、一日読書をするのを辞めた時に「あぁ、自分は毎日続けられないから何事もうまくいかないんだ」と読書以外のことまでも続かないと決めつけること。

こうやって思い返してみると、果たして1日のうちどのくらいの割合で自分を助ける思考や行動をとっているのだろうかと疑問に思う。もちろん生きるを目的とした場合には、全ての思考や行動が意味が助けになっているのかもしれない。なぜなら、今生きているのだから。ただ、ハッピーではないことが多い。

そっか、自分はハッピーになりたいんだ。そんな当たり前かもしれない感情に気づく。どこか自分はそんなポジティブな感情を持ってはいけないと思っていたのかもしれない。きっとこれは、先の個人化の影響だ。自分は責任を果たしていないのに、なんでポジティブでいるんだよという自己非難。

そんな自己非難の声に従うかのように粛々と生きているのだ。

なんだよ、それ笑

思わず笑ってしまう。

もうさ、そういうのやめようって思ったじゃんか。普段からそういると、幸せというもの全てが非日常になってしまうんだ。幸せは日常の中に有り余っているというのに。

ただ笑って、学びたいこと学んで、好き勝手やって今日の一日の自分に満足すること。それだけでとっても幸せなんだといい加減に気づいてあげてほしい。

これは長らくのテーマ。でも、必要なものは揃っている気がする。あとは自分を救う行動を取るだけだ。

もう一度、この本のワークをやり直してみよう。

2021.11.15.22:49

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