#毎日note
今という瞬間はもう二度と味わえない#35
「また喋ろうね」「また遊ぼうね」「またな」
何気なく使う”また”という言葉。でも、同じような瞬間に二度と出会うことはない。それはとても自然なことで、そんな当たり前のことを今日やっとわかったような気がする。
同じ"ような"瞬間に出会うことはあるだろうし、そう捉えようと思えばたくさん出会うことになるのかもしれない。でもやっぱりすべては幻想、思い込みなのである。
今という心地よい瞬間を味わいながら
美しいものは喜びを生む#34
昨夜の雑談での体験を書こうと書き出しものの、全くうまく言葉にならない。正確には、言葉にしてみるもしっくりこない。
あの感動?体験を表す言葉をまだ知らないのだ。
でも、忘れたくないので今ある言葉でできる限り言葉にしてみる。言葉にならないものを拙くても言葉にすることでいつか言葉にできるように。
これは、心動かされる世界を見せてもらったときのこと。
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その方はとても仕事ができる方だ。仕事がで
好きっていうか、光#33
僕にとっての光とは、あるひとのことを指す。光であると同時に影でもある。その人はとても美しい。ず〜っとぼ〜っとただそばにいたくなる。いいや、そばにいなくたってもいい。眺めるだけでもいい。
その人は、儚くて脆くて、でも強くって。
儚くて脆そうに見えるのは、こちらの願いを投影しているのかもしれない。強く見えるのはただ自分が弱いだけなのかもしれない。
自分はその人に悩まされ振り回され苦しめられた。そ
それはまるでうたかたのような#32
自分が求めていたものは手に入らない。手に入ってもすぐ消える。
それはまるでうたかたのようだ。
綺麗だと思った次の瞬間にはもう消えている。その美しさに魅了されて、掴もうとすればするほどするすると自分の手からはすり抜けていく。
藁にもすがりたい思いを持っても、誰も助けには来ない。仮に助けが来てもそれを受け取ることができないだろう。というよりすでに何度助けてもらったのだろうか。何度救われたのだろう
自分で自分の人生を抱える練習をしている感覚#31
生きていれば、誰かと関わることからは大抵の場合逃れられない。それは仕事に関係するかもしれないし、家族、友達というプライベートな関係かもしれない。あるいは、行きつけのコンビニの店員さんかもしれない。
人と関わることが逃れられないのだとすれば、どうせなら自分の好きな人や心が豊かになる人と関わっていきたいと思うのは自然なことだと思う。ある程度は選択できるのだ。
選択できるからこそ、自分が選ばれる時も
身体の声を聞くか、頭の声を聞くか。必要なのは沈黙かもしれない。#30
今日、仕事で少し無理をした。無理をする、と決めて無理をしたので後悔はない。やむを得ない事情だった。とはいえ、無理する必要が本当にあったのかと言われればそれはわからない。何かのためになったのかもしれないし、何のためにもなっていないのかもしれない。むしろ、こうしてひとりの人間が無理をする、という前例を作ってしまったとも言えるだろう。
意味は後からついてくる。今回は、頭の「多分無理した方がいいやつ」と
美しいってなんだろう#29
どうやったら美しい文章を書けるのか?から出てくる言葉をつらつらと書いてみた。見返してみたが、そもそも美しい文章とは何か、自分にとっての美しいとは何かは考えていなかったので少し考えてみたい。
美しいときいて何を連想するか。
ぱっと浮かぶのは、洗練さとそこに込められた静かで強い想い。
洗練さは無駄がない、研ぎ澄まされたイメージ。たとえ無駄があったとしてもその無駄さえもが美しさの一部になっているよ
どうやったらあの人のように美しい文章を書けるのだろう?#28
ここ最近仕事変わらず忙しいものの、自分の時間はちゃんとある。そんな時にふと湧いて出てきたのだった。
「あの人のような美しい文章を書きたい」
正確に言えば、あの人たち、だ。僕が更新を楽しみにしている方々のリフレクションジャーナル。どことなく読んでいて心地が良く、綺麗な景色が見えたりずっと聴いていたくなるような音色が聞こえたりするかのような文章。
このリフレクションジャーナルも、大きな目的は”自
確かに、場所を変えればいいのだが#27
住みたい場所、働きたい場所、生きたい場所。
自分たちはいつだって場所を変えることができる。自分のことに限って言えば、大抵問題になるであろうお金の心配もない。
住む場所を変えようと思ったのは、新しい場所で新しい物語を作りたくなったからだ。この場所での物語はSeason4くらいまできたとおもう。6年くらいかけて。
働きたい場所を変えようと思ったこともある。だが、それは叶わなかった。きっと続けたと
人との出会い、本との出会い#26
僕が悩んでいることは、きっとどこかの誰かも同じように悩んでいる。
少しの期間noteを眺めていて気がついたことだ。
これは僕か?と思う文章がそこには並ぶ。
今までの自分ならきっとこう思っただろう。
「結局僕に個性などない」
でも、今は違う。
「よかった。ひとりじゃない。もう少し頑張ってみよう」
力をくれるのは、案外どこの誰ともわからない他人であるのかもしれない。いいや、少し違うか。ど
誰のための家なのか#25
仕事が終わり、自宅へ向かう。長くはない電車の乗車時間と、駅からの徒歩数分。
職場からは近い方だと思う。だけど、遠い。遠く感じる。仕事がひと段落して帰るとなると全く気が乗らない。
そして気づいてしまった。今の家が気に入っていないことに。
少し考えてみると、この家は当時のパートナーや友達と遊ぶためだけの家だったかもしれない。すなわち誰かを招き入れることを目的とした部屋だったのだ。数年間もそうやっ
止まってなんかいない#24
同じ速度で走っている電車が並んでいる時、あたかも自分の乗っている電車が進んでいないかのように感じる。別の電車が自分の乗っている電車を追い抜く時も同様だ。
どちらも進んでいるはずなのに。
自分が進んでいることを確かめるのに、自分以外の物事、すなわち他者軸で考えているからそう感じるのだろう。
他者軸というのは厄介である。他者軸で生きることはそれなりの恩恵があるからだ。実際に今の自分が一定の成果を
言葉と向き合うということ#23
言葉は世界を捉えるレンズ。言葉は内的世界を表現する方法。
こんな風な言葉使いをしてみたいと思う人の文章が目の前にあるのだから、それを自分のものにしていきたい。
そんなことを朝寝ぼけながら考えていたと思う。
人を動かす、魅了するのはいつだって言葉だ。だけど、言葉は記号に過ぎない。その言葉に命が宿って初めて、その人に伝わるのではないだろうか。
言葉に命が宿る。ふと出てきた言葉だがなんだか深めが
働くとは人のために生きること#22
なんて当たり前かもしれないことにふと気がついた。今までの自分は、自分のためにしか働いていなかっただろう。働くことで自分が生きるために必要な対価を得る。大枠はそんな感じだ。
人のために働くはあくまでも建前。そんなことをどこかで思っていた気がする。だからこそ、子どものために、目の前のクライアントのためにを純粋に考えられる(と自分にはうつって見える)教員やコーチが眩しかったに違いない。
その眩しさは