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身体の声を聞くか、頭の声を聞くか。必要なのは沈黙かもしれない。#30

今日、仕事で少し無理をした。無理をする、と決めて無理をしたので後悔はない。やむを得ない事情だった。とはいえ、無理する必要が本当にあったのかと言われればそれはわからない。何かのためになったのかもしれないし、何のためにもなっていないのかもしれない。むしろ、こうしてひとりの人間が無理をする、という前例を作ってしまったとも言えるだろう。

意味は後からついてくる。今回は、頭の「多分無理した方がいいやつ」という声を聞いた上での判断だったというだけだ。今考えても疲れるだけだろう。

ということで無理をしている最中の不思議な感覚を書き残しておきたい。

***

無理をしている時間は、身体から発せられる悲鳴をただ聞き続けた時間だった。まず、謎の頭痛が始まる。それを感じながらも、ゆるりと無視をしながら仕事をした。ついには耳鳴りまでなってきた。

その身体からのメッセージを聴きながら、ちゃんと身体はメッセージを届けてくれているのだなと変に感心する自分もいた。これが不思議な感覚その1。

これ以上やると、翌日の仕事に支障が出る。そう思った自分は残った仕事を明日に回すことにし(今日やり切って明日倒れるなんてことがあったら本末転倒なのである)帰宅した。

帰宅しながら、不思議な感覚その2が起こる。

スマホの電源を切ったのだ。これはとても不思議だった。スマホ依存症と言われても否定できないくらいスマホを手に取っている自分が、自分の身を守るために、スマホから離れたのだ。

これには驚いた。が、こうして冷静になってみるととても当たり前のことをしているように思う。

スマホは身体に良いものではないのだ。電子媒体だから、というのもあるが、どちらかといえばスマホから入ってくる情報の方だろう。

雑多に入ってくる情報に僕はいつの間にか蝕まれ、疲れていたのだ。身体の調子が悪くなってようやくそのことに気がついた。

仏教では、4つの食(四食)という考え方があることをふと思い出す。
食物(段食)、感覚(触食)、意志(思食)、意識(識食)だ。
おそらく2つ目以降の食が悪かったように思う。そんなことが次の本に書いてあったような気がするので、時間を作って読み直したい。

声をなんとなく聴くのもいいが、声をあえて聞かない時間(=沈黙)も大切にする必要があるだろう。自分のいのちはエネルギーに満ち溢れている一方で、どこか脆い部分もあるのだ。

そんなことを考えながら「あぁ、だからいのちを育てるという経験が大事なのか」と思った。植物あたりから育て始めるのが良いような気もする。部屋もなんかおしゃれになるし。

2021.10.28.21:05

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