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知は現場にある【ハイダグワイ移住週報#12】

この記事はカナダ太平洋岸の孤島、ハイダグワイに移住した上村幸平の記録です。

10/17(火)

雨はさも義務を負っているかのように淡々と降り続けている。外にも出られないし気分も上がらないので、家の中でできる新しいことに取り掛かってみる。今日はクッキーを作ることにした。

大量のバター、ブラウンシュガー、白砂糖を泡立て器で根気よく混ぜ続ける。クリーミーになった頃合いを見てバニラエッセンスや卵を追加し、小麦粉とふくらし粉をいれて生地にする。手で小さく丸めてトレイに並べ、オーブンで十分弱焼けば完成である。書いてみると極めてシンプルだ。

家中に甘い香りが広がる。熱いうちに塩をまぶし、休ませる。我慢できずに一枚かじる。間違いない。外はクランチーで食感が気持ちよく、中はバターの旨みがしっとりと口の中に広がる絶妙な焼き加減である。自己制作バイアスもあるかもしれないが、買ったことのあるどんなクッキーよりも美味しい。雨の日は新規レシピ開拓に限る。

10/18(水)

先週の週報をようやく公開した。いまのところ一週間遅れほどではあるが、順調に投稿はできている。インスタで(ほぼ)日報という形でフォト・エッセイを投稿し、noteではその週ごとのまとめとして週報を書いている。

毎日キャプションを考えることも一苦労だが、その週の出来事をる程度の分量で、かつ面白く読めるものにするのにはとても神経を使う。日報の羅列というスタイルで記事を書き続ける難しさは、「毎日毎日書きやすいネタに出会えるわけではない」ということにある。

旅行エッセイ、あるいは滞在記みたいなものは、僕の経験からすれば、はっきりとした目的意識なしには書けません。つまり「自分はこの旅行について、あるいは滞在について、一冊の本を書くのだ」という覚悟がまず必要になります。のんべんだらりんと旅行したり生活していたりしたら、本なんてまず書けません。というか、人が読んで面白いと思う本は書けません。

「村上さんのところ」村上春樹

それでもできるだけ日々書き続けようと試みているのは、もちろん記録としての日記の意味合いもあるが、後々の材料集めという性格が大きい。村上春樹が紀行文の書き方について問われた時の回答をことあるごとに読み返している。

いやしくも一冊の本を出すからには、「本を書く」という明確な意識を持った目ですべてを観察しておく必要があるからです。そうして気がついたことをどんどんメモしていきます。忘れないうちに書き留めます。それは日記ではありません。文章を書くために必要な材料のメモです。そしてそのようなメモを集めて、本にまとめていきます。面白い部分を膨らませ、あまり面白くない部分を捨てていきます。

記録としての日記は手元の手帳に残している。それに加えて、いつか書かれるべき文章のため、その土台を仕込んでおくため、今からせっせと文章を書いている。決して簡単ではない。フラストレーションも溜まるし時間も過ぎ去ってゆく。ただ、「ネタがない」ということ言い訳に書くことをやめそうになった際、ひとつのロールモデルといて仰ぐ大作家のストイックな創作との向き合い方を反芻し、我が身を顧みるのである。

10/19(木)

昨日に引き続き、ビーチはいい天気。プリンス・オブ・ウェールズ島も望むことができる。ビーチ近くのトレイルを三十分ほどゆっくり流して走る。サルサも一緒だ。

砂浜を吹く風がじわじわと冷たさを帯びてきている。まだ下は薄いショーツで走っているが、上にはちょっとした羽織るものを持っておかないとすぐ体が冷えてしまう。気楽に外を走れるシーズンも終わりが近づいている。

ご満悦

10/20(金)

ダージン・ギーツの村のはずれにある桟橋は、車中泊するには格好のロケーションである。職場である博物館から車で五分もかからず、村のスーパーや酒屋も近い。トイレと小さな雨宿り小屋もある。夏の間は釣り船の出し入れに使われるようだが、シーズンが終わった今となってはここに立ち寄る人間などいない。久しぶりにアスファルト用のランニング・シューズに履き替え、静かなスキディゲート・インレットに面した気持ちのいい道を走る。

ハイダグワイ産アルバコア(ビンナガマグロ)丼。間違いない

先週分のチップの分け前が手渡され、初めてカナダで、ひいては海外で収入を得た。支援金を切り崩しつつ生活していたのでこれまでは我慢していたが、手にした現金で久しぶりに酒屋でクラフトビールを買う。依然赤字続きだが、今日くらいは良いだろう。食料品はため息が出てしまうほど高いが、カナダのクラフトビールを日本で飲む三分の一の値段で飲めるのは、醸造をかじった人間としてはたまらない。

車内で寿司丼とビールを嗜んだ後、誰もいない桟橋でコーヒーを沸かした。ひたひたに満ちた入り江は丁寧に磨き上げられたかのように平らかで、陽の沈みゆく山陰と大きく欠けた月を静かに写していた。

八月湖水平かなり
虚を涵して太清に混ず

現代語訳:
八月、洞庭湖の水は満ちて平らかである。
湖面は大空をひたして、本物の大空とまじり合っている。

孟浩然「臨洞庭」

好きだった漢詩の一節を思い出す。たった10の漢字がありありと情景を想像させる。中学生のころ、塾の国語の時間に暗唱させられたんだっけな。トイレの異臭が教室まで入ってくるほどのひどく古びた塾だったし、あのころ覚えさせられたものの殆どは忘れてしまったけれど。

10/21(土)

博物館から帰る途中、気になっていたトレイルに寄る。スピリット・レイク・トレイル。平坦な湿地が広がり、長靴がいつも必須なマセット近隣とは違い、スキディゲートの村のあたりには高度感のあるトレイルランにぴったりなトレイルがたくさんある。

だいぶラバーが摩耗してきたHOKAのシューズを履き込み、森に駆け出す。しっかりと足に負担がかかる登りをこの靴で走るのはいつぶりだろうか。春の鷹狩山以来かもしれない。このところはずっと砂浜ばかり走っていたので、山道らしい山道をテンポよく走っているだけでニコニコしてしまう。

クリークを遡るように駆け上がっていると、一本のレッド・シダーに目が留まる。空を切り裂くようにずっしりと聳えるその幹に、大きく横穴が開けられている。ずいぶん昔の穴のようで、切り口から侵食が進み、表面には苔が生している。これが、いわゆる「CMT」なのか、と立ち尽くしてしまう。

CMT—Culturally Modified Trees—は日本語で言えば「文化的痕跡のある樹木」となるのだろうか。ハイダグワイの森に立つ、人為的な切り跡や樹皮の剥ぎ跡のある樹木のことを指す。もともとは彫刻家や芸術家がトーテム・ポールやカヌーを掘り出す材料として最適のレッド・シダーを探すべく、中身の強度や腐り具合を判別するため、または自分のものだと主張するために独自の方法で木に穴を開けたのだという。翻って現在、CMTは一種のトークンとして管理され、ハイダ族がハイダグワイの地における森林資源保護の権利を手にする一つの根拠として保護されている。

森を守るため、木々に意味合いを持たせるという手法は世界各地域によっていろいろなアイデアが凝らされているようだ。タイのカレン族が大規模な森林伐採から森を守った方法として、木に仏教の装束を着せ、一本一本を「出家」させることで宗教的意味合いを付与し、伐採から守ったという話を聞いたことがある。

穴が開けられたまま切り倒されなかったということは、この木は満足のいく材料ではなかったのだろう。最適な木材は見つかったのだろうか。そして、彼は、彼女は、いったい何を掘り出したのだろうか。

10/22(日)

「モレスビーで採ってきた。あなたたちの好物でしょ?」夜、クッキーを焼いていると突然扉が開く。クロアチアから三年前にハイダグワイに移住したJJだ。九月のワークショップで出会った彼女は、僕と同じワーホリビザでハイダグワイに来て定着したということもあり、労働ビザや移民ビザの取り方などを事細かに教えてくれる。東欧の人間らしく表情筋をあまり使わずにしゃべるが、ふとした気遣いと気前の良さは姉御と呼ぶに相応しい女性である。

ブリティッシュ・コロンビア州北部は松茸の一大生産地。毎年十月ごろにはたくさんの松茸が摘み取られ、日本に送られる。ハイダグワイも十月に入ってから本格的なマッシュルームシーズンを迎え、人々は大きなバケツをいっぱいにして森から出てくる。JJがくれた松茸は傘も大きく開きずっしりと重い。どう調理しようか。

10/23(月)

「また遠いところに飛んで行ったようですね」懐かしい顔が画面に映り、嬉しくなった。古谷先生は早稲田大学法学部・法科大学院の教授だ。僕が学部生時代に参加していた国際法ゼミの指導教員でもある。去年までは国連の自由権規約委員会のメンバーとして、世界を飛び回る人権の番人でもあった。

先生との付き合いは割と長い。大学一年生の時、必修だった演習の授業で先生のクラスを取った。当時は国際協力や外交関係の仕事に憧れていたこともあったが、それよりも古谷先生の肩張らない国際法講義が気持ちよく、毎週楽しみに通っていた。そういうこともあり、二年生後半のゼミ選択で先生の国際人道法ゼミを選んだのはごく自然な成り行きだった。僕はそこから一年間留学で早稲田を留守にはするが、その間もことあるごとに相談に乗ってもらったりしたことを覚えている。

帰国後、コロナ禍での大学生活においては、ゼミ活動がオフラインで行われることはほとんど無かった。ゼミの仲間たちと同じ時間をあまり過ごせなかったのは大学生活における数少ない悔いることのひとつだが、それでも先生とは時折オンラインで雑談したり飲んだりもした。改めて勉強し直している国際法やガザ情勢など話したいことがもろもろあり、卒業式ぶりに先生とZoomを繋いだ。

ハイダグワイに来てからハイダ族やカナダのファース・ネーションに関する様々な文献にあたっている。彼らが政府に対して権利を主張する文脈や先住民の国際的な動向などについて考える時、国際法は避けては通れない。先生はフィンランドやオーストラリアの事例や自由権規約の具体的な条文、日本におけるアイヌの立ち位置や国際法上の領域権原など、たくさんの考えるヒントを与えてくれた。

「先住民の権利」は多分に複雑な要素を含んでいる。ドクトリン・オブ・ディスカバリーに基づき、早い者勝ちの理論でヨーロッパ人が世界を蹂躙したタイミングで「先住民」という概念が生まれた。彼らは自分たちヨーロッパ文明に比べれば未開であり、対等な文明を持たないもの、と扱われた。そこから数百年が経ち、早い者勝ちの論理は取り払われ、国際法上でも国内法においても先住民に対する自治権が認められつつある。

ただ、不可逆な歴史の流れの中で、どう植民地主義の罪は償われるべきなのだろうか。今更元の状態に戻ることなんでできないし、独立して一国家として主権を持つことも非現実的である。一般の原則や国際法を基にしながらも、ケース・バイ・ケースで丁寧に考えていくことしかできない。

卒業前の二月。そういえば先生は海外出張で卒業式には来られなかったんだっけ

考えなければならないこと、頭に入れておかなければならない歴史・知識はあまりにも多過ぎる。それでも、大学で法律を学んでいた時よりもずっと判例を探すのが楽しいし、条文に当たるのが苦でもない。学問は活用されて初めてその効をなすのであり、知は現場にある。学ぶという行為は知識を自分ごとにできて初めて快楽をともなうのである。

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🏝️カナダ最果ての地、ハイダグワイに移住しました。

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📚写真集を出版しました。

🖋イラストを描いています。

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