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ライフルと釣竿【ハイダグワイ移住週報#7】

9/12(火)

ハイダ語の講習が始まった。バンクーバーにあるサイモン・フレイザー大学(SFU)は、ブリティッシュ・コロンビア州の先住民コミュニティで言語プログラムを開講している。そのため、講習といってもかなり本格的な授業で、シラバスや評価基準もあり、SFUから単位も学位も授与される。

秋学期に僕が登録したのは「Introduction to X̱aad Kil」。ハイダ語には三つの大きな方言がある。アラスカ方言、南部の村スキディゲートのX̱aayda Kil(ハーイダ・キル)、そして北部の村オールド・マセットのX̱aad Kil(ハード・キル)である。今回僕が学ぶのは三つ目のマセット方言のハイダ語だ。今学期は毎週火曜・木曜の19:00-20:30の開講である。村に「X̱aad Kil Nee(ハイダ語の家)」なる言語センターがあり、そこのひとつの教室に向かう。

絶滅の危機にあること、似た言語が存在しない孤立した言語であること、もともと文字を持たず、現代になって記述というものが行われるようになったこと——ハイダ語の類稀なる特徴と魅力は語り尽くせないが、今日の内容で特に印象深いのはその発音である。

発声前または発声後に喉奥を締め上げる音や、唾を吐くように破裂させる音、それらを組み合わせる音などを先生が発音し、クラスメイトと苦労しながら練習する。練習するうちにふと気づいたのは、それらのハイダ語の特徴的な発音が韓国語の濃音・激音にそっくりだということ。なかなかコツを掴めなかったところ、韓国語の発音に細かい変更を挟んで発声する。

僕が言語を学ぶのが好きなのは、まさにこのような瞬間があるからだ。日本語、英語、スペイン語、ドイツ語、スウェーデン語、韓国語、そしてハイダ語——僕が自分で選んで学んできた言語なんて、この世界に星の数ほど存在することばたちのほんのごく一部。それでも、発音や単語、文法や歴史は有機的に強く結びついていて、時には言語という垣根を超えて大きな知識の集合体を作り出してくれる。ひとつの言語を知るということは、他のどんな言語にも応用できる聞く力、読む力、話す力の積層となる。

コロナの時代、オンラインの韓国語講義。単位非参入でとった授業のほとんどは通わなくなってしまったけれど、その授業だけは一年間出席し続けたのだった。あの回で先生がひたすら発音を矯正してくれたことは、ちゃんと僕の中に蓄積してますよ、先生。お名前、覚えていなくてごめんなさい。

9/13(水)

「ハンティーング!!」同居人、タロンの大声で目が覚める。7:30。そうだ、今日は朝から猟に出かけるんだった。九時就寝六時起床というおじいちゃん時間を生きている彼はいつもに増してテンションが高い。いつもはリードなしのウォーリーも、オレンジの首輪をつけられてハイになっている。

トラックにライフルと銃弾、双眼鏡と迷彩服をのせて近所のフィールドへ。道なき道をぐんぐん進んでいく彼の背中を追いかけて森を分け進む。どこまで行っても同じ森、同じ草原にしか見えないのに、地図もなしにちゃんと目的地に着いて帰ってこられるから凄いものだ。

見晴らしのいい場所に息を潜め、タロンは薬莢でつくった笛を吹く。鹿を誘き寄せるんだ、と彼はいうが、どう聞いても鳥の叫び声にしか聞こえない。本当にこんなもので鹿を誘い出すことができるのだろうか、と半信半疑で聞いていると、突然ウォーリーが立ち上がった。目線の先には親子の鹿がこちらを覗いている。彼はライフルを構えたが、打たなかった。「親子はさすがに打てないよな」

近所のフィールドでは小さな鹿しか発見できず、場所を移すことに。マセットから南に三十分ほどの場所にある港町、ポート・クレメンツを経由し、ヤクーン川を遡るように林道を直走る。昼食は昨日焼いたパンにチーズとサラミ、ポテトサラダを載せたオープン・サンドイッチ。

道中、はじめてロードキルを目撃した。対向車線を走ってくるトラックに、小鹿が飛び込んでしまったのだった。パンッという軽い音と共に、子鹿は一瞬にして赤く破裂してしまった。

トラックは特に気に留めていない様子で、走り去ってしまった。僕もタロンも犬たちも接触事故を見るのが初めてなので、ただただ閉口するしかなかった。

車を止めて崖を用心深く降りると、静かな川が流れている。潮汐に影響されないフレッシュ・ウォーターだ。息を潜めて鹿の気配を探りつつ、ルアーを投げてトラウトやサーモンも狙う。昨日まで、海の近くの川で釣りをしていた時は僕ばかりサーモンを釣り上げていたが、今日はタロンの方にツキがあったようだ。中くらいのサーモン、数匹の美しいトラウト。そして極め付けは、川の主とも思えるモンスターサイズのスプリング・サーモンだ。

道なきフィールドを十時間歩き、今日の釣りと猟は終了。パーキングでブーツを脱いで、座り込む。息を潜めながら足元の見えないブッシュのなかを歩いていたので、思ったより下半身に負荷がかかっていたようだ。

僕は25歳になった。まだ十分に若い。それでも、身体能力という面で考えれば、与えられた時間は少しずつ削られてきている。二十代半ばから後半にかけてが、人間の身体能力がピークに達する時期だろう。これから数年間どれだけ身体に貯金できるかが、それ以降の人生でこの世界をちゃんと自分の足で歩き、手を動かし、見聞きできるかどうかを決定するはずだ。本気で一緒に外遊びをしてくれる大人が周りにたくさんいることは、幸運なことだと思おう。

9/14(木)

朝から別のフィールドに出かける。一時間ほど歩き、おびき寄せる笛を吹いて息を潜めて気配を探ったが見つからず。今季初の鹿は後日にお預け。

夜はハンナがくる。隣人レイチェルの妹で、数年前から彼女もハイダグワイに移住した。今は街の小学校で働いている。新学期が始まっててんやわんやしているようだ。

来客のためにパンを焼く

彼女は今広い庭に小屋を建てているようで、大工であるタロンとずっと大工談義をしている。こちらに来てから、会う人会う人みな大工仕事ができる人ばかりだ。皆デフォルトで小屋を建て、サウナを作り、家を修繕している。カナダ人は皆そうなのか、と聞くと、別にそういうわけではないらしい。「ここでは自分がやらないと誰もやってくれないからね」

ご飯を済ませて語学クラスに向かう。今日は発音練習。喉を締めながら破裂させる音が一番難しい。

9/15(金)

外仕事にぴったりの陽気だ。冬が来る前にしなければならないことは山ほどある。薪小屋をいっぱいにして、建設中のキャビンのデッキを完成させて、落ち葉を集めてコンポストに放り入れる。釣りにも狩りにも、マッシュルームを採りにも行かなければならない。

とにかく家の周りを整理しようということで、家の中と庭の周りを徹底清掃。散らかっていた木材を焼く。火が燃え広がらないか不安になるが、この地の湿度から考えてその可能性はないらしい。BC州はこの夏深刻な山火事に苛まれ、緊急事態宣言が発令され、全土で焚き火が禁止されていた。それでも、ハイダグワイだけは例外。それほどこの地はよく雨が降るのである。

昼に大量のチリ・ビーンズを作り、焼きたてのパンと共にいただく。日本では残り物をチャーハンにしたり炒め物にしたりするように、こちらではチリ・ビーンズにしたりグラタンにしたりするらしい。

プロパンガスはセルフ充填

夕方からまた狩りに出かけるつもりだったが、どうもお腹の調子がおかしい。腹の一部分をずっと親指で押されているかのような違和感がある。狩りはパスして、早めに寝る。

9/16(土)→9/17(日)

何か変なものを食べたのだろうか、ただ単に食べ過ぎだろうか、それとも疲れが溜まっていたのだろうか。お腹を壊してしまい二日間ダウンしていた。採取・狩猟・釣りシーズンが到来し、食べることが最高の楽しみである今日この頃にちゃんと食べられないのは苦痛である。

9/18(月)

村の唯一のスーパーには大きな掲示板がある。この小さな村の出来事はこの掲示板に集約されるのではと思うほど情報の宝庫で、毎回必ず目を通すようにしている。今日はふと見つけたポスターにあったワークショップに参加した。

ハイダ族をはじめとする太平洋岸に居住している先住民は、さまざまな方法で魚を獲っていた。カヌーのパドルからルアーをぶら下げてパドリングしながら釣りをし、銛を投げてアザラシやクジラを獲った。今でいう定置網や地引網のような要領での漁もよく行われていたとか。今回のワークショップで取り組んでいるのは「ギルネット(Gill net)」づくり。紅鮭が川を遡上するところに網を仕掛け、彼らが頭を突っ込んだときにエラの部分に引っかかって獲れるように細工をした網である。

平日のお昼から夕方にかけてのイベントなので、村のおじいちゃんおばあちゃんが集まり、エルダーの会合のような様相。席に座って糸を繰っていると、初めて会う小さいおばあちゃんが横に座ってきた。レオーナは83歳。ハイダ語の名前の発音は覚えられなかったけど、「永遠の輝き」という意味を持つらしい。笑顔が可愛いエルダーだ。

彼女はほとんど手を動かさず、その代わりに僕にやたらと色々なことを話してくれた。幼い頃には海岸に打ち上げられたワカメでいろんな工夫をして遊んだこと、飛び込み台だった橋はいつか撤去されてしまったこと、戦争の時にカナダ軍の基地が設置されたこと。

「ハイダの女性もたくさん軍人と結婚したのよ、当時は。わたしの家族にもいるわ」ハイダの『外の人間』に対する懐の広さには驚かされるところがある。先住民コミュニティと聞けばクローズドで排他的なイメージがあったが、ここでそんな疎外感を感じたことは今のところ一度もない。カナダのど田舎にしてはとてもコスモポリタンな場所で、カナダ人でもハイダでもない人に出会うことも少なくない。

その昔、ハイダ族は軍事力に優れており、近隣の先住民をたくさん奴隷として島に連れてきていた。彼らはやがてハイダ族に取り入れられ、少なくない数の血や文化も混ざった。交易に来たヨーロッパ人も奴隷にしていたという記録もあるから驚きである。外部の人間だろうが自分たちのコミュニティを豊かにするためなら出自に関係なく取り込んできた歴史が、移住者にもオープンな風土を作っているのかもしれない。

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🏝️カナダ最果ての地、ハイダグワイに移住しました。

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📚写真集を出版しました。

🖋イラストを描いています。

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