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転職しようとしたら速攻で落ちた話〜SFは起こらない、リアルな具志堅を探して花束を〜
6年ぶりに転職をしようと思い、とある会社に履歴書を送った。
そしたら落ちた。
ちょうど今勤めている会社を辞めようと考えていた私のもとに、ナイスタイミングで飛び込んできたその募集に、こ、これは、、完全に呼ばれている...!と思い、応募することにしたのだ。
募集要項は、秘書兼広報。
ちなみに私はどちらも経験がないし、その業種を目指していたのかと言われたらそうではない(広報は興味ある)。よって、それに関する知識や能力はない。しかしその会社にとてもとてもとても興味があったのだ。
で、落ちた。
なんで!落ちた理由は?
履歴書の写真が、実はヴィエンナスタイルで撮ったのがバレてしまったからか?などと一瞬頭をよぎったが、そんなわけないと秒で気づき一旦落ち着いた。多分バレてないし(別にバレてもいい)そもそも落ちた理由はそんなことではない。
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とにかく、落ちたことに、なんで?という疑問を持つこと自体おかしいくらい、落ちたことは当たり前と言えば当たり前で、腑に落ちる。だって、まもなく38歳になろうとしている未経験者を雇うには、その会社は今あまりにも勢いがすごい。
私が仮に入社したとして、やれ秘書の仕事はこうだとか、やれ広報の仕事はこうだとかやっている暇はない。それを差し引いても、私よりいろんな面で適している人がいたのだ。納得。
それでもやっぱり、選考に落ちてしまった今日は、なんだか思考がよく停止する。失恋した後のような気持ちでもある。モヤモヤといろんな気持ちが交差する。
落ちたから。
落ちたから?
落ちたから、
ではない。
大前提として、希望の会社に入れなかったことに落胆しているのは当たり前にあるのだが、このモヤモヤはそこから来ているものではなかった。
自分の過去を振り返った。
秘書とか広報とか、その他なんでもいいのだけれど、とにかく何かの知識や経験を積んだり努力をしたりしている人がゴマンといる中で、私はただただボーッと生きてきたような気がした。もっと自分を磨いて研磨して、ここぞというときに出せる武器の一つも持ち合わせていないことを実感して、ガッカリした。
とうの昔から今就いている仕事にどうしてもやりがいを見出せなかった。自分が本当にやりたい(仕事にしたい)こと=さっさと動かねばならぬこと、だったのに、何か打つ手はあったはずなのに、今の今までそれに対して実質的に動いてこなかった。今の会社を辞める決断もしてこなかった。
ひとつだけ言うならば、今の仕事は、私が満足できるほどに旅が出来る環境にあった。正社員をキープしつつも年に6回は海外に行けるし、そのうちの2回は2週間くらい休みが取れる。有休などを使って1ヶ月間まるまる休んだこともあるが、そういうことができる会社もなかなかない。
旅することを軸として生きている私にはとてもいい条件だった。旅が出来ることを引き換えに、仕事を変えようとする足が一歩前へ進まなかった。
自分の過去を全て否定するわけではない。
誰もが予期してなかった海外旅行が簡単にできないという今の時代。そんな世の中になる前に、これまで40か国、渡航60回以上(多分の数字。多すぎてもう数えてない)を旅できたことは自分史上の幸せであることは変わりない。
だがその一方で、仕事が。
愛情があって誇りを持てる仕事とは、とてつもなくかけ離れたところで立ち往生してしまっていた。
何をするにも、未経験者がある程度の経験者になるまでには、そんなに短い期間でなれることはほとんどない。仮に3年かかるとする。自分の年齢と照らし合わせて考えてみる、、いつの間にかとんでもない年齢になってしまったもんだ。
何やってきたんだ自分、以外の言葉が思い浮かばなかった。せねばいけないことを差し置いて、したいことだけして生きてきやがって。もっと早い段階で動いていれば、私は今ごろ何かの経験者になっていたかもしれない。
だけど人は過去に戻ることなんてできない。
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7〜8年前に何かで見かけて、ずっと心に留めている言葉がある。
『過去にタイムスリップしてあの日の後悔を修正して帰ってきてみると、未来は少し変わっていて庭のタンポポが咲いていなかった。』
というものだ。
何か失敗や後悔をしたときに、あのときに戻ってもう一度やり直したいとよく思うのだけど、その度にこの言葉は、現状を受け入れるためのひとつの手段となっていた。あの時に戻って修正したら、今出逢えてる大事な人たちに逢えてなかったかも、とか。
だがしかしここにきて、長らく頼ってきたこの言葉に対する気持ちに揺らぎが出てしまった。
『過去にタイムスリップしてあの日の後悔を修正して帰ってきてみると、未来は少し変わっていて庭に違う花が咲いていた。』
ということもあるんではないか?と思い始めたのだ。
タンポポは咲いていなくても、チューリップは咲いてたかもしれないし、現在の自分や取りまく環境が最良ではなくて、別の最良な道もあったかもしれない、と。
話は逸れるが、昔、とある冬に好きな人から振られたことがある。振られた日の夜は言うまでもなく悲しみに暮れていた。
何がダメだったんだ、あの行動が多分ダメだったんだ、あの時ああ言ってれたば良かったのかもしれない、、出会った頃まで時を巻き戻して、もう一度やり直したい、、うえーーん!泣
みたいな気持ちで、その夜はずっと過去に戻りたくてしょうがなかった。
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映画『アバウトタイム』の主人公の青年は、過去に戻ることができるという特殊な力を持っている。好きになった女性を手に入れるため、過去に戻ってはいろいろな修正をし、結果その女性と結ばれるという話だが、超かっこ悪いやん、と思っていた。
青年がその女性と知り合ったとき、女性には彼氏がいた。そこで青年は、その2人が知り合う前まで遡って2人を出逢わせないようにし、代わりに自分が出逢うように修正した。
ダッセ!と思った。なんなんだコイツは、と思った。だからあの映画があんなにヒットした理由が今でも全く分からない。
しかし失恋の悲しみが疼き、ずっと頭の中を駆け巡って心臓がキューっとなる私は、「アバウトタイムプリーズ!アバウトタイムになりたい、、!泣」と、その夜はずっと思っていた。
しかしどうやったって過去には戻れないので、さっさと寝ちまおう作戦に出て、19時とかには寝たような気がする。毎朝6時に起きて仕事に行く私は、携帯に常時セットされている6時のアラームをオンにして寝た。
時間通りにアラームがわんわんと鳴り出し、私は目を覚ました。
失恋したとき、目を覚ます瞬間が一番嫌いだ。悲しみや苦しみを感じないから寝てる時が一番幸せだと思っている。なのに非情にもアラームは鳴るのだ。
アラームを止め、顔を洗い化粧をし、仕事に行く準備をした。さて行くか、と携帯を手に持って目に入ってきたのは、待ち受け画面の『1:15』という文字。
え、、、?
え?
今7:15だよね!?
いつも家を出る時間である7:15が、1:15になっている。
どういうこと!?頭が一瞬パニくる。
携帯がおかしくなったのかと思い、PCの時間を見る。腕時計の時間を見る。全部1:15になっている!(恐怖!)
おかしい、6時のアラームで起きたのに時間がおかしい!!冬だから早朝6時も夜中の1時も同じくらい外は暗いので、その様子で判断することはできなかった。どれが正しいのか分からなくなった私は、正しい時間を確認すべく母親に電話までした。
「どうしたの、、?」
「いや、なんか時間がおかしい!今何時!?」
「夜中の1時よ。びっくりするよこんな時間にかけてきて。。」
と言われてしまった。
まじで?まじか。まじなのか?
6時にしかセットしてないアラームが鳴って、お化粧までして今から出勤しようとした時間が、夜中の1:15て!!!
完全に時空が歪んだ。何が起こったか未だによく分からんが、私を取りまく時間軸が一瞬おかしなことになった。
今しがた施したばかりのお化粧をもう一度メイク落としで洗い流し、再びベッドへ戻った。
なかなか眠れなかった。
失恋した悲しみで、過去に戻りたい過去に戻りたいばっかり考えていたら、訳の分からないSF超大作が私の身に起こってしまった。アバウトタイムがなんものもんじゃい。
さて、話は戻るがそういうことなのだ。
謎に時空は歪んだが、実質、過去には戻れない。
たとえ過去に戻れても、なんだかおかしなことになるような気がした。そんな経験だった。
だから今日は一日ずっと考えていた。
過去に戻れないのなら、これからどうしたらいいのか。選考に落ちて生まれた、モヤモヤとした気持ちに向き合っていた。
ここで一枚、空知先生の言葉を貼り付けておく。
ここまで書いてきた私の切なる文章が全てが掻き消され、話題を全部持っていかれそうな内容だが、最高だったので載せておく。
ちなみに、選考結果が出る数日前に偶然これを目にした私は、万が一にも書類選考が通って面接にでも呼ばれたりしたら、空知先生の言葉はしかと心に留めて面接に挑もうと思っていた。
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wwwwwwww
となってしまったのはわかる。笑
しかしこれを読んで学んだことがあった。
私は履歴書に書いた志望動機を思い返してみた。もしかしたら私、”坂田銀時”って書いてしまっていたかもしれないと思った。秘書と広報が未経験な業種だったばかりに、具体的な具志堅が出せてなかったような気がした。
要は、「その会社に入ってどんなことが出来るか」という期待役割に値する経験や知識がないので、ただ単に、自分の気持ちばかりを伝えてしまったのではないかと思った。一番ダメなやつやん。初めて履歴書書く大学生かて。
しかし、“坂田銀時”としか書けなかった私ではあったが、自分を大きく見せたり、実際の気持ちと履歴書の文面に出る気持ちの熱量に相違がないよう、自分の真意に従って、忠実に書くことだけはした。
志望動機を真面目に書きすぎたか?はたまた、熱い気持ちで書きすぎたか?などと思ったりしたが、いや、履歴書だからそれでいいのか。と。
6年のブランクを経て大人になって久しぶりに書く履歴書は、自分のことをプレゼンするのが少しむず痒く、難しかった。
転職したいなと思ったひとつ目の会社だったが、たった一社受けて、一社落ちただけで、久しぶりに味わったこの失望感と焦燥感。
新卒採用の就活中、何社も受けては落ち、自分という人間に価値を見出すことが難しかった若かりしき頃の自分、まじでお疲れ様だな、と思った。
大人になった自分は、またあの時とは違った段階でもがいてはいるけど、いくつかの違う視点や思考が、心にほんの少しの風を通してくれる隙間を作ってくれているような気がする。
過去を後悔しても、分からない未来のことに悩んでも何も生まれない。わかっちゃいるけど、人は、私たちは、悩む。
今から何かを新しく始めるなんて、遅いかもしれない。「何歳から初めても遅くはない」という言葉、幾度となく聞いてきた。そうかもしれない。
わかっちゃいるけど、年齢をただの数字だと思う気持ちの持ちようと、実質的な年齢の現実を、受け入れたり、はたまた解き放ったりするバランスが難しいのだ。わかっちゃいるんだ。
こういうことがなければ。履歴書を送って落ちでもしなければ、気づかなければいけなかったことに気づかなかったかもしれない。
何か大事なことに気が付くときは、いつも大抵、辛いときや悲しいときや苦しいときなんだ。
だから、時々はそういうことがあった方がいい。
そしてやっぱり、私の答えはここに至る。
『今の自分が出来る最善のことを少しづつでも。』
自分が選べないものに対してはしょうがない。だけど、自分が選べるものをおざなりにして、闘うことをうやむやにしてはならない。
私は何者なのか、何者になりたいのか、はたまた何者にもなりたくないのか。そもそも、まもなく38歳になりそうな大人がこんなに迷子になっていていいのか。
一歩進んで二歩下がることもあれば、七回転んで八回目に起き上がることもある。10000回ダメでヘトヘトになっても、10001回目は何か変わるかもしれない。
だから、タラレバ娘はもうやめて、未来の庭に自分の好きな花を咲かせるイメージをしよう。
パンジーかな?ラベンダーかな?椿かな?
きっと花束もつくれるよ。楽しみだね。
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